愛国者は信用できるか (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.45
  • (12)
  • (21)
  • (50)
  • (2)
  • (2)
本棚登録 : 237
感想 : 34
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498426

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 鈴木邦男という人の凄みについて思い知る。切れ者、というわけではなかったのかもしれない。凡百の学者ならベネディクト・アンダーソンなどを引いて整理する(かもしれない)愛国の作法について、著者はあくまで自分自身の読書と現場で見た光景を引くことによって語り、そこから血肉化された自身の生理/皮膚感覚に裏打ちされた骨太の見解へとつなげていく。その手付きに無理がなく、こちら側の小市民的生活に肉迫した言葉として現前してくるので実に読みやすく、またすんなり腑に落ちる。ユーモアのセンスもあり、啓蒙書として読ませる深みを感じる

  • ふむ

  • 特記すべき事項なし。本書を読んでみても、著者の激越とも見うる言動で、誰がどのような福利を享受しえたのか、誰がいかなるマイナスを被ったのか不明なままである。

  • 【感想】
     有名な活動家による(右翼談義や政治活動家界隈の)よくある話がメインの新書。たいして取り上げることもない。
     これまでの著書を数冊パラパラ見たところ、本書との重複が多かったので、本書の意義というものは無さそうだ。

    【目次】
    私の愛国心――まえがきに代えて [003-010]
    目次 [011-014]

    第1章 「愛国心は嫌いだ」と三島は言った 015
    「愛国心――官製のいやなことば」/「俺は愛国者だ!」と叫ぶ見苦しさ/われわれはとにかく日本に恋してゐる

    第2章 誰のものか――愛国心争奪の歴史 033
    愛郷心と愛国心の戦争/「下からの愛国心」と「上からの愛国心」/「国際主義こそが進歩的」の時代/文化大革命へのコンプレックス/愛国心の暴走をどのように止めるか

    第3章 愛国と憂国――その決定的な違い 053
    サミュエル・ジョンソンの有名な言葉/自己愛があるから国家への愛がある/三島は憂国の故に自決した/『腹腹時計と〈狼〉』に込められた憂い/「愛国心」の持つ危険性

    第4章 愛国者の条件 069
    憲法改正問題と国旗・国歌の法制化/日の丸・君が代にどっぷり浸かった大学時代/闘う「僧兵」と化した/国旗掲揚と国歌斉唱/愛国者の絶対量は達成した

    第5章 天皇制と愛国心 091
    国民の天皇への尊崇の情/岩倉具視が発端で御真影がつくられた/歴代天皇の肖像画/「日本国歴代天皇御真影」

    第6章 謙遜の日本史 109
    『ベルツの日記』に描かれた自虐的日本人/坂口安吾が『堕落論』で語る天皇制/ベルツを戸惑わせた「謙遜」/天皇の名のもとの「自己否定」/『古事記』や『日本書紀』の〈日本精神〉

    第7章 天皇論の革命 127
    「我々には天皇を基にした変革がある」/プロレタリア作家を殺した警察の間違い/竹中労こそが〈里見岸雄〉だった

    第8章 過熱する女帝論議 141
    右翼少年をテロに走らせた力/「右右論争」が突出する女帝問題/皇太子妃は「男の子を産む機械」ではない/陛下の御叡慮をこそ尊重すべき

    第9章 三島の改憲・女帝論 161
    「皇位の継承は男系子孫に限ることはない」/今日の問題を予言していた作家の目/三島が女帝を考えるようになったのは何故か/人間天皇への怨みごと/皇太子妃に押しつける国民の我儘

    第10章 「愛国心」の必要ない世界は来るのか 179
    辞典に見る「愛国心」の記述/藩から国へ、自分の家から国家へ/愛国心は小声でそっと言うべき言葉

    あとがき(二〇〇六年四月 鈴木邦男) [193-194]
    参考文献 [195-197]

  • ボクは国を愛している。本人が言うのだから間違いない(笑)言うまでもなく、それ以上に自分を、家族を、故郷を愛している。

    愛国がこじれると『日本以外はみんな屑』になってしまうんだろうか?愛国って、外に向けないと発露できないのだろうか?常々そう思ってきたので、『日本を守るのではなく、日本を守るべき価値のある国にする』という(私が達てに意訳してます)鈴木氏の主張には頷ける部分が少なくない。

    しかし、日本てなんだろう?日本にかぎらず文化や伝統や歴史なんて重層的で多元的で、「個」の集合体なのだから、「これこそが日本文化だ」なんてものは存在しない。和食だって歌舞伎だって着物だって、日本文化を構成する要素の内の代表的な(しかも比較的新しい)ものの一部でしかないのだ。だから、日本や日本の文化や日本の伝統を「こうだ」と決めつける人をボクは信じない。

    国を愛するということは、日本の中の多様性を守ることであり、それは畢竟世界の多様性を認めることに他ならない。そういう意味でも、私は愛国者でありたいと思わせる1冊だった。

  • ものすごく平易な文章で読みやすい。
    著者は右翼であるが、中立的な視点で公正な見方のできる人だと最初から最後まで感じた。
    愛国心というものは他者に強制するものではなく、自己完結的なものなのだ。
    右も左も他人を攻めることに忙しい昨今、この位のバランス感覚を持って議論してほしいものだと思う。

  • 彼女が買ってきた本。

    著者は新右翼とされている人だが、アホみたいな何も考えていないネット右翼やその他の右翼はこの本を読めばいいと思う。

    ちなみにこれは不思議に思ったのだが、「国体を愛す」ということは、そのときの政権をも愛していることになり、政権が変わった日本で「かつての政権を愛していた人」は、果たして今も「愛国者」と言えるのだろうか?

