“ありのまま"の自分に気づく (角川SSC新書)
- KADOKAWA/角川マガジンズ (2014年1月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047316218
作品紹介・あらすじ
心に余裕を持って生きることが難しいのは、周囲からの「承認」を求めすぎるから。大切なのは「ありのまま」の自分に気づくこと。仏教の経典などをもとに、私たちが陥りがちな様々な心の問題を克服する術を伝えます。
感想・レビュー・書評
-
まずこの本の著者がどのように変化していくのか、そこが知りたいと思っている読者が多いのではないか?「復讐心さんこんにちは」と言うフレーズは、まさにこの著者の今を物語っているように思う。仏教の真理に救いを求めている最中の著者であるが、これまでも色々と学問を探究されてきたのだろう。西洋の古代哲学の話も出てくる。悩んでいることをストレートに言わずに、読者に精神の宥め方を教授する体をとりながら、同時に自分を説得している節がある。
著者の心の中というのは、例えるならば、熱いサウナに入りながら、汗をいっぱいかくわりに、汗などかいていないような仕草をする精神修養法を行い、かつ、サウナからの出方をあまり考えないでどのように熱いサウナの中で丁寧に汗を拭き取りながらサウナの外にいるかのように振る舞えるかを考え続けているように思われる。(分かりづらいか?)
大変我慢強い著者なのだろう。サウナに入っても熱くないということはないと思うし、著者はかなり汗をかく性質を持っている方であろう。そんな著者が、その思考法でどこまで真理に辿り着けるのか?そこが気になって仕方がない。
ただそれよりも、この本、著者が良いのは、本気で生きているという事がしっかりと伝わってくることである。私は、この本の内容うんぬんよりも、そちらの方を重視したい気持ちである。行間を読みたい1冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
有名な僧侶による一冊。
仏教の専門的をおりまぜつつ、わかりやすくためになった。 -
作者が実に広範な知識を持っていて、縦横無尽に哲学や宗教を結び付けて深い洞察を行っているのはよくわかるが、とにかく文章が分かりにくい。
哲学書なら分かるが、宗教側からのヒトの生き方のアプローチ、特に承認欲求がテーマなのだが、理屈っぽく過ぎて結局全ては”人の欲”みたいになってしまっている。
そこまで突き詰めていくと、仏門に入る意外無くなってしまうのでは?
洞察や思考の本としてはいいのかもしれない。 -
物事自体に良いも悪いもなく、それを受ける人によってどう受け取るかわ変わるので、いちいち一喜一憂せず、ありのままに受け止めようという教え。
ただ実際はそんな簡単ではなく、その時はうまくやり過ごせたとしても、また負の感情がわいてくるのは避けられないと思う。 -
この本は知識と知恵がつまってる。過去の経典や実存主義的な哲学をひもとき、今日の生きづらさとそれへの対応を分かりやすく仏教道の観点から説いている。
生き辛さというのはがんじがらめの人間関係である。普段から意識してない悲しみや辛さの根底にあるものを浮き彫りにしている。それは自分に対する承認欲求である。人から認められたい、仲間から評価されたい
欲求を長いことかけて深く考察している。よく考えて抜かれている。みごとです。
著者は高校生の頃から原文です書物を読もうと思っていたらしい。フランス書物を。ってことは翻訳できる能力はもう充分に備えてるということですね。かなりの知恵者です。なにせ東大出身の現役僧侶です。
で、その生き辛さの対応策の帰結が仏道の「欲求をなく」して、求めないように生きよというものだ。これもひとつの方法なのかも知れない。彼は仏道の観点から「空」という概念を分かりやすく説いている。でも凡人にはこの概念はどうしても理解できないものがある。この本はその「空」という概念を説明したかったんだと思う。それも身近の人間関係の生き辛さとその解決策を考えながら。
彼は本をいっぱい出してるけど。ここまで難しい仏道のエッセンスを分かりやすく、しかも面白く楽しく解説している本は他にみたことかまない。
何日か経って考えてがふと浮かんだので追記しときますと。この本は分かりやすくいうと、生き急ぐことはないよってことかな。なにを言われても柳のようにサラリとかわし、自分を自慢することはしないし、ヒトに強要すこともない。なにも求めない。即ち「宮沢賢治」の風ニモマケズってとこれかな。 -
