- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061594302
作品紹介・あらすじ
増加と停滞を繰り返す、4つの大きな波を示しつつ、1万年にわたり増え続けた日本の人口。そのダイナミズムを歴史人口学によって分析し、また人々の暮らしの変容と人生をいきいきと描き出す。近代以降の文明システムのあり方そのものが問われ、時代は大きな転換期にさしかかった。その大変動のなか少子高齢化社会を迎えるわれわれが進む道とは何か。
【目次】
第1章 縄文サイクル
第2章 稲作農耕国家の成立と人口
第3章 経済社会化と第三の波
第4章 江戸時代人の結婚と出産
第5章 江戸時代の死亡と寿命
第6章 人口調節機構
第7章 工業化と第四の波
終章 日本人口の二十一世紀
感想・レビュー・書評
-
この本は日本の人口変化の歴史を縄文時代から現代までを明らかにして、現代の人口減少の解決策に光をあてている。
正確な人口分布は把握できないまでも、「人口変化の軌跡は歴史の年輪で」である波は今までに四回の波があったという。①は縄文時代、全国で7.5万人ぐらい。②弥生時代594千人③14&15世紀の波。1200万人。④19世紀から現代。
関心が高かったのは、現在の世界的規模の人口減少のなみは全体的にくい止めるのは難しいらしく、運命的なものらしいのだ。驚きだ。寿命が伸びたのと、出生率の低下だ。2.1をきっている。世界的な新コロナウイルスのパンデミックは人類知性にどう問いかけているのか。試練なのか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
h10m-図書館2021-1-9 期限1/23 途中まで 返却1/23
-
〔「日本二千年の人口史」(PHP研究所 1983年刊)の改題〕【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00107582 -
日本の歴史を縄文-明治期まで幅広く見ている。
縄文期、弥生期、そして特に江戸期の記述が多く、中世の記述等は少ない。
内容が人口学(人口をどう数えるか、当時どのような婚姻、出産、死亡の傾向・風習があったのか)の観点からの記述が多く、経済・歴史的出来事と絡めた記述を期待していた私からすると、学問的すぎる印象を受けたが、日本の人口の傾向の概観などを把握するには良いのではないか。 -
歴史人口学、はじめて本書で知りました。正式な国勢調査が実施される以前の時代の人口動態について、様々な書物やもっと昔であれば遺跡などから大きな絵を描いていくという領域です。縄文時代や弥生時代についての推計は、「地頭力」という本で話題になった「フェルミ推定」という手法が用いられていると理解しました。例えば「日本に電柱は何本ある?」という質問について、正確な答えを知っている人など存在しない中で、ロジックを組立ながらそれらしい答えを導く、そのプロセス、ロジック作りが重要ということでこの作業自体は面白いと感じました。
本書で一番面白かったのは江戸時代でしょうか。江戸時代の日本は豊富な記録があったということで(もちろんそれをつなぎ合わせた研究者の地道な取り組みに頭が下がりますが)、江戸時代の家族構造やどんな生活を送っていたかは非常に面白かったです。典型的な妻は20代初頭で第1子を産みますが、その後も間をあけながら産み続け、40代前半まで子供を産むこと、そうなると兄弟間も下手をすると長子と末子の年齢差が20歳くらいになるので、兄弟関係も今の日本とは全然違ったという姿など興味深かったです(だから日本は長子継承の直系家族が当たり前だったのだなあと感じました)。専門用語や推計ロジックのややていねいすぎる解説などは、門外漢からすると不必要では?と感じるときもありましたが、全部を読み終わると歴史人口学についてそれなりの知識を持っている自分に気付きました。おすすめです。 -
20年前の本だが、縄文期からの日本の人口動態を追ったものなので、まず持って全く陳腐感はない。
一万年前に列島に2万人いた人口は、漁労・採取を生業とする狩猟民であった。縄文期の温暖な気候を背景に人口は4000年で10倍以上の26万人程度にまで達する。この頃は、北・東日本に人口が偏在していた。サケ・ナッツ型と言われる狩猟・採取形態でサケなどの大型魚・シカなどの大型動物・ナッツが取れる落葉広葉樹林に恵まれた東日本の方が資源豊富ということらしい。(縄文システム)
しかし、5000年前までに寒冷化によって北・東日本の人口は大打撃。この後、稲作文化の流入による弥生時代の到来で、3800年前頃までに人口は60万人程度に回復。人口は西日本で急激に増え、バランスが取れた形に。その後、室町にかけて漸進的に伸びていき、1600年頃には、1000万強となっていく。(水稲農耕化システム)
その後、江戸幕府の260年の間、人口は3000万程度までに増加する。17世紀に社会が安定し、小農自立や荘園制の崩壊で生産の増加、流通、新田開発など好循環が発生し、農耕経済であるながらも人口保持力が増えていった。他方、18世紀には人口は頭打ち、相次ぐ飢饉や疫病で人口は停滞。19世紀にまた徐々に伸びていく。江戸時代の具体的な人口動向は、宗門改帳という当時の行政文書をベースに緻密な分析を加えていて、都市と村落の比較、地域の比較、浮遊層と貧困層の比較など興味深い。(経済社会化システム)
最後は明治期以降の工業化システムであり、人口は、1.2億を超えている。そして、2007年でピークシフトして、減少に転ずる。
