ゲームの理論入門―チェスから核戦略まで (ブルーバックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061178175

感想・レビュー・書評

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  • ブルーバックスのゲーム理論本。ブルーバックスの中では古い作品だ。私の持ってるのは57刷版で2010年に発行されてるが、第1刷発売は1973年、ちょうど50年前の本。
    ゲーム理論の本はたくさんあるが、この本は数式を使わずに文章で説明されているのが特徴。図は数回出てくるが、数学的知識は不要で、サクサク読み進められる。
    個人的に、既に何冊かゲーム理論の本を読んでいるので、驚きの内容というのは無かった印象だが、これはこれでアリだろうと感じた。

    ゼロサムゲームと呼ばずに、ゼロ和ゲームと記されているのは、時代的なものだろうか。

  • この本によって私は初めてゲーム理論という学問分野に触れた。ゲームという言葉が学問的に重要な概念であることを学んだ。専門書のような定理や証明の難しい話はされていないが、ミニマックス戦略や囚人のジレンマだけでなく、投票ゲームにおけるシャープレイ値などもしっかり解説していて、いま読み返しても面白い。

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    ※以下は私が15年くらい前に考えていたことを改めて書いたものです。

    【得点付きジャンケンの考察】
    (1)2人のプレーヤーには3種類の戦略がある。[パー,チョキ,グー]
    (2)勝ったプレーヤーは開いた指の数の2倍の点数を得る。[10点,4点,0点]
    (3)引き分けは両者がそれぞれ開いた指の数だけ点数を得る。[5点,2点,0点]
    (4)負けたプレーヤーは何も得られない。[0点,0点,0点]
    (5)プレーヤーは自分の得点を高くすることにのみ関心をもつ。
    (6)このゲームはお互いに気の済むまで続けられる。

    [脳内会議]
    パー派:
    まずグーが合理的な選択肢から排除されることは明らかである。勝っても負けても引き分けても0点なのだから、これほど無意味な戦略は他にない。それで残るのはパーとチョキだが、グーが排除されて10点を得ることが不可能であるとはいえそれでもパーを出せばグーが排除された状況での最高得点[5点]を得ることができる。幸運なことに相手にとっても同じ状況なのだから双方がパーを出して5点ずつ得ればこれ以上は望めない結果になる。

    チョキ派:
    グーが無意味な戦略で排除されることには同意する。しかし5点を狙ってパーを出すということは「欲をかく」ということである。戦略とは常に最悪の結果を想定しながら選択されなければならない。パーを出した場合の最悪の結果は相手がチョキを出して0点。チョキを出した場合の最悪の結果はグーが排除されているのだから相手がチョキを出して2点である。合理的に考える、ということが最悪の状況で最良の結果を求めるという意味であるならば、0点のパーよりも2点のチョキを選ぶことになる。もし相手が「欲をかいて」パーを出せば5点には届かないが次点の4点を得ることもできる。

    グー派:
    双方がそのように考えてチョキを出せば双方ともに2点で「妥協」を強いられることになる。逆にグーを排除しないで双方ともに何も考えずに最高得点[10点]を狙ってパーを出すと5点で「妥協」を強いられる。2点の妥協と5点の妥協、どちらの妥協を選ぶべきか明らかであるが合理的にグーが排除されている状況で[チョキ,チョキ]から[パー,パー]へ移行するのは困難である。なぜなら[チョキ,チョキ]で安定している状況でパーを出したとしても相手が自分の意図に気付くとは限らないからである。むしろ相手はチョキで勝って得点が倍増[2点→4点]したことに喜んでしまうかもしれない。そうなれば相手は益々チョキに固執してしまうことになる。そこで合理的に排除されていたはずのグーが復活する。相手がチョキに固執するのであればこちらはグーを出して「報復」する。双方ともに0点になってしまうがこれは相手にとっては想定外の出来事であり、こちらがグーを出した意図を考えざるを得なくなる。あるいは単純にこちらを非合理的なプレーヤーと判断してパーで最高得点[10点]を狙ってくるかもしれない。そうなればこちらもパーで合わせてやれば[パー,パー]という理想的な状況が実現する。もちろん短期的にはグーで損をすることになるが長期的には5点ずつを分け合って得をするはずである。このようなグーという戦略のもつ「報復」的性格を認めると、一考して無意味だと思われたグーが重要な戦略であるかのように見えてくる。

