- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061385641
作品紹介・あらすじ
批判の的になった「AKB商法」こそが、新時代の鍵だった!
「AKB商法」という言葉があります。CDを複数枚買ってもらうことを前提としたこのリリース形式は、AKB48を筆頭にグループアイドルの躍進をもたらすと同時に、激しい批判にさらされてもいます。はたして、彼女たちの人気はまがい物で、アイドルなど取るにたらない存在なのでしょうか? 本書ではそのような批判を念頭に置きつつ’70年代から現在までのヒットチャートに基づき、日本のポップミュージックの歴史を振り返っていきます。そこから見えてきたのは、アイドルと「AKB商法」こそが音楽産業を救ったという意外な事実でした。そう、今や「僕たちとアイドル」こそが、新たな時代をもたらしているのです。
感想・レビュー・書評
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「「DD」でも良いから」という言い方がこの本の核心だろう。アイドルの歴史は、若者の支持を反映したものから、へたでもいい色物へ、一時的な通過点にすぎないものから、アサヤンと努力友情勝利へ、地下アイドルブームやファンとの距離、特典商法とスキャンダルと台本とメタな演出、質が高くなってアーティスト化するグループもあり……で、アイドルの商法は別にバカにするものではなく、ミスチルのタイアップ商業意識、椎名林檎の「キャバレー作りたい」とか、「みんなそうしなければならなくなっている」のであり、つまりは音楽のやり方の変遷を追っていて、面白かった。良い音楽、音楽そのものはもちろん大事だが、どこに貴重さを作るか。ドラマとタイアップしていて話題だから貴重。ネットで評判で一般ピーポーが知らないから貴重。カラオケでみんなが歌っているから貴重。限定版で、複数買ってアイテムを揃えられるから貴重。LGBTうんたらで貴重。本気でリリシストだから貴重。その「貴重」の作り方の歴史を、アイドルを中心に描いている。アイドル~?あんなアホみたいな……というものの、もう時代そのものがAKB商法なしにはやっていけない。純粋な音楽で勝負とか、極端な考え方はもう古い……。これを読みながら考えたのが、いつかUMBの決勝がアイドルVSお笑い芸人になって、ずっとラップしてきた人が途中で負けたりするのだろうなぁということだ。
ではこれからのアイドルはどうなっていくか、は、書いていない。なぜなら、アイドルをやらないと、どんな音楽ジャンルだろうが、アートだろうが、文学だろうが、やっていくのは非常に厳しいからだ。どんな風なアイドルになるかはわからないけれど。枕営業をどんどんやるのもよし、ファンの子を孕むのもよし、社長の友達からうつされた加齢臭をばらまいて踊るのもよし。なんでもありで、なんでも使って「あるアイドル」の形になるしかない。ファンのDDは、アイドルになるしかない表現者のDDでもあるのだから。「DDでもいいからCD買って下さい。だって私達もDDなのだから」
アイドルという概念について、ただちやほやされている軽薄なものという考え方を変えてくれる、重い一冊だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アイドルも多様性の時代。昔と今で、本質的なアイドルの定義は変わったのか。「AKB商法」というキーワードと共に、現代のアイドル文化を検証していく。
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2013年に刊行された『AKB商法とは何だったのか』(大洋出版)の改版です。
いわゆる「AKB商法」に対する批判の背後にある、「商業主義の作品がチャートの上位になるのはおかしい」という意見に対して、いまや音楽チャートは、優れた作品をファンに届けたいというアーティストが切磋琢磨する場ではなくなっていることを指摘し、そうした変化を巧みにつかんだのが秋元康がプロデュースするAKBグループだったと論じています。併せて、南沙織以降のアイドル史を概観し、アイドルの受容のあり方がどのように変化してきたのかということを明らかにするとともに、AKBとそれにつづくアイドル・グループがそうした状況におうじたパフォーマンスを展開していることが解説されています。
「AKB商法」への批判に対する著者の論駁は説得的で、本書で語られていた展望はいまや当たり前になっているようにも思います。ただ、AKB商法とそれに関連する倫理的な批判に対して、著者が示そうとしている回答には、若干の疑問を感じました。
かつて宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』(ハヤカワ文庫)において、東浩紀に対する批判を展開したことがありました。日本のポストモダニズムにおいては、小泉今日子への批評に代表される、「メタ」な観点を批評に繰り入れることに対して高い評価をあたえる傾向がつづいていましたが、宇野は東の「セカイ系」に対する評価をそうした系譜に含めて批判するとともに、宮台真司の「意味から強度へ」というスローガンで知られる思想をやや強引なしかたでみずからの文脈にたぐり寄せつつ、「サヴァイヴ系」の作品を評価します。さらに彼は、それにつづく著作で、こうした議論の延長線上においてAKB48への愛を語ることになりました。
これに対して本書では、「アイドル戦国時代」ということばについての考察をおこない、AKBグループやももいろクローバーZのパフォーマンスにおける「闘争原理」に目を向けつつ、BiSや私立恵比寿中学などのメタアイドル的なパフォーマンスについても好意的に言及しています。ただ、そもそもの宇野の批判は「レイプ・ファンタジー批判」という、きわめて倫理的な色合いの強いものだったことを思い起こせば、この二つのパフォーマンスの違いをたんなる売り出しかたのちがいとして処理することはできないはずで、本書の議論にいささか混乱をもたらしているように感じます。 -
アイドル史としてとっつきやすくて読みやすい
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握手券や投票権などのおまけを同封すること=AKB商法だと思っていましたが、同一シングルで多数のバージョンを用意するような、1種類のCDを売るための様々な手法を指すようです。ただ、身近なところではマクドナルドのハッピーセット、最近では映画「ラブライブ」の特典のように似たようなことはどこもやっていますよね。AKB商法という名前になっていることで、AKBが矢面に立たされがちなのは少し不公平かなと思います。でも、それのおかげでAKBも注目されているわけで・・・何だか、自分の中で結論はあまり出ませんでした。
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タイトル変更で、余計に何言ってるのかわからない内容に。
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AKB商法と揶揄されるものが当たり前になった世界で、アイドルだけではなくいろんなアーティストもその戦い方をせねばならない時代。はじめは否定され攻撃されていたものも一般化したというのは彼女たちが大きく受け入れられたことの証左でもありまた大きな流行が、流れがやってくる前日潭になるのだろう。
以前に発売された『AKB商法とは何だったのか』の増補版でもあるが2014年の年末やその後のことも追加されている。キリショーの試みや椎名林檎の発言など彼女たちの時代のあとに何が起きて来るのか。
そういうものが現れてくるころに、一般的になったときに続編みたいなものを書いてもらえたら次もやっぱり読みたいよなって思う。