・今よりもっと〇△×になりたいという欲求こそ、苦しみの原因。いかなる喜びも確実なよりどころにはならない。諸行無常を体得するために、どんな思いが生じても、永続する実態など持たない空虚なものにすぎない。
小池龍之介さんは、渇愛ということばを使われます。たとえ一つの欲が満たされたとしても、その快に慣れると、満足できなくなり、もっと強い刺激を求めるようになる、と仰います。
確かに、私たちは、モノでも、人でも、それが手に入りさえすれば、まるで永遠に欲求が満たされるかのように錯覚して求めますが、いざ手に入れてみると、もっと良いモノが欲しくなったり、相手を束縛しないと満足できなくなったりしてしまうことがあります。
このように、欲望を拡大する方向では、永遠に満たされることがないこをとを、知らなければなりません。執着を捨てない限り、永遠に平静を得ることはできないのです。私たちは、ありのままの自分に満足し、手に入れたモノに満足し、縁のある人との関係に満足することを学ばなければなりません。
ありのままの自分を成長させ、手に入れたモノを活用し、縁のある人との関係を育むことによって、諸行無常である現実をありのままに受け入れるのです。 -
僧侶である著者が、仏教的なマインドコントロールの方法を説いた書。
ポイントは、快いことが起こってもそれを追い求めず、不快なことが起こっても嫌悪し排除しようとせず、ありのままを受け入れるようになるべし(これが理想形)。そのためには、自然に沸き起こってくる欲望や怒りの感情を無理に圧し殺してはダメで、そのような感情を第三者的に観察し、ただ「こんにちは」と抱きとめる。そうすると徐々に欲望や怒りの感情が癒えていくのだ、という。確かに、この手法は実践できそうだし効果がありそう。
「我が苦しみを「消そう」とする(ストレス反応)でもなく、苦しみがなくなるのを「早く早く」と願う(欲の反応)でもなく、何にも要求せず、ただただそのままに、抱きしめてあげる。無目的に、ただ「仕方ないね」と諦めて、抱きしめたときに、心の中の凍っていた部分が解けて、法則性に沿った形での自然な変化が促進されます。苦しみが溶けて和らぐのです。」
ただ、本書を読んで一つ疑問に思ったのは、日々起こっている高速の輪廻転生(喜びや悲しみ、不満や恨みといった様々な感情が、生まれてはピークを迎え、衰え、そして消えていく態様)=「苦」から脱け出し、喜びや悔しさといった感情とは無縁な状態になるが理想だとすると、理想状態において人は、人生・仕事のモチベーション、向上心を保っていくことができるのだろうか、ということ(著者は、「この世の中に、追い求めるに値するものや、「こうなりたい」と執着するに値するものなど、一切ないというのが、仏教の核心です」と言っているが…)。執着心や競争心があるからこそ、人は頑張ることができ、何事かを成すことができる、という面が絶対にあると思う。健康面においても、死を単なる物質の変化として捉えて、病や衰えをあるがままに受け入れるのが理想であるなら、健康に気をつけてダイエットしようとか、病気を治そうとか誰も思わなくなってしまう。
まあ、お釈迦様は、煩悩まみれで日々苦しんでいる我々凡人に対して、執着を減らし、片意地張らずに楽に生きようよ、と言っているだけなのかも知れない。仏教の教えは敢えて極端なことを言っているのであり、それをトコトン追求し過ぎるのは、それこそ過ぎたるは及ばざるが如し、なのかも知れない。ホントかな??
心の持ちようについて参考になったものの、何だかしっくりこない読後感。 -
ありのままでいる感情のコントロールは難しい。
-
念(気づき)
圧倒的な客観(あるがまま)
智慧+慈悲=ありのまま
自分の都合(「自分にとって〜」)で事実を歪めてしまう自我の乗り越え方のスキルを学べました。 -
いつまでも自分に対してもっと良くなりなさい、ちゃんとしなさいと命じ続けるせいで、自分が根っこのところで自分の弱い部分を承認できないままになっている
現実に合わない背伸びを止めて、現在の自分には、◯◯という性質があると自らの弱点へと温かな気づきの視線を向けてあげる
微笑ましくなる距離から俯瞰してみる
自分は自分に対して最後まで口を挟まないということが、無条件にただ受け止めるということ
この感情もやがて変化する、一時的なもの、無常なものという思いで執着せず、ただ変化を眺めてみる