    パー派:
    たしかにグーの報復戦略は有効だが、それでもグーが実際に選択されることはない。なぜなら相手も自分と同様に脳内会議をしているはずだからである。つまり向こうもこちらと同様に脳内会議でグーによる報復を提案する。提案した上でさらに考えを一歩進めて、報復の無意味さを反省して実際にはパーを出す。すると[グー,パー]となり自分としては色々と考えてグーで報復したはずなのに、パーを出した相手は最高得点[10点]で称賛され、グーで負けたこちら側は単なる愚か者になってしまう。重要なことは自分と相手が同じ思考の過程をしているにもかかわらず、相手の方が先んじてパーを出しているということである。つまり実際上はグーとパーが同時に出されているが思考上は相手が先にパーを出し、こちら側は遅れてグーによる報復をしている格好になる。ならば実際上でも自分が相手よりも先にパーを出してしまえば相手も自分と同じ思考の過程をしている以上、必ずパーを出して5点ずつ分け合うことになる。するとこの会議自体の存在が不要になる。このような脳内会議で無駄な時間を使っている暇があるのなら、とにかく相手よりも先にパーを出せばよい。

    チョキ派:
    先手先手のパー、か。しかしその考え方に合理性があるとは思えない。というのも[パー,パー]が理想的な状態であるとお互いが理解しているのであれば、わざわざ自分が先にパーを出すのは余計なリスクを負うことになるからである。つまり故意か否かにかかわらず、相手がチョキを出してしまう可能性がわずかでも存在する以上、こちらが先にパーを出すのは自分を不利にするだけである。相手が先にパーを出したのを確認してからこちらもゆっくりとパーを出せばよい、とお互いが考えているのだから結局はどちらも先にパーを出さない。「双方が同じタイミングで手を出す」という一般的な取り決めは単に慣習上そうなっているだけでなく、思考上の合理的な均衡の結果として同じタイミングになっているのである。したがって「とにかく相手よりも先にパーを出せばよい」という考え方は合理性の根拠を求める脳内会議の趣旨を無視して、手を出すタイミングの問題に話をすり替えている。

    パー派:
    言葉や超能力によって相手側と完全なコミュニケーションが成り立つと仮定する。このコミュニケーションの目的は双方が納得する合意を導くことである。この場合グーが合意から除外されるのは明らかである。同様にパーやチョキで勝ち負けがつく場合も合意には至らない。すると残るのは[パー,パー]と[チョキ,チョキ]だが双方5点と2点でどちらが合意内容として妥当であるか一目瞭然である。大事なことは実際に相手側とコミュニケーションをして合意を目指せば[パー,パー]以外の選択肢など有り得ないはずなのに、脳内会議と言って独りで考え始めるとチョキが合理的だとか、さらにはグーで報復だとか自分で自分の首を絞めるような議論に陥ってしまうことである。むろん言葉や超能力といったものはコミュニケーション手段の一種に過ぎないのであって、思うに「とにかく相手よりも先にパーを出せばよい」という戦略は相手側に自分の意図を明確に伝える、という意味でコミュニケーション手段の1つなのである。だから自分が先にパーを出すか、それとも相手が先にパーを出すかということは問題の本質ではなく、相手側に自分の意図を伝えるかどうかが問題なのであって[パー,パー]が唯一の妥当な合意内容である以上、たとえ相手側のチョキという誤った戦略によって負けたとしても、パーという戦略の「正しさ」は変わらない。

    グー派:
    誤って出す戦略がチョキだけとは限らない。[パー,パー]の談合戦略に対してチョキが誤った戦略だと言うのであればグーもまた誤った戦略である。ところがその誤った結果は全く異なる。グーで誤るということは当初の[パー,パー]の談合による5点ではなく、最高得点の10点を合意通りにパーを出したプレーヤーが得ることになる。これを単純にグーを出したプレーヤーの過失として看過することはできない。なぜなら相手の間違いによって談合よりも良い結果を得るということは、次の回以降も相手の間違いを期待することになるからである。つまり表向きは[パー,パー]で談合しながらも心の中ではお互いに、相手が間違えてグーを出すことを願っているのである。これは既に「完全なコミュニケーションによる合意」とは言えない。そこで次のような戦略を考えてみる。もし相手が誤ってグーを出して[パー,グー]となった場合には次回では必ず自分がグーを出して[グー,パー]でお返しする。[パー,パー]の談合が2回続いた場合には5点ずつを2回で10点。[パー,グー][グー,パー]の場合は10点を1回ずつで10点。つまり結果的には当初の談合で見込める得点を維持できる。このようなお互いの間違いを前提とした得点調整の取り決めを「紳士協定」と呼ぼう。[パー,パー]の談合はグーに対する紳士協定をその戦略に組み込むことで安定的に運用されるだろう。しかしチョキに同じ役割を期待することはできない。というのも相手がチョキで誤って[パー,チョキ]になった場合、紳士協定で次回は[チョキ,パー]にしたとしても2回合計でお互いに4点ずつしか得られないからである。当初の談合なら2回合計でお互いに10点ずつ得られたはずなのに一方の間違いのせいで双方が6点分の妥協を強いられることになる。このような紳士協定は早々に瓦解してしまうだろう。そのため[パー,パー]の談合戦略が成り立つためにはパーとグーによる紳士協定が条件となる必要があるが、他方でチョキはこの談合戦略から除外されなくてはならない。

