学研まんが世界の歴史 (第4巻)

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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784051061999

作品紹介・あらすじ

黄河流域におこった中国文明は、殷・周の時代をへて戦乱の時代となり、秦の時代に統一された。後に漢の時代には、約400年にわたって帝国の統一が続き、文明が花開いた。

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  • 装丁・デザイン/アニマルハウス

  • 黄河流域におこった中国文明は、殷・周の時代をへて戦乱の時代となり、秦の時代に統一された。
    後に漢の時代には、約400年にわたって帝国の統一が続き、文明が花開いた。

    紀元前1700年ごろ、黄河流域に古代王朝 “殷” が生まれました。
    存在が確認されている中国最古の王朝です。

    殷の王は、占いによって神の意志を問い、それに基づく「神権政治」を行いました。

    しかし、神に頼る殷の統治も終わりを告げます。
    紀元前11世紀、殷の西にあった “周” が勢力を広げ、殷は滅びました。

    周は、殷とは異なる、“封建制度” という統治のしくみを用います。
    周の王は、一族の者などを諸侯に任じて地方を治めさせ、周の統治を支えさせました。

    神に頼る政治から、人が治める政治に変わっていった

    紀元前5世紀から紀元前3世紀、中国は7つの国が争う戦国時代を迎えていました。
    その中で、頭角を現してきたのが最も西に位置した “秦” です。

    紀元前221年、秦がついに中国統一を成し遂げます。

    始皇帝は、広い領土を一つにまとめるための制度を施行しました。
    全国を36の郡に分け、その下に県をおく「郡県制」です。この “郡” や “県” に官僚を派遣して、統治を行いました。
    また、それまで各地域によってばらばらだった文字や重さの単位、通貨を統一します。これにより、効率よく税を集めようとしました。

    始皇帝が中国を統一する前まで、各地域はそれぞれの王が治める独立国であったといいます。
    しかし始皇帝は、人々の心が一つになる前に、北の匈奴との遠征に人々をかり出したり、性急な政治を行いました。特に、もともと匈奴と関係のない南の国の人々の反感は強く、反乱が起こって秦は滅びます。

    秦が滅んだ後、紀元前202年に中国を統一したのは “漢” です。
    漢では、始皇帝の急激な統一への反省から、緩やかな統治を行いました。それは、郡県制と封建制を組み合わせたものでした。

    皇帝の影響力が強い都周辺の地域では、郡県制を導入して直接統治します。一方、独自の文化を持つ離れた地域に対しては、王などを任命して統治を任せる封建制度を用いました。
    こうした統治のしくみを、「郡国制」といいます。

    漢帝国の始まりから70年ほど過ぎたころ、登場したのが第七代皇帝の武帝です。

    武帝は、当時人々の間に浸透していた「儒学」を、国の学問として採用しました。これにより、人々が共有できる思想が生まれます。
    また、国の力を強めるため、塩・鉄・酒の独占販売を行いました。

    武帝は充実した国力によって、匈奴など周辺国との戦いに勝利し、国内外に直接統治を広げました。
    漢帝国は武帝によって、始皇帝の秦を超える大帝国へと発展し、400年にわたって中国を支配しました。

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著者プロフィール

昭和女子大学附属昭和小学校英語科専任講師。日本児童英語教育学会(JASTEC)関東甲信越支部運営委員。小学校教員向けの講座などで講師を務め、指導者の育成にも携わる。

「2020年 『小6英語をひとつひとつわかりやすく。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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