西郷隆盛「南洲翁遺訓」 (角川ソフィア文庫 349 ビギナーズ日本の思想)

  • 角川学芸出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044072018

感想・レビュー・書評

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  • 西郷隆盛さんの言葉を後世にまとめたもの。
    細かな解説があり分かりやすい。

    やはりこの時代の人たちは論語など朱子学をベースにして
    自分達の思考・思想を形造っていたのだな。と思う。

    西郷さんが韓国への勅使となって死のうとしていたこと。
    それは日本国内での士族の内乱を止めるためだったこと。
    それに正当な理由を付けるために「勅使が殺される」という状況を
    作り出そうとしていたこと。

    それを欧州から帰ってきた大久保さんたちに止められて,
    プツンと切れてしまったこと。

    そして西郷さんの西南戦争を起こした時の気持ち。。。
    多分,自分が防ごうとしていたはずの
    士族の内乱に,
    なぜか自分が反乱側にいるという状況の矛盾とあきらめ。
    その悲しさを感じた。

    やはり相当頭のいい人で,深くまで感じ考える人だったと思う。
    今のスピード社会の中でこういう日本人は生まれにくいんだろうな。

    この時代の人たちって,日本が好きで,西洋との一定距離を
    保とうとしていたところが素敵ですよね。

  • 西郷隆盛の死後、それを慕った庄内藩の人が言葉をまとめたもの。遺訓と解説の比が2対8位で、少し解説が冗長すぎる。
    また訳、解説者の個人的意見が少し顔を出しすぎている感あり。

  • 明治維新の英傑、西郷隆盛(南洲)の遺訓集。
    戊辰戦争の敵方、勝海舟が『氷川清話』で「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。一人は西郷南洲。・・・いわゆる天下の大事を負担するものは、はたして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れた。・・・西郷におよぶことのできないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。」と語り、内村鑑三が『代表的日本人』に取り上げた西郷隆盛の言葉と教えを、戊辰戦争に敗れながら、西郷の指示で思いがけず寛大な処置を受けた庄内藩士が、大日本帝国憲法発布により西郷の名誉が回復された後で、まとめて発行したものである。
    西郷の生涯を貫く思想を最も簡潔に表現したと言われる「敬天愛人」ほか、広い度量と高潔な精神の重要性が説かれている。
    (2008年5月了)

  • 読み下し、解説、思想背景があったので思っていたよりも良かった。ただ、解説者が余計なことも喋りすぎなのが残念。

  • 論語みたいないいことが書いてある。解説の中にも雑学とか入ってて容量は充分。解説者の主観が入ってる気がするけど仕方ないか(´Д` )

  • いわゆる名著に出会いました。
    よくさらに研究します。

    名著というのはこの本自体よりも「南洲翁遺訓」
    そのもののことです。

    いやー噂では聞いていたが。

  • 糞丁寧な解説がついていて、これ一冊読めば西郷の思想的背景から遺訓に含まれる漢籍の知識まで得ることができます。

    評者は岩波文庫版を読んで理解しきれていなかった部分を補足することが出来ました。

    ただあくまで原文にあたることをおすすめします。

  • 訳・原文・解説ノートという構成。解説ノートはかなり詳しく書かれていて、かえって流れを悪くしている。

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著者プロフィール

1827(文政10)年~1877(明治10)年。明治維新の指導的政治家。下級藩士ながら、薩摩藩主島津斉彬に見出され庭方役となる。斉彬急逝後、三度の島流しとなるが、64年、赦免。以後、討幕の指導者として薩長同盟・戊辰戦争を遂行、江戸城無血開城を実現。大久保利通、木戸孝允と共に、維新三傑の一人と称され、71年に参議、73年に陸軍大将兼参議となるが、征韓論争で大久保らと対立し下野。77年、私学校の生徒らと挙兵。8か月に亘る戦いの後、新政府軍に敗れ、鹿児島城山で自刃。89年、憲法発布の大赦で正三位を追贈される。

「2017年 『新版 南洲翁遺訓 ビギナーズ 日本の思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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