- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784048735131
感想・レビュー・書評
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本作は、猫丸(nyancomaru)さんから「家盛奇譚」の読後におすすめ頂いた一冊で、なんとも言えない心にじわじわ染みてくる面白さがあった。
「ムハンマドが通りで鸚鵡を拾った。」この拾ってきた鸚鵡がなんとも絶妙なタイミングで悪態をつくのだが、それが的を得てその場の空気を盛り上げたり、鎮めるが如く、私の心を活性化する。
この鸚鵡は、ムハンマドが「市場へと下る途中の坂道で、下手から坂を上ってくるその鸚鵡と目が合い、思わず持っていた麻袋を被せてそのまま屋敷に持ち帰ったのだ。」これって、拾ったのではなく、窃盗ではないかとずっと気になっていたのだが、「窃盗」だと思われないための次のような説明があることに笑えた。
「人間嫌いの学者に飼われていたのだ」「その学者は与えられた寿命を終え、その後普段は付き合いのなかった親戚縁者がここぞとばかりにやってきて、家財道具を運び去り、引き取り手のない鸚鵡だけが通りに捨てられたのだ。」
1899年の土耳古(トルコ)考古学の歴史文化研究に土耳古皇帝からの招きにより留学してきた主人公・村田。村田の下宿先には国も宗教も違う5人と1羽が生活している。家主であるディクソン夫人はイギリス人で敬虔なキリスト教徒。この屋敷で下働きをするトルコ人のムハンマドは、回教徒(その名前に何か意味があるのかと思ってしまう)。そして3人の留学生。基督教徒の独逸人・オットー。希臘正教徒で希臘人・ディミトリス、日本より仏教徒の村田である。それからもう1羽がムハンマドと一緒にこの屋敷に帰ってきた鸚鵡である。
彼らから発する言葉に国同士の関係であったり、人種特有の考え方、国民性、宗教感がひしひしと伝わってくる。ムハンマドとディミィトリスの関係はトルコとギリシャの国家情勢が感じられたり、そしてなんとなく仲が悪い。ディクソン夫人はそんな彼らを客観的に傍観しているイギリスである…後の戦争において驚異となるドイツ人のオットーに対してはどこか一方引いた感じで様子を伺っているようにも感じる。
ただ、そうは言っても、5人の繋がりには愛情、慈悲、信頼が感じられ、同じ釜の飯を食えば似てくる夫婦ではないが、家族のような雰囲気がある。そして、この5人の静かな関係に合いの手を入れるがごとく、鸚鵡が「いよいよ革命だ!」、「友よ!」、「It’s enough!」などの言葉を発し爆笑させる。
この屋敷の不思議な出来事、雰囲気が「家盛奇譚」の綿貫の下宿先と同じ空気を感じていたところに、トドメの一撃があり、納得をする。
物語の佳境は、やはり戦争、革命という避けられない時代背景につながっていく。
それはまた、作品の中でディミィトリスが村田に残したテレンティウスの言葉「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない。」の意味を理解することにつながっていく。
運命により出会った5人がまた、運命によりまたバラバラとなる。人は運命の中で人と関わり見聞、知識、友情、その他たくさんのことを学んでいく。そう、人間と関わることで無縁なことはない。鸚鵡が発する言葉「ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ)」ということなのだ。(それを人間に教えるこの鸚鵡は、いったい何者なんだろう)
※以降は自分の記憶のために記載します。ネタバレなので、スキップください。
鸚鵡(おうむ)
「ムハンマドが通りで鸚鵡を拾った。」から始まり、村田が土耳古に留学してきた経緯と他の住人たちの紹介。
驢馬(ろば)
シュリーマン氏が突如として登場。「シュリーマン氏のトロイの遺跡を発掘した」とあるので、ハインリッヒ・フリーマン氏のことかと認識する。そして、ディミストリスがシュリーマン氏のティリンス発掘のときの政府視察団の一人とあり、この時代の背景がわかる。
さらに、ドイツ人のシュリーマン氏の登場でドイツ人のオットーとの暗黙の繋がりが見える。
この章では、アフメット爺さんが登場する。さらに意味深な会話が続く。アフメット爺さんが連れている驢馬が、家の壁を舐める。その壁からビザンティの衛兵が出てこないかを期待しているようである
ヨークシャ・プディング
ここでもイギリスの考古学者であるオースティン・レンリー・レイアード氏が登場。今度は、ディクソン夫人と知り合いである。レイアード氏が、この屋敷に来た時にディクソン夫人が作る懐かしのヨークシャ・プディングを作る。という話し。
