- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061495708
作品紹介・あらすじ
民族紛争、人種差別から「公然の虐待」まで、あらゆるレベルの人間関係の紛争や対立をどう解決するか。世界中でワークを実践している著者の衝撃的な主著。
感想・レビュー・書評
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2020年30冊目。
「争いで平和を築くのである」......最後に出てくるこの言葉が強烈に響く内容だった。
ファシリテーションというと、どこかに「争いや対立を起こさないようにまとめる」というイメージがあった気がする。けれど本書が提唱するワールドワークのファシリテーションは、むしろ対立構造を浮かび上がらせ、ある意味で対立を促す。そのために、それぞれが抱える怖れ・怒り・偏見のような負の感情を、あえて表面化させていく。
深い場所に隠された感情は、表面的な解決策が為された後もくすぶり続ける。表面的に解決されることによって、そのくすぶりは覆い隠され、見えづらくなる。これはむしろ危険なのではないかと思わされた。
対立が表面化することで、そこにいる人々には様々な「自覚」が促される。ワールドワークは「自覚の政治学」だと表現されるくらい、コミュニティの構成員一人ひとりによる様々な自覚が前進の鍵を握ると言われている。
その自覚対象として大きな力を持つのが「ランク」という概念。それぞれの立場にある者たちが、無自覚に抱いている特権意識。これを自覚しないまま取られるコミュニケーションには分断が生まれる。
ランクの自覚は、自分が権力を持つ主流派側にいることだけに限られない。マイノリティの犠牲者とされる人々のなかにも、それゆえの特権を無自覚に抱いていることがある。同様に、主流派側にも、その立場ゆえの脆弱性が潜んでいる。
どんな立場にある人たちも、ある面では脆弱であり、ある面では特権を持っている。その善し悪しを判断するのではなく、そういうものを持っているという自覚そのものからすべてが始まるのだと思った。自身は抑圧者でもあり、犠牲者でもある、その両面性に、痛みを伴ってでもちゃんと気づくこと。
ファシリテーターの役割は、その痛みの表現を促し、場合によっては一時的に対立を生じさせ、コミュニティに自覚を育むこと。だからこそ、まずファシリテーター自身が、自分の感情やランクに自覚的でなければならない。
この本が説いていることは、生半可な覚悟では実行できないように感じる。原題は「Sitting in the Fire」。くすぶっている火種に薪をくべ、火を消したいという本能に抗い、燃え盛る炎のなかに留まる意志が求められる。
けれど、そのために必要な心構えは、強靭な強さではなく、むしろ、物事を燃えるままに委ねる穏やかさなのかもしれない。
今の時代に、強く求められている本だと感じる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 )
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「トラブルに価値を認めるのだ。あるがままを受け入れてほしい。争いで平和を築くのである。」
特権に自覚的になること。普段避けている偏見や価値観についての話題を、あえて包み隠さず他者と話し合うこと。そして他者の怒りを虐げられたものの抵抗として受け止め、その歴史的、社会的背景までも理解しようと試みること。傍観や無関心ではなくあらゆる虐待をなくすよう自ら働きかけること。
事例を交えながら、ランク、ダブルシグナル、長老といった独自の用語を用いてワールドワーク(討議の場での話し合い)の心得?を解説する。語り口はエッセイのようだが、その実践の内容は軽いものではなく、著者がファシリテーターとして参加した事例は紛争地帯の対立グループ同士の対話や、黒人と白人、また異性愛者と宣教者、テロリストなど多岐にわたる。
討議のファシリテーターとしての「長老」に要求される技能は非常に高いものだ。討議の場に現れるダブルシグナルを見逃さず、秘められた怒りの感情など抑圧された気持ちの吐露を促しつつ、参加者の誰にも加担しないように、批判が特定の人物に集中しないように気を配って、対話によって参加者を新しいステージへと導いていく。長老になるのはとても無理だと思ったが、あらゆる対人関係の基礎になるようなエッセンスが詰まった原液のような本であることは間違いない。爪の垢を煎じて飲むくらいのことはしたい。 -
