遊びの文化人類学 (講談社現代新書 476)

著者 :
  • 講談社
3.00
  • (0)
  • (1)
  • (3)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 19
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061158764

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=4061158767

  • 「遊び」に関する資料本としては参照できるところが多いだろう。記述の中で、戦略ゲームの発生は複雑な社会システムと関係があるとしているところは興味深かったし、なるほどと思わされた。

    実際、現代のレベルでも戦略ゲームを好むような層は傾向としてオタク気質な人が多いしような気もするし、反対に本書でチャンスゲームと称されているような単純なものを好むのはもっとさわやか(?)な人が多い気もする。

    現代人の好む遊びに焦点を当てた本も読んでいきたいなと思わせてくれた本。

  • 文化人類学者である著者青柳まちこ氏(1930-)による
    「遊び」の研究。
    はじめに(p.9)で語るように
    「社会を取り上げて比較して人間文化を考察する」アプローチと
    「民族誌の資料を活用して文化要素として考察する」アプローチに
    よって描かれている。
    いわば、世界のいろんな文化の現実の人々の行動に寄り添って
    遊びとは何かを考えていく本である。
    「○○とは××である」という演繹的な、あるいは西欧文明論の
    捉え方とはちがう
    (なので、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」に批判的だ)。
    帰納的な現実の積み重ねから描かれる真実味を追求しようという
    姿勢に基づく。

    カイヨワの分類、
    アゴーン(競争)、アレア(偶然)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)、
    そしてパイディア(解放、自由の概念)とルドゥス(求道、苦痛)という
    ものを取り上げ、整理しつつも、
    そこにはおさまらないものがあると考え、より深めていく。

    おもしろさの構成要素とその組み合わせという
    アプローチが、シンプルながらわかりやすい。
    「勝敗」「表現」「偶然」「熟達」「安楽さ」「眩暈」「創意」「緊張」
    無理に遊びを定型にはめるよりも、こうした要素分析と
    組み合わせのほうが、広大な遊びのフィールドを描く上では
    向いているような気がする。

    さらにそこに人間関係を踏まえて、
    遊びの型として

        個人的

    協同的   競争的
     (安楽)←→(緊張)

    という3つの型にまとめる。これも、なるほどと思わされる。


    また、人間行動を3分類から捉える。
    A「生きるための基本的行動」
    B「宗教や儀礼に関する行動」
    C「余暇の行動」
    である。
    そして、それぞれに
    X「生物的側面」
    Y「文化的側面」
    を考察する。

    B*X(宗教@生物)以外の5パターンが考えられるわけである。


    狩猟経済から農耕経済に移ると、労働時間が延びるという(サーリンズによる
    と)。
    現代資本主義は略奪経済のような気もするが、それはさておき。

    日本の農耕社会は、南の島々と違って、著しく手間のかかる労働が
    要求されたものだという。
    農村人口は約8割。

    だが分業が進むと、今までの「労働」「宗教」「余暇」が
    入れ替わってきたりする、という。これが大変おもしろい。
    基本的行動という意味では、神官のそれは宗教で、
    プロ野球選手のそれはボールを追いかけることだ。
    なるほど。そして、家庭菜園という「食糧生産」が余暇行動に転じる!

    社会が複雑になっていくと、行動の意味合いも
    複雑かするのであろう。

    日本人の農耕の勤勉性は、その労働投下量の必要性もさることながら、
    「田の神信仰」の影響力の大きさがあるのでは、と指摘する。
    そうなのか・・・ちょっと調べてみたい。

    さて、しかしこの社会では、余暇行動の積極的価値が認められることは
    ない(「またブラブラして!(怒)」となる)。
    それは現代日本でもそうなのだろうか?

    三章では通文化的研究によって、チャンスゲームの文化に
    触れているところが興味深い。
    民族の文化の中で、ゲームは
    「身体的ゲーム」「戦略的ゲーム」「チャンスに依存するゲーム」に
    分類されるが、
    社会組成との相関の中で、どんなゲームがよく見られるかという
    話になる。

    チャンスゲームを持つ文化は、性、攻撃、仕事の成就の中に
    軋轢が現れているという。不確定性が強く、それが人々の
    心にストレスを生んでいる、というべきだろうか。
    そこでは、身体的、戦略的ゲームだけでは軋轢が解消されないという。
    だから、チャンスゲームが、その困難を不確定性によって
    和らげて、望みを未来に繋げてくれるとのこと。

    いやはや、恐れ入った。そのとおりだと思う。

    最後では、日本人の遊びについて考察する。
    競馬、パチンコ、宝くじなどは、非競争的チャンスゲームであり、
    これは個人的な緊張型行動に分類されるだろうという。
    よって、日本人は個人性に◎、協力性に○といったところか、と
    結論づける。
    ギャンブル、ひとり旅、ごろごろ、などは個人的余暇行動。
    家族で過ごす、友人づきあいなどは協力性行動。
    真に競争的なゲームやスポーツをする日本人は多くない、と。

    うーむ。なんだろう。仕事で競争概念がしみこみすぎているから
    余暇にはそれを求めないのだろうか。
    しかしテレビゲームなんかには激しい競争性を発揮するものも
    あると思う(まぁ、この本が出たときにはまだないんだが)。

    本書を読んで、どうしてテレビゲームが社会から恐れられたのかが
    一端が見えた気がした。
    余暇行動そのものに全力でフィーチャーしている意味不明さが1つ。
    個人性、協力性ではなく、なじみの薄い競争性を持っていたことが1つ。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。文学博士。清泉女子大学助教授、立教大学教授、茨城キリスト教大学教授を経て、現在立教大学名誉教授。
主な著書に『遊びの文化人類学』(講談社、1976)『モデクゲイ:ミクロネシア・パラオの新宗教』(新泉社、1985)『子育ての人類学』(河出書房新社、1987)『トンガの文化と社会』(三一書房、1991)。主な編著に『もっと知りたいニュージーランド』(弘文堂、1997)『開発の文化人類学』(古今書院、2000)『国勢調査の文化人類学』(古今書院、2004)『老いの人類学』(世界思想社、2004)『ニュージーランド事典』(共編、春風社、2007)『ニュージーランドを知るための63章』(明石書店、2008)など。

「2010年 『国勢調査から考える人種・民族・国籍』 で使われていた紹介文から引用しています。」

青柳まちこの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×