美しい日本の私 (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
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感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044094812

作品紹介・あらすじ

ノーベル賞授賞式に羽織袴で登場した川端康成は、古典文学や芸術を紹介しながら日本の死生観を述べ、聴衆の深い感銘を誘った。その表題作を中心に、今、日本をとらえなおすための傑作随筆を厳選収録。

感想・レビュー・書評

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  • 川端を斜めから楽しむ勢だが、けっこう正面から読んで、いいなと感じた。
    そして誠に月並みなことに、よく聞く(引用される)ものほどいいな、と。



    川端のノーベル賞受賞記念講演を軸に、日本文化について述べた随筆を厳選!
    ノーベル賞授賞式に羽織袴で登場した川端康成は、古典文学や芸術を紹介しながら日本の死生観を述べ、聴衆の深い感銘を誘った。その表題作を中心に、今、日本をとらえなおすための傑作随筆を厳選収録。

    【目次】
    ●美へのまなざし
    花は眠らない 1950★
    美について 1950
    美しい日本の私 1968★
    秋の野に 1968
    女人なれども 1969
    夕日野 1969
    ほろびぬ美 1969
    美の発見と存在 1969×2★朝のガラスのコツプの光り
    日本文学の美 1969★
    日本美の展開 1969
    鳶の舞う西空 1970

    ●戦争を経て
    同人雑記 1937
    平和を守るために 1949
    私の考え 1951
    東西文化の架橋 1957

    ●日本文化を想う
    末期の眼 1933★竹久夢二ディス
    純粋の声 1935
    紫外線雑言 1936
    日本の母 1942
    「日本の母」を訪ねて 1942
    哀愁 1947
    思い出すともなく 1969
    水晶の数珠など 1970
    春 1955

    付録
    Japan the Beautiful and Myself(美しい日本の私) エドワード・G・サイデンステッカー訳

    解説 大久保喬樹

  • 川端康成のノーベル賞記念講演を中心にまとめた1冊。
    古典、四季、芸術など様々な視点から日本人が持つ美意識を振り返っている。
    こういった心の豊かさが筆を走らせている源となっているのかと感じた。
    読み返したくなる1冊。

  • 美しい日本の私 川端康成
    自然の美は限りがない。しかし人間の感じる美は限りがある。
    美を感じる能力は、頭だけではむずかしい。美に出会うことである。
    自然はいつも美しい。しかし、その美しさは、ある時、ある人が見るだけなのだろう。
    渇食かっしき
    年若い剃髪していない僧侶
    揮毫きごう 字や絵を描くこと

    春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷えしかりけり 道元禅師
    山川草木さんせんそうもく
    自然。
    森羅万象 しんらばんしょう
    宇宙にある一切のもの。
    一休さん 大徳寺
    枯山水かれさんすい 竜安寺
    和敬清寂 わけいせいじゃく
    なよやか、つつましやか
    邂逅 かいこう おもいがけず会うこと巡り会い
    表にたつ助け、あるいは裏に潜む力
    燗熟らんじゅく
    頽廃 廃れていく
    勃興
    愛憐
    鄙びひなび いかにも田舎ぶく
    去来する 思いがよさがる

  • ノーベル賞受賞後の記念講演会での講演「美しい日本の私」を含む、戦前戦後のエッセイをまとめたもの。どのお話にも川端康成の「日本の美」に対する思いが込められている。川端の感じる美というのは、日本画や自然にとどまらず、源氏物語などの小説や勤勉な労働者など幅広く、本質的には「もののあはれ」に表現される、純粋さや儚さ。一方で、戦争で夫を亡くした寡婦が、姑を養いながら残された子を育てる姿を取材することなどは、川端自身も純粋に美しいと思っているのだろうが、今でいうヤラセ感がないではなく、戦争・国策の影響を感じる。

    「もののあはれ」を至上の美と考えていた川端が、戦後の混乱した社会や米国に傾倒している人々を見てどう思ったか。太宰や三島の自死を非難していた川端自身が謎のガス自殺を図った理由が垣間見える気がする。オリンピックとコロナ禍で混乱する今の日本をどう見ているか。

    全体を通じて日本語が豊かで美しいの感じるので、読みがいのある一冊。

  • (2021-04-07 3h)

    実は未だ川端康成さんの本は読んだことがありません。ただ、タイトルに惹かれて、この本を手に取りました。
    『花は眠らない』。「花は眠らないと気がついて、私はおどろいた。」この一節からぐぐいと惹き付けられました。最高です。
    『源氏物語』『枕草子』への思い入れも強く書かれています。

  • 川端康成がふとした瞬間に発見した美しさについてや、
    日本的な美しいものについて、そして日本の戦後の様子について書かれた本。
    https://ameblo.jp/sunnyday-tomorrow/entry-12028903407.html

  • 本書は1968年に、川端康成が日本人初の受賞者となったノーベル文学賞のスピーチ「美しい日本の私」(サイデンステッカーによる英題は「Japan, the Beautiful, and Myself」)を含む、随筆集である。3日間の徹夜のもとで、スピーチ直前に書き上げられた「美しい日本の私」は、やはり川端康成の文学世界を理解する上では一級のドキュメントであろう。