ディミィストリのの「人は過去をなくして存在することはない」説得力があり、考古学者から出た言葉らしいのに感心する。
神々の墓場
壁の漆喰が光っている。この建物なら歴史が明らかになる。神の墓石でできた家。基督教、猶太教、回教の神も、もともとは皆、古代イスラエルの小さな部族神から出発したもの。オットーいわく、この屋敷を「最古の合同教会」という。要するに雑居。滞りなく物事が運ぶ、ということが期待できないのも当たり前だ。と、村田同様に私も理解した。
アジの塩焼き
この都は犬が多い。回教では犬は不浄とされていることを知る。でも、確か猫は可愛がられていたような記憶があり調べてみる。
ここで木下氏が登場する。波斯から土耳古へ入り、途中山賊匪賊に遭い、艱難辛苦の末、君府へたどり着いたと山田氏の説明がある。山田氏と言うのが、邦人連絡係となっているようで、この後も登場する。
羅馬硝子(ローマガラス)
エーゲ海近くの村で発見された遺跡に呼ばれた村田。もう何もでないと思っていたところから、羅馬硝子を、村田が見つける。この運の良さは、続くものではないはずだと内心思うが、このタイミングでの発掘で、村田の株は、急上昇だ。
ニワトリ
この都に犬に負けず劣らず多いニワトリ。夜明け前にエザンの声に先駆けて鶏鳴にかわる。笑えるのはトリを食べる会話に絶妙なタイミングで入ってくる鸚鵡の会話。そして、ニワトリの声を真似る鸚鵡。同じ鳥類ながら、大きさも鸚鵡の方小さいのだが、脳みそは大きいのか?
雑踏の熊と壁の牡牛
雑踏の中に熊の頭を見つける。誰かの被り物ではなく、本当の熊であった。この光景は今でも普通なのであろうか。
部屋の入り口、ドア横の一尺ばかりのところが、浮き彫りのように向かい合った二本の角が見える。素晴らしい発見ではあるが何となく恐ろしい。
醤油
覚えておきたい言葉があった。「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことはひつもない」
そう思えることがこの先もたくあることを願いたくなる。
馬
この章では、納得せざる得ない描写がある。歴史についてのことではあるが、自分の人生に置き換えてしまう。「繰り返すのだ。勃興、成長、成熟、熟、腐敗、解体。」
ー人の世は成熟し退廃する、それを繰り返してゆだけなのだろうか?「いつまでも繰り返していく。でもその度に、新しい何かが生まれる。それがまた滅びるにしても、少しずつ、その型も、変化してゆくでしょう。全く同じように見えてもその中で何かが消え去り何かが生まれている。そうでなければ何故繰り返すのでしょう。繰り返す余地があるからです。人は過ちを繰り返す。繰り返すことで何度も何度も学ばねばならない。人が繰り返さなくなったときそれは全ての終焉です。」
キツネ
「鳥の脳」と英語でバカな人のことを言うようであるが、母が「鳥の脳みそ」の例えをよくしていたことを思い出す。ただし、この鸚鵡に限っては、「鳥の脳」は当てはまりそうにない。
木下氏から稲荷の根付と守り札を押しつけられる。
稲荷のご利益。そんなことを信じる日本人に響く話し。
雪の日
朝起きたら銀世界で、階下に降りたら、鸚鵡が此方を認めて、-おう、友よ!と叫ぶ。毎回、笑わしてくれる鸚鵡である。
万国共通で、雪合戦があることの安堵と政治、文化、風習、慣習の大きな違いに驚きながらも納得する。
山犬
目を開けると、牡牛の角と牡羊の角、稲荷の尻尾の会談が見える。本当にこんなことは夢であってくれなければ困るという気持ちが痛いほどわかる。
山田氏の代わりに、村田と木下氏が埃及からやってくる清水氏をガラタ埠頭まで、迎えにいく。
埃及の権利の話から、鸚鵡の権利の主張、そして、エジプトの民族独立運動の指導者であるアラービー・パシャの話まで飛び出す。話の大きさに着いていけなくなる。
大市場(カパル・チヤルシュ)
アフメット爺さんが再び登場。甥の話で絡んだ霊媒師が、このスタンブールの大市場にいた。
そして、この章でも、笑えるところがある。村田が清水氏から預かった山犬を下宿先に持ち帰った時の出来事だ。新天地で自らの結界を張ろうとするつもりか、夜になると獣が唸り声を、発するが如き震えが、辺りに満ち不眠で腹をたてた村田が発した言葉にアヌビス神が消えた。神が人間に叱られて、家出をしたということなのか。この神の脱走がことの発端で、市場に行くことになり、シモーヌと出会うことになる。このことを不思議な力を持つハミエットは知っていたのであろうか。
まつろわぬ足の指
