中庸 (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061585959

作品紹介・あらすじ

人間の本性は天が授けたもので、それを”誠”で表し、「誠とは天の道なり、これを誠にするのは人の道なり」という倫理道徳の主眼を、首尾一貫、渾然たる哲学体系にまで高め得た、儒教第一の経典の注釈書。

感想・レビュー・書評

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  • 中庸とは、「いつでも真ん中を選ぶ」とか「中途半端でいる」という意味ではない。
    まず、その言葉を得ただけで価値ある1冊です。

    ずっと読んでみたかったのです。中国の思想、哲学といえば
    論語、大学、孟子、そして中庸。まだ論語しか読んでいなかった身、以前から読みたいと思っていました。
    先日ブックオフで半額だったのをみかけ、手を伸ばしました。

    大学や孟子よりも先にこの本を選んだのは、仕事上の経験と結びついたからです。

    極端な意見、感情に流された判断。そういったもので自分をすり減らし、職場を去る人間を幾人も見送ってきました。
    偏りがある、そのことが問題なのではないか。2つの意見があった場合、より適切な正解はその間にある答えなのではないか。そう実感するようになりました。いうなれば、弁証法です。

    さて、この本には何が書いてあったか。自分の意見を弁護してくれる内容だったか。答えは部分的にはイエス。全体はノーです。

    左か右か選ばないこと、それ自体が大切なのではなく。
    常にその時節の「最適」を選ぶこと。
    そして選んだあとには、元の真ん中、つまりニュートラルの場所へ忘れずに戻ること。

    私の意見に比べてより深く、もっと柔軟に動きをともなう考え方でした。

    古典ですので、現代風な例はもちろんありませんが私のイメージは車、特にマニュアル車です。

    発進するときは1速、坂道は2速、高速道路を滑走するときは5速で走ります。
    ですが、いずれの場合もギアチェンジの時には足元のクラッチを使います。
    踏み込むことで、「どのギアにも接続されていない」ニュートラルを経由するのです。

    ずっと1速では目的地にたどり着けません。
    ずっと5速では、、、そもそも走り出せません。
    ずっとクラッチを切らなければ(ニュートラルを経由しなければ)エンストしてしまいます。

    このニュートラルを経由する動きこそが、人生における中庸なんだろうな。常に真ん中の3速であるべきという考え方は硬いな。 そう思えます。


    文中は、中国の神話上の君主の名や、儀礼典礼の説明など、読み込んだらきりがないことばかり。見た目も講談社学術文庫だけに難しそうです。
    ですが、もっと気軽に読み飛ばしてしまってはどうでしょうか。

    私が読み取ったのは、上記のような「中=未だ発せず(なにもない)状態を忘れない」というライフスタイルだけ。それだけでも十分に読み応えがありました。


    白黒はっきりつけたい?
    そんな人は常々中途半端を忘れずにいてください。

  • ………

     中庸を得ている、とか、中庸が大切だ、とか言われる。
    その場合の中庸とは、足して二で割ったような、一種の平均的なことを
    意味することが多いようだ。
     その中庸という言葉の出典がこの本である。
    ただしこの本でいう中庸とは、一般に考えられているのとは少し違って、
    その場、その時に、もっとも適切妥当なことである。
    たから本当の意味での中庸は、生易しいことではなく、
    常に中庸を得ることができるのは聖人だ、と言われる。

    ………

    以上、この本の序文を引用いたしました。
    私は中庸という言葉は知っていましたが、
    中庸という名の書物があることは知りませんでした。

    中庸という言葉の意味も、上の序文の最初の例に挙げられている、
    平均的でなにも特徴的な部分がない。
    という意味しか知りませんでした。


    この中庸という本。
    元は、中国の「礼記」という書物の中の一遍だったそうです。
    それを著したのは、この本の本文の中では孔子の孫の子思ということになっています。
    しかし、その後の研究によると、それは正しくないというのが今日の通説だそうです。

    そして、朱子が礼記の一遍だった中庸を三十三章に分け、
    一つの書とし、長く伝えられてきました。

    その中庸を大正に、坂本真三という人が「四書講義 中庸」という本で解説し、
    それを宇野哲人が現代版にしたものが、今私が読んだこの「中庸」という本です。

    さらに、最初に挙げた序文を書いたのは、宇野哲人ではなく、
    その宇野哲人の息子であると思われる、宇野精一という方です。


    なんと面倒なことか。
    その為、本文を読んでいても、これは誰の立場で書いている文なのか、
    よく分からなかったりします。
    また、解説も元が大正期の文ですから、さらにそれを現代語訳して読む必要があるほどです。