    チョキ派:
    "グー派"の考え方は一方のみが誤ることを前提としたものである。そうではなく双方が[チョキ,チョキ]で誤った場合は同じく双方が[グー,グー]で誤った場合と比べてお互いの損失は少なくて済むわけだから、双方が誤るのであればグーよりもチョキの方が良い、ということになる。そうだとすると表向きは[パー,パー]で談合しながらも心の中ではお互いに、相手が間違えてグーを出すことを願いつつも、心の中の中ではお互いに、相手が間違えてチョキを出すならばこちらも「意図的」に間違えてチョキを出す用意をすることになる。これは既に「完全なコミュニケーションによる合意」とは言えない。意図的、ということから察せられるようにこの心の中の過程はまさに脳内会議でこれまで論じられた内容に沿っていることがわかる。完全なコミュニケーションによる合意と言ってあたかも自分ではない相手側と話し合いをしているように思わせているが、実質的には自分と同じ考えをもつ別の自分を作り上げ、自分で自分に約束をしてそれを[パー,パー]による合意と呼んでいる。その結果として[パー,パー]の理想的な状態に対して脳内会議はその理想の実現を阻む余計な思議とされてしまう。しかるに異なる戦略についてそれぞれの合理性の根拠を求める脳内会議の方が対話の名実に適している。このゲームにおける合理性の根拠とは「パーにはパーを、チョキにはチョキを」というその応答性にある。相手の戦略がパーである場合はこちらのパーに合理性が生まれ、チョキである場合にはこちらのチョキに合理性が生まれる。つまりパーとチョキの戦略的な区別は合理と非合理で区別されるのでなく、合理性の強弱で区別される。お互いに相手の戦略に応答したときパーなら5点でチョキなら2点なのだから、その意味でパーには「強い」合理性がありチョキには「弱い」合理性があると言える。合理性の強弱はこのゲームの合理的な戦略を形作る半身をなすものであって、これに反してお互いがそれぞれの戦略から合理性を否定して排除しようとすると、グーという本来は無意味な戦略がそれでは何も得られないにもかかわらず、報復や紳士協定と言ってあたかも意味のある戦略として利用されてしまう。ゆえに、このゲームでの戦略の合理性について言えることは強さの度合いであって正しさではない。

    グー派:
    以上で議論しているゲームの形式は囚人のジレンマではなく、いわゆる「鹿狩り」ゲームである。囚人のジレンマの場合は均衡点よりも全てのプレーヤーにとって良い利得の非均衡点の存在が問題になる。これに対してルソーに由来するとされる「鹿狩り」ゲームの場合は、複数の均衡戦略の間での折衝が問題になっている。
    [21.0214]
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  • 興味が続かなくて挫折。

  • ブルーバックスだから、もう少し簡単な内容かと思ったが、案外難解であった。

  • 読了メモ。M.D.デービス『ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで』。人間の行動法則を追求するゲーム理論。たくさんの事例と数式を使わない記述で解説している。有名なのは囚人のジレンマ。刹那的に生きるのは、得てして感情的で非合理的な行動をする。個体ならまだしも、である。

  • [ 内容 ]
    人間社会の“かけひき”を分析する。
    《軍事作戦》勝利を最大にするには、兵力をどう配置すべきか?
    《選挙戦》左翼や右翼など両極を狙うか、中間層を狙うか?
    《マーケティング》どのテレビ時間帯を買うのが一番有利か?
    《夫婦間の争い》夫はボクシング、妻はバレエに行きたい。どうすればよい?
    《労働争議》早期解決のためには、闘うべきか、妥協すべきか?
    《囚人のジレンマ》黙秘を続けるべきか、共犯証言をすべきか?

    [ 目次 ]
    1 一人ゲーム
    2 完全情報・有限・二人・ゼロ和ゲーム
    3 一般・有限・二人・ゼロ和ゲーム
    4 効用理論
    5 二人・非ゼロ和ゲーム
    6 n人ゲーム

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 個々の例は理解するのに難しく、読み飛ばしてしまったが、言いたいことはそれなりに理解できたと思うが、やはり難しい部類の本だ。

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