最後に、江戸時代に生活改善のために産児制限や堕胎が行われてきたことも前提に、20年前の時点で少子化を望ましいこととして見ているのは興味深い。今や、異次元の少子化対策が叫ばれる時代となってしまっている。
-
2022/9/4
人口から見たときに日本には4つの波動があり、4つの文明が交代してきたと言える。
①縄文システム、30万。狩猟採集社会で堅果類と魚介類が主な食料
②水稲農耕化システム、700万10世紀。農耕社会。紀元前3世紀から7世紀までの1000年間で150万人の大陸からの流入があり縄文人と2:8の割合で混血したとされ人口にも一定の影響がある。荘園制で隷属農民が多く、傍系親族は結婚しないものが多く成長は頭打ちになった
③経済社会化システム、3000万1800年代。農耕社会に市場経済が浸透し始めた。市場経済が生まれ生産性の向上に向けた選択的な行動が取られて、新田開発が行われて小規模農家が勃興し傍系親族も含めた皆婚社会を迎え人口が増えた。
④工業化システム、13000万2000年代。化石燃料を中心とした非生物資源からエネルギーを取り出すことが可能に
・宗門改帳が日本の人口研究の貴重な記録になっている
・近世では都市は出生率が低く、死亡率も高かった
・7歳までは神のうちとされ、3,4割と非常に死亡率が高かったとともに、社会的に認知されなかった場合には間引きが堕胎と同じ感覚で行われていた。死亡率は衛生環境が悪く疫病が流行った夏と寒さ厳しい冬が高かった。そのため当時の七五三は重みが全く異なっており共同体にその存在を認めさせる役割も大きかった。裕福なもののほうが、困窮層よりも記録上の出生率が高いのは間引きの影響と見られる
・離婚は一般的で子供ができない場合は3年ほどで離婚させられる例がみられた
・女性は初婚年齢が20程度で現在よりも4歳程度若く、40歳頃まで出産し続けた。出産による死亡率が高く、平均寿命は男性の方が長かった。現在の出生率の低さは高学歴化とキャリアのための出産制限により出産期間が短くなったことの影響が強いと思われる
・江戸時代は親の引退後、その死亡までは5年程度であり20年程度の現在とは大きく負担感が異なっている。核家族化の進行は農業など家族経営の世帯数の減少とも関連しており、社会システムの変化と合わせてあるべき家族像は語られるべき
・多産は困窮や母体の危険につながるため出産制限が試みられ、母乳を長く与えることが最も有効な手段として機能した。
-
以前に本で読んだことがありまして、今までに日本列島に住んだ人を合計すると、通算で4-5億人だそうです。現在の日本の人口が1億3千万人なので、それを聞いた時の印象は意外に少ないな、というものでした。
しかしよく考えてみると、江戸時代の幕末の人口は3千万人少しだったことや、平安時代には1千万人もいなかったことを考慮すると、納得できた気がしたのを覚えています。
そんな私にとって、この本のタイトルは十分に興味をそそるものでした。購入履歴からアマゾンが推奨してくれたものですが、感謝しています。
以下は気になったポイントです。
・農業社会そして産業社会を分ける2つの革命(稲作農耕、工業化)以外に、日本人口の歴史には2つの変化がある。1)4-5000年前の縄文中期、2)16-17世紀の人口増加である、後者は農業社会の中で生じた経済システムの変化である(p19)
・縄文中期には、東日本地域の人口は25万人程度と、全体の96%を占めていた、激減した後期でも86%を占めていた(p29)
・1万年前、日本列島の平均気温は現在よりも2度低かったが、その後に温暖化しはじめて、6千年前には現在より1度以上高くなった。これは新潟市から高知市あたりに位置を動かしたのに等しい変化(p36)
・縄文人の15歳時余命は、男女ともに16年程度で、平均寿命は31年程度、江戸時代の40年と比べても短命である(p43)
・7世紀後半に始まった戸籍制度は、824年までは戸籍に基づき班田収授が行われたが、その年を最後に全国一斉の造籍はされなくなった、現存する戸籍は1004年、計帳は1120年のものが最後(p51)
・3世紀の邪馬台国時代の人口は、魏志和人伝によれば、邪馬台国以下29か国の戸数から、180万人と推計できる、奈良時代は600万人程度(p52、56)
・弥生時代には西日本の人口は全体の51%におよび、9世紀には58%を占めるようになった、東日本の増加以上に増え方が多かった(p60)
・12世紀における旱害(かんがい)の打撃は、西日本を中心に大きかった、10-12世紀において西日本の人口はほとんど増えていない(p67)
・1671年の幕令により宗門改の徹底化が図られ、人別改も毎年行われた。こうして成立した宗門人別制度は、キリシタンが表面的にほとんど見られなくなってからも慣習的に続けられて、次第に戸籍調査として定着し、1872年(明治5)に壬申戸籍が成立するまで続けられた(p79)
・最初の調査は、1721年に行われたが、5年後に実施された、この年は丙午にあたり、それ以後6年に1度、子年と午年に行われたので、子午(しご)改と称された(p80)
・1600年の人口は、慶長石高や石高に比例する人口、非農村人口を考慮して、1000万人程度と推定される(p82)
・都市の存在がなぜ人口増加を阻害するかは、都市の高い死亡率と、低い出生率にあった、そのため都市内部において人口再生産ができなくなり、周辺農村から不断の人口流入を必要とした(p104)
・16,17世紀は婚姻革命と呼んでい良いほどの大きな変動が起きた、それ以前と比較して有配偶率の比率が著しく高まった。女性の結婚は、生家の家族労働力や経済力に左右された(p110,123)
・「三くだり半」は、離