- Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061589445
作品紹介・あらすじ
道元禅師の思想と信仰は、『正法眼蔵』と双璧をなす『永平広録』にもっとも鮮明に、かつ凝縮した形で伝えられている。本書は、その『広録』10巻の中から抄出された『語録』を訳注したもので、興聖寺と永平寺における「上堂語」や「小参」「法語」をはじめ、中国禅とは異なる禅師の宗風の独自性を示す「普勧坐禅儀」や「坐禅箴」などが収録されている。比類ない道元禅の要諦を窺うに最適の訳注書である。
感想・レビュー・書評
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鏡島元隆『道元禅師語録』(講談社学術文庫、1990)
著者は駒大仏教学科から同大教授、総長を経て曹洞宗立宗学研究所所長となった筋金入りの学僧です。
著名な『正法眼蔵』と対をなす『永平広録』、そのうち道元禅師の語録を取り上げて注釈を付したもの。禅師のスピーチを秘書がまとめたものが今に伝わっております。
理論派で浄土宗系とはかなり雰囲気が異なる曹洞宗ですが、執着を嫌う姿勢は仏教共通のものです。
迷い、執着からの離脱。いかにも宗教の本質に思えますが、アイエンガー『選択の科学』(文芸春秋、2011)など最近の脳科学研究で決断数の上限の理論が明らかになったりと、生物としてのヒトの本質に由来する問いのようにも思われます。
【本文より】
○上堂して言われた。仏法とは、身や心についての執われがすっぽりなくなることだ。対境がすべて執着の相手でなくなることだ。ここにいたれば、悟りもないが、どこにも迷いのつけようもない。
○もし永平(わたし)ならばそうは言わぬ。仏法においていちばん究極の問題は何でしょう、と問うものがあれば、ただそのものに答えて言おう。それは、早朝には粥を食べ、昼には飯を食べ、体がすこやかであれば経行し疲れれば眠ることだ。
○巌頭のいう小魚、大魚を呑むとは、和尚が儒書を読むことだ。仏教とか儒教の対立を超えることだ。さらに、仏教とか外道の対立を超えて、仏教に対する執われもなくしてしまうことだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
重陽だとか冬至だとか、季節にあわせた説法が面白かったな。昔の人は暦に敏感だったのですよね。農業的にも宗教的にも暮らしに密接していて。
難しいお話は分からないのですが、禅の公案は雲がどうとか天がどうとか、以外と詩的でロマンティック、そして宇宙すら感じる広大なものを秘めている……のはなんとなく感じられました。
しかしながら、やはり道元さんと言えば活力に満ちた御方。
「人人尽く衝天の志あり」=人々は天をも衝く志気がなければならぬ。
強い志のお方です。