環境の影響による変化、獲得形質が遺伝するラマルク説、人間がサルから進化したというダーウィン説。サルの時代に持っていた「足指を自由に動かせる」能力も、「進化の過程で淘汰された」能力とすると、退化していた能力を再び復活させることは、ラマルクによる「幾世代かの努力の果てに得られた」進化と同じものだろうか。つまり、過去に捨て去った能力と、新しく身につけた能力が同じものの場合…学者である下宿生3人のこの議論に、やはり鸚鵡のが一言「失敗だ」。
博物館
村田の恩師から大学での西域文化研究の新設に伴い、主力研究員として職務に就くようにと、帰国を促す手紙が届く。
博物館でハムディベー氏と面会した村田は、シモーヌの手引きにより現皇帝の妹婿のダマト・マフムート・パシャの欧羅巴脱走が実行されたとこをきく。
火の竜
「忘れないでくれたまえ」とディミィトリスが言った言葉が、この後の章で予言のように思えた。
霊媒師のハミエットが村田の部屋のキツネと火の竜と話す。何と、キツネはわかるが、竜までも一緒に日本に行くなんて…
日本
日本に帰国した村田は、綿貫の家に行く。そこには高堂がいた。高堂の火の竜に対する慇懃な態度の意味がはっきりとわからない。日本に帰ってきた村田のもとにディクソン夫人からの手紙が届く。
第一次世界大戦の勃発に5人はバラバラになる。そして、戦禍に巻き込まれる。最後に綿貫の家に村田の元にやってくる。「友よ」鸚鵡の叫びがまるで村田の叫びのように思えた。-
2020/11/14
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2020/11/14
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2020/11/14
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村田エフェンディ…エフェンディって名前の事じゃなかったのね〜!
メンディじゃないのか( ̄▽ ̄)笑
土耳古、希臘…国の名前がなかなか覚えられなくてちょっと読むのに時間がかかってしまった〜。
土耳古の遺跡発掘、考古学、ディクソン夫人宅での暮らし、友となったオットーとディミトリス
そしてムハンマドと鸚鵡。
笑える話ながらも戦争という暗い影がヒシヒシと迫る不安にドキドキ…
「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」
あ〜!まさか最後に鸚鵡でこんなに泣かされるとは思いませんでした。゚(゚´Д`゚)゚。
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2023/06/22
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みんみんさん、皆さんこんばんは!
今宵も盛り上がってますね♪
この物語のラストシーンはファミレスで独りドリンクバーで粘りながら、涙でドロドロ...みんみんさん、皆さんこんばんは!
今宵も盛り上がってますね♪
この物語のラストシーンはファミレスで独りドリンクバーで粘りながら、涙でドロドロになって読んでるおじさんになってました。
周りから見たら、「なに⁉︎あのおじさん?」となってたことでしょう…2023/06/22 -
hibuさんこんばんは〜♪
ヤバいおじさんになっちゃいましたね笑
あの手紙のくだりは外で読んじゃいけません!hibuさんこんばんは〜♪
ヤバいおじさんになっちゃいましたね笑
あの手紙のくだりは外で読んじゃいけません!2023/06/22
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良かった〜。
なんでしょう、「家守綺譚」シリーズって、しみじみ沁みてくるんです。
爆笑ではなく、ニヤニヤ。
鸚鵡くんのナイスなコメントにニヤニヤ。
雪合戦の世界大戦にニヤニヤ。
綿貫に高堂にゴローまで登場して、ほっこりしてたら、最後のディクソン夫人の手紙にやられました。戦争が憎い…。
私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもない…。
人は一人では生きられない。孤独に見えても、何かしら人と関わり合って生きていることを再認識しました。
余談ですが、世界中を飛び回っている知人にこれまで回った国で一番好きな国はと聞いたら、「トルコ」と即答されたのを思い出した。僕も行ってみたい!
土瓶さん、素敵な本のご紹介ありがとうございました♪
オススメ!-
いいですよね~。わかります!