    そして、もともと、中庸に書いてある文自体が深い文なので、
    私が理解するにはなかなか程遠い状況です。


    こういう書物は、図書館で一時的に借りるとかではなく、
    きちんと購入し、何度も読み返し、ゆっくり理解していくのが筋なのでしょう。

    ………

    上位に在っては下を陵がず、下位に在っては上を援かず、
    己を正しくして人に求めざれば則ち怨なし。
    上天を怨みず、下人を尤めず。
    故に君子は易に居てもって命を俟つ。小人は険を行ってもって幸を徼む。
    子曰く、射は君子に似たるあり、諸を正鵠に失いて、諸をその身に反求すと。

    在上位不陵下、在下位不援上、正己而不求於人、則無怨。
    上不怨天。下不尤人。故君子居易以俟命。小人行險以徼幸。
    子曰、射有似乎君子。失諸正鵠、反求諸其身。

    ………

    上に引いたのは読み下し文と元の漢文です。
    これだけではわかり難いので、解説としての文も載せておきましょう。

    ………

    〔通解〕
    上位に在るときは下のものを陵ぎ辱めることなく、
    下位に在るときは上のものによりすがって出世を求むることなく、
    我が身を正して他人に求むることなければ、自然に人を怨むことなし。
    上は天を怨む心なく、下は人を尤むる心なく、君子の胸中灑落にしてさっぱりしている。
    すなわちその外を願う心がない。
    故に君子は平易なところに居りその位に相応した行為をなして、
    もって天命の至るを待ってその外を願わない。
    小人はこれに反し身分不相応に無理危険なことを行い、いかにもして僥倖を得んと冀う。
    孔子いわく、弓を射るのは君子に似たところがある。
    矢を射放って的の星を外したときには、
    姿勢が悪かったか、引きが足らぬか、放れが悪かったか、どこが悪くて中らなかったかと、
    中らぬ訳を自分に立ち反りて求める。
    そこが君子の己を正しくして人に求めぬところと似ていると。
    君子はいかにもかのごとく、その位に素して行い、他を願わぬものでなければならぬ。

    ………

    以上、解を引用。
    解自体も難解なような気がしますが。

    本文には読み仮名がついているのですが、ここではつけていません。
    私が読みづらいと思ったものについてここで。

    陵がず=しのがず
    援かず=ひかず
    尤めず=とがめず
    俟つ=まつ
    徼む=もとむ
    諸=これ

    このくらいでしょうか。

    こうやって書いてみると、書く前よりも理解できたような気がする。


    ちなみに、この本は、私のネットでの知り合いである、II(ヅヴァイ)さんにお勧めいただいた、
    というより、チャットで話に上ったので私も読んでみました。


    図書館で借り、その上、期限に迫られながら慌てて読むような本ではなかったようです。

  • 本編は200ページくらいなのだが、読み終えるのにかなり時間を要した。自分のレベルが見合っていなかったのもあるが、通解の表現もやや古く正直内容があまり入ってこなかった。
    その場、その時に最も適切妥当であること、これが中庸…言うは易し行うは難しですな。

  • 訳注:宇野哲人、序文・解説:宇野精一
    中庸◆『中庸』講義

  • [ 内容 ]
    人間の本性は天が授けたもので、それを”誠”で表し、「誠とは天の道なり、これを誠にするのは人の道なり」という倫理道徳の主眼を、首尾一貫、渾然たる哲学体系にまで高め得た、儒教第一の経典の注釈書。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 四書の一つ中庸。説明なく朱子の序文から急に始まったのには戸惑ったが、数行毎に書き下し文、白文、字義、通解から成る構成は概ね読みやすかった。通解は原本が大正ということもあり、文意を掴みにくいところもあったが、直訳や現代向けの再解釈ではなく、講義テキストのような切口なので字義を外さず、補遺してくれてよい。
    内容はなるほど論語よりも体系だっている為、個人的には思想理解がしやすかったように思う

  • 中庸の解説本は何冊か読んだが、文庫版で全文に手軽に触れられるように購入。現代語訳は高尚だが、大正時代の訳であるため少々難解。その分何度でも味わいたいと思えるものではある。

  • 中庸本文の詳しい通解のみならず著者による講義も収められていて、内容が充実しています。講義の中で道問学の体系が整理されていて、これがなかなか分かりやすい。儒教の書の中でもある程度体系立っている部類に入る中庸ですが、それでも分かりづらいところがあるのでこのような整理があると助かります。

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