現在の東京都豊島区に生まれる。大妻女子専門学校(現・大妻女子大学)在学中より、中原淳一の服飾雑貨と洋裁の店・ヒマワリに足繁く通う。1946年、中原が主宰した少女向け月刊誌『ひまわり』に編集部員として参加。編集の仕事に加え、手芸やアクセサリー、人形作りの頁を担当。また仕事の傍ら、画家・猪熊弦一郎の田園調布純粋美術研究所に通い、デッサンなどを学ぶ。1950年、フリーとなり、少女・婦人雑誌、手芸誌、幼児絵本などに挿絵、創作人形、手芸、童画などを発表。1952年の創刊号から1989年まで、37年間にわたり布貼り絵によって学習研究社の月刊絵本『よいこのくに』の表紙をかざった。1958年、高橋秀と結婚。1964年、夫のイタリア留学に伴いローマへ渡る。以後イタリアから日本に作品を送り続け、夫とともに作家活動を続けた。1971年、最初の絵本『ぴのっきお』を出版。1975年、布地コラージュによる絵画制作をはじめ、ヨーロッパと日本の画廊で作品を発表する。2004年、帰国後は岡山県倉敷市に居住。ローマでの生活を綴ったエッセイを出版するほか、句集を編むなど、多彩な創造を続けている。
「2019年 『高橋 秀+藤田 桜――素敵なふたり』 で使われていた紹介文から引用しています。」