初心者には難しい内容。ランクについて。
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ユング派に属しつつ、身体とか、夢とかを重視しつつ、タオイズムやさまざまなシャーマニズムなどなどを統合したミンデル。
その手法であるプロセス・ワークを社会問題に展開したもの。
社会におけるさまざまな紛争に伴うさまざまな苦痛や偏見、憎悪をあえて表出させることを通じて、その解決を出現させるという感じかな。
例えば、いわゆる「対話」だったら、一旦、自分の意見をサスペンドした「対話」をすることを通じて、社会的な問題を解決しようということになるのだろうけど、このアプローチは、はるかに熱いというか、「炎のなかに座ること」を通じて「出現」する解決という感じかな。
センゲ一派のアダム・カヘンは、「手強い問題は、対話で解決する」で、「問題当事者がやっぱり話し合い気がなければ、うまくいかないねー」的なことを書いていたが、この本はもっと社会問題の解決の可能性についてポジティブな感じ。
偏見的な意見、憎悪に満ちた意見に対しても、冷静、中立的に対応するだけでは駄目ということかな。
つまり、そういう冷静な態度自体が、一種の優越性を前提としているということ。
憎悪する感情に対しても、自分のなかにあるものとして、受け入れること。
憎悪を抑圧するのではなく、受け入れ、ある意味、身体的に増幅することを通じて、解決を見出すみたいな感じ。
そんなんでどうにかなるのか、と思うのだが、ファシリテーターが、メタスキルをもって、接すれば、どうにかなるそうだ。
主旨としては、分かるのであるが、本当に、そんなことが可能であるのかは、やっぱり実感できない。
こうなったら、プロセス・ワーク方面のワークショップにでも参加してみるか。かなり、怖いもの見たさの世界ではあるけど。 -
この本は「心理学」というタイトルがついてはいるが、本書で取り上げられている内容は、従来の「心理学」だけではなく、社会学・政治学・人類学・文化学・ジェンダーなど複数の視点を持たない読者には、理解するのは困難である。本書が発行された時期が、あの忌まわしい事件「9.11」直後ということもあり、書店でこの本を手にとってページをめくったり、興味を持って購入した人も多いだろう。私もその一人である。
彼は本書では繰り返し「対立が厳しい世界こそ対話が必要だ」と説く。彼は世間で「テロリスト」と呼ばれている人たちについて「社会で抑圧されている人々」と表現し、彼らから「敵」と認定されている我々は、彼らから見れば強い立場にある人間である事を忘れてはならないと主張する・そして対話を主導する立場にある人も、強い立場にある事を忘れてはいけないのだと述べる。おそらく世界中でテロ事件を起こしている「イスラム国(IS)」も、おそらく「自分たち以外の人間はみんな敵だ」という論理で行動しているのだろう。彼らとの対話が成立するのかは、はっきり言ってわからない。だからこそ彼らみたいな人間を、本気で対話の席に引っ張り出す手段を考えるべきなのだ。報復爆撃だけでは、この争いが終わることはないだろう。 -
テロリズムとか内戦とか、なんで殺し合いするのかとても理解できない、と思う心が根本のところで紛争に繋がってるかもしれない。そんな想像力がこれからのグローバル社会には必要かもしれない。実は日常生活にだって紛争はある。解決には単に正悪という物差しで判断するのではない大いなる知恵が必要とされる。
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Sitting in the fire ―
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1495704 -
本は薄いのに、内容が濃すぎて読み進むのに時間を要します。「あの場面はどうだったんだろう…?」「ということは…?」と、ありとあらゆる場面のロールに思いを馳せ、若干混乱します。そして、嵐の要素が沈殿したら、新たな真実が見えてくるかも。知っておくと、生きやすくなると思われる一冊です。組織や人とかかわる方は、必見です。