  • 一水会という新右翼とも呼ばれる団体を立ち上げた右翼の超大物が綴った作品。愛国者と自称する者がいかに危険であるかがわかる作品。
    まして彼がいうのだからその重みが明らかに異なる。

    愛国心の歴史、三島の思想、極左と民族派の意外な共通点など現代の諸問題に一石を投じた作品。

  • チェック項目14箇所。今の日本は、「ともかく愛国心を持て」「愛国心は常識だ」「愛国心さえもてばいい生徒、いい日本人になれる」と言っている、冗談じゃない、そんな単純なものではない、だから、この本では初心に返って愛国心とは何か、を考えてみた、愛国心は宝石にもなるし凶器にもなる、一面だけを見るのは危険だ。「愛国者」を自任する人は、家族や町、市、県からは孤立し、嫌われ、そのくせ「俺は愛国者だ」と言っている人が多い、三島の言うように、この共同体をピョンと飛び出して、国と自分が対等になって「愛している」と言っている、これでは思い上がりだし、錯覚だ。日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であって、「愛」ではない、もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限定無条件でなければならない、従つて、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない、なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。三島は「愛」ではなく、「恋」でいいという、この二つはどう違うのか、僕が思うに、恋は一方的なものだ、相手がどう思っているか知らないが、一方的に思いを寄せる、人が結婚する時も愛ゆえだが、離婚する時も愛ゆえだ、「こんなに愛しているのに、応えてくれなかった」と自分の愛の大きさをでもって、相手の愛の小ささを攻撃する、また「彼女を一番愛していりうのは自分だ。彼女を幸せに出来るのは自分しかない」と思いつめる若者も多い、ストーカーも愛ゆえだ、愛は相手を縛り、拘束、時には暴力的になる。日本の場合は、二千年以上も国家を意識しないできた、明治維新以降、「西欧に追いつき追い越せ」で、急遽、近代国家をつくったのだ、憲法をつくり、国旗・国家をつくり、愛国心を教えた、西欧列強と肩を並べるために、近代国家・国民国家にならなくてはならない、アメリカのような愛国心を取り入れる必要がある、国の成り立ちが全く違うのに、そう思った、そこに無理がある。西郷軍が強かったのは西郷という強力なカリスマがいたからだ、こちらにはない、それで急遽、天皇を前面に持ってきた、それまでは「公家の代表」で雅びな天皇を、国家の中心にし、カリスマにしようとした、国家の求心力にしようとした。天皇独裁の国だったら戦争を止められただろう、しかし立憲君主国家だから、天皇も憲法のもとだ、国会が決めたことは覆せない、マスコミだって、「戦争やるべし!」と煽った、最後のギリギリになって、天皇の聖断にすがりつくしかなかった。まず愛国は保守的であり、憂国は革新的である、愛国はともかく美点を見つけ出し賞めなくてはならない、この日本のすべてを認め、愛する、現状容認だ、これを変えるのは嫌なのだ、現状維持的であり、保守的であり、受身だ、憂国は、この国の状態を憂うるのだ、もちろんこの国は好きだし、愛情はある、しかし、これでいいのかと怒り、憂うるのだ。憂国は暴発的な決起に結びつき、危険な連鎖のように見える、愛国は現状維持的で平和なように映る、しかし、一概にそうは言えない、憂国は、時に暴力的になり、暴発し、連鎖する、しかし、あくまでも個々人の自発的な意志に任されている。「尊重」と「強制」は全然違う、例えば僕は日の丸・君が代は好きだし尊重している、だからこそ大事にしたいし、やたらに強制してほしくない。国旗も国家も明治維新以後につくられた、実は初めは「五つの君が代」があったという、オペラ風のものもあれば、雅楽風のものもあり、讃美歌風のものもあった。明治維新は武士が中心になり幕府を倒した、っでは、武士が中心の世の中になったか、そんなことはない、刀を捨て、チョンマゲを捨て、藩まで捨て、武士という存在すべてを消滅させた、勝利者が自らを消滅させるなんて、歴史上、他にはない、「巨大な自己否定」だ。明治維新前は、日本人に「愛国心」はなかった、国への帰属意識も一体感もなかったからだ、「くに」は日本国ではなく、藩だった。企業はさらに<国家>的だ、献身を要求される、いや、企業の方が、より強い、いま、「国のため」に死ぬ人はいないが、「企業のため」に死ぬ人は多い、仕事のし過ぎで、過労死する。

  • この人の本は3冊目。
    過激な右翼活動を続けてきた著者が「愛国心」を批判。

    歴史の資料や、三島由紀夫の著作を丹念に読みそれらをもとに「愛国心って結局何?」ということをたどっていく。
    なんだか、新書というだけあって、他の氏の著作よりも難しかった。

    日本の愛国心なんていう概念は、藩が国だった江戸時代から、明治に移行する際に欧米に負けない為に天皇を中心として作られた概念だそうで。

    「優しさ」「謙虚」「寛容」が日本人の良さであり、美徳であったのに、それが押し付けがましい「愛国者」により踏みにじられているという。

    この日本という国とどう向き合うか・・・一人一人それを考えていきたいものだ。

全34件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1943年福島県郡山市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。72年「一水会」を結成。

「2020年 『彼女たちの好きな鈴木邦男』 で使われていた紹介文から引用しています。」

鈴木邦男の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×