特に今のご時世、響いてしまいます。
鸚鵡くん、いい味だしてます。
( ´∀`)bグッ!
「私の ...いいですよね~。わかります!
特に今のご時世、響いてしまいます。
鸚鵡くん、いい味だしてます。
( ´∀`)bグッ!
「私の スタンブール
私の 青春の日々
これは私の 芯なる物語」
私の芯なる物語、なんて言ってみたい。2023/03/21 -
ホントにラストの3行でグッときますよね。
とても素敵な本を紹介していただきました!
ありがとうございます♪ホントにラストの3行でグッときますよね。
とても素敵な本を紹介していただきました!
ありがとうございます♪2023/03/21
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『家守奇譚』にちらりと登場した、綿貫の友人・村田がトルコに留学して出会った人々との交流と別れを描いた作品。
トルコ(土耳古)皇帝からの招きで歴史文化の研究のため留学した青年、村田。彼はイギリス人の女性が営む下宿で、ドイツ人とギリシャ人の若き研究家たちと下働きをするトルコ人のムハンマドと生活を共にする。村田は、博物館に勤めながら、日々多くのことを学んで、地元の研究者たちとも交流を深めていくのだった。
様々な歴史的背景を持ち、異なる宗教を信仰する人たち。それぞれの国の立場や、その間に起こる諍い。
それらを越えて、偶然出会った者たちが、お互いに興味を持ち、時間を共有し、違いを認めて理解を深めようとする姿は人間が本来持っている好奇心と柔軟な心や良心を、改めて思い出させてくれる。
100年程前、それぞれが国を背負い、威信をかけ、知を研ぎ澄ませる中で、強い結びつきと友情を育んだ若者たちが確かにいた。
押しだしは強いわけではないが、人の心に自然と寄り添い、それでも、お互いに開示できない憂いも併せ持っている。その上、会話にはユーモアとチクリとするような現実の厳しさも忘れない。
梨木さんの作品に共通する、抑制のきいた穏やかな思慮深い人たち。この人たちに出会える至福の時間を楽しんでいる私。
主人公の村田は気心の知れた、信頼できる同志ともいえる友と過ごした濃密な時間をいつまでもいつまでも大切に思っている。
立ち上がってくる古代の、今は知る由もない憂いや小さな幸福。それに笑い。(中略)そういう日常の小さな根のようなものから醸し出される感情の発露の残響は、こうして静かに耳を傾けないと聞き取れない。(P56)
楽しむことを学べ。(P59)
私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない。(P79)
読む前に課題図書の帯が付いて少々不思議に思っていたが、最後の話・第18話を読んで、大いに納得。
最後の2ページほどに凝縮される思いがせつない。
帰国後数年がたち、大学での閥や政治的な潮流に巻き込まれながら、自分の中に存在する軸を、それを確立させてきた年月を思い出させてくれる、一枚の色あせた写真。
「荒れ野をひとりゆく」思いであったと、今年のノーベル賞受賞者の先生がおっしゃっていた。研究者の厳しく辛い日々(もちろんそれだけではないとは思うが)を、村田も生きている。それと対比され、鮮やかに浮かび上がる若き日の思い出。
課題図書として、または偶然手に取った高校生たちがこの本を読んで何を思うのか。
大変気になるところである。 -
私は、ベトナム出身の大学の後輩が、謙虚で思いやりにあふれた女の子だと、自分の中でのベトナムの女の子の印象がそうなるし、タイから来た研修生が熱心で責任感があれば、タイ人とはそう言う印象に、私の中ではなる。部分で、全体ではないといくらわかっていても、目の前の事実は変え難い。
この本は小説だが、トルコに集まった村田さんの友人たち、女将さんの国や、鸚鵡という生き物印象はやっぱり良くなるし、村田さんのおかげで日本の印象も良くなると思う(本の中の人に対して、だけど)
そのぐらい、良い交流を描いた話しだった。-
megmilkさん、こんばんは~(^^)
オウムがいい味出してましたよね。
「私は人間である。およそ人間のことで私に関わりのないもの...megmilkさん、こんばんは~(^^)
オウムがいい味出してましたよね。
「私は人間である。およそ人間のことで私に関わりのないものはひとつもない」
だったかな?
うろ覚え(笑)
でも、ときどき思い出すんですよね~、あの言葉。
特に昨今の戦争のニュースなんか見ているときに。
名言でした。2022/11/06 -
はい、私も時々思い出します。暖かいだけの内容ではありませんが、暖かい気持ちになる本でした。
コメントありがとうございます。友よ!
はい、私も時々思い出します。暖かいだけの内容ではありませんが、暖かい気持ちになる本でした。
コメントありがとうございます。友よ!
2022/11/07
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1899年、土耳古(トルコ)に留学した村田の手記という形。
歴史物というか前半はファンタジーといった方が良いのか…いい感じです。
スタンブールの下宿に集う国際的な顔ぶれの友人達に起こる出来事がどこか乾いた空気の中、最初は拾ってきた鸚鵡のエピソードなど、ゆったりしたタッチで描かれます。
英国人のディクソン未亡人が営む下宿には、トルコ人の下男ムハンマド、美男のギリシャ人のディミィトリス、ドイツ人考古学者オットーなどが生活していました。
苦難の旅を続けて到着した日本人・木下を見舞い、お礼にと稲荷の札を貰って困惑する宗教心のない村田。さらにバザールで売っていたアヌビス像も預かります。すると怪異現象が。
下宿の礎石は正体もわからないほど古い遺跡を流用してあるらしく、そこの神々と争っている…?
終盤は時代からいって、革命や戦争へとつながり、厳しく切ない展開に。
帰国後に「家守奇譚」の家に転がり込むあたり、読んでいる読者には楽しい。
2002年から書かれ、平成16年発行。文庫本も出ました。 -
最近トルコに興味がある。たまたま手にしたこの本が、100年前のトルコへの留学生の話と知った時は導かれた気がした。
トルコでの人との繋がりが密に描かれていて、最後の展開にはかなり切なくなった。私は「平和で幸せだったあの頃」というシチュエーションに弱いのだ。文中に出てくる人々は勿論、鸚鵡が特に味があって良かった。 -
綿貫征四郎のシリーズにも登場する、考古学研究者・村田の、トルコ滞在記。
留学のいきさつは上記にもあるが、村田は和歌山沖のトルコ船難破を日本が救った関係で、文化研究のために招聘されて留学をした。
英国人・ディクソン夫人の下宿で過ごした、彼の青春の日々…
ドイツ人考古学者のオットー、発掘調査の研究家でギリシャ人のディミィトリス、使用人のトルコ人・ムハンマドと、彼が拾ってきた鸚鵡(そういえば名前が無い)
日本を離れ、外国人や外国の文化に触れる事によって、自分や日本の位置を知る。
また、国家と、国家に属してはいるが個人は違うものなのだと認識する。
神々についてもいろいろ…
そして、彼らとの別れ。
綿貫同様、村田の周りにもちょっとした不思議が起きる。
村田、高堂、綿貫とゴロー、そして赤い竜のその後も気になるものである。 -
211 すでにセピア色を帯びてきた写真の私は、なんと晴れやかで嬉しそうなのだろう。このときの高揚した気持ち、得意満面の、意気高く真っ直ぐな気分を思い出すと、今も胸が熱くなる。
219 思いの集積が物に宿るとすれば、私達の友情もまた、何かに籠り、国境を知らない大地のどこかに、密やかに眠っているのだろうか。そしていつか、目覚めた後の世で、その思い出を語り始めるのであろうか。歴史に残ることもなく、誰も知る者のない、忘れ去られた悲喜こもごもを。
220 私の スタンブール
私の 青春の日々
これは私の 芯なる物語
本当に良い作品でした。
そうです、そうです!
国とは一体何なのだろうと思う-からの最後まで。
胸にぐっと...
本当に良い作品でした。
そうです、そうです!
国とは一体何なのだろうと思う-からの最後まで。
胸にぐっと来ます。
そしてさらに最後の三行!
そしてラスト
「これは私の芯なる物語。」
読めて嬉しかったです。
ありがとうございましたm(_ _)m
トルコから帰ってきました♪
無茶良かったです。
オウムが可愛いくって
ピーナッツあげたくなりました...
トルコから帰ってきました♪
無茶良かったです。
オウムが可愛いくって
ピーナッツあげたくなりましたよ
トルコも良かったでしょう~♪
オウムって長生きなんですね。
オウムね……。面白くて可愛い♡
しじみさ...
トルコも良かったでしょう~♪
オウムって長生きなんですね。
オウムね……。面白くて可愛い♡
しじみさんのレビューも面白くて、良かったですよ~♪♡(笑)