    このスピーチでは、道元や西行などの和歌を引用しつつ、古来から日本では自然描写に内在される美しさを尊ぶ文化があることが示される。そして、芥川龍之介の自殺の遺書である「末期の眼」を引用しながら、そうした美しさが顕著に感じられるのは、生活力・動物力とは対局の静かな死を待つ境地においてであり、それが日本特有の”虚無”の概念に通じる、とまとめられていく。

    実際、本書に併録されている「末期の眼」という随筆では、修行僧の澄み切った世界では、あらゆる自然の事物が途方もない美の世界として理解され、あらゆる芸術の極意がここにあるとまで語られる。この要点は、世界をどのように理解して何を美と感じるかは個々人の世界認識に依存し、客観的な美があるわけではない、その主観的な美の世界を自殺直前というような「末期の眼」を通さずに文章で再構築すること、そこに日本文学の特異性がある、ということだろうか。

    その点では、原題と英題の微妙なズレを意識することは極めて重要であるように思われる。原題は「美しい日本の私」であり、接続詞により”私”は”美しい日本”に包含されることが明示される。この二語の関係は、”美しい日本”という世界が”私”の主観的世界に依拠するものであるという川端康成の主張を示すものであると理解される。一方、英題の「Japan, the Beautiful, and Myself」では、”Japan, the Beautiful”と”Myself”は”and”という並列詞で接続されている。この並列詞により、”美しい日本”は”私”とは無関係に、ア・プリオリに存在しているかのような印象を抱いてしまう。この微妙な原題と英題のずれにこそ、川端康成が考える日本文学の特異性が最も表出しているのかもしれない。

  • 日本、自然への川端康成の愛情がうかがえる随筆集。川端康成ほどの日本を代表する作家が「日本的」について思考し追求していたことが何だか嬉しい。
    自然に溢れた春の山の風景、日本人が心に描く心のふるさと。これが日本的なものの象徴であるのかもしれない。

  • 川端康成の文学作品の秘密を少し垣間見ることのできるエッセイ集。個人的には、小説のほうが段違いで好き。

  • 角川ソフィアの「先人に学ぶ」シリーズに、随分お世話になっているなあと思う。

    何をどのように編むか、というのはその人の主観もあって、でも普遍性も必要で、難しい作業ではないだろうか。
    今回は「美と日本文化」をテーマとした作品を再編集したとのことだ。

    私が読みたかった「美しい日本の私」。
    解説には最初「美しい日本と私」であり、英語でも「Japan the Beautiful and Myself」であるのだが、川端の手によって「と」が「の」に変えられたという。
    これだけでも、もう充分に面白い。

    こうして同じテーマを追いながら編んでいくことで、似通ったもの、根底に流れている思いが浮かぶ。

    「すぐれた芸術作品は、一つの文化が爛熟して、まさに頽廃に傾く一歩手前の時に生れることが多いようである。鎌倉時代や室町時代に、作家としての天分が紫式部に劣らぬ人はいたかもしれないが、源氏物語に近づく小説は一つも出なかった。時代の運命であろう。」(「私の考え」より)

    「日本の物語文学は「源氏」に高まって、それで極まりです。」(「美の存在と発見」より)

    「明治は明らかに勃興の時代でありましたが、「明治百年」の今日がまた勃興の時であるのか、あるいはこれでもすでに爛熟の時にさしかかっているのか、やはり自分がその時のなかにいては、見定めにくいのですけれども、わたくしは未熟の時のように感じています。」(「日本文学の美」より)

    そして、後半では「末期の目」として、自殺した芸術家への批判を述べた作品が収録されている。

    「この安心のままいつしか芥川氏の死の年に近づき、愕然として故人を見直せば、わが口を縫わねばなるまいが、そこはよくしたもので、自分を恥じる一方、さては自分はまだまだ死なぬのであろうというような、別種の安心に甘えるのである。」

  • 川端康成が、このような随筆を書いていたとは知りませんでした。
    文化という中から「美」という側面を切り出し、
    日本の古典文学なども例に挙げて語っているようです。
    私のような凡人にはよく分かりませんが、ある意味鈍感でもあり、鋭敏でもあるという不思議な感覚を覚える文章です。
    いずれにしても、「文化」というものは、長い時間をかけて育まれてきたものが多いのでしょうし、そのようなことに対しての歴史を知ることや、自分なりの理解をもつことが大事だと思わせられます。

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著者プロフィール

一八九九(明治三十二)年、大阪生まれ。幼くして父母を失い、十五歳で祖父も失って孤児となり、叔父に引き取られる。東京帝国大学国文学科卒業。東大在学中に同人誌「新思潮」の第六次を発刊し、菊池寛らの好評を得て文壇に登場する。一九二六(大正十五・昭和元)年に発表した『伊豆の踊子』以来、昭和文壇の第一人者として『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』などを発表。六八(昭和四十三)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。七二(昭和四十七)年四月、自殺。

「2022年 『川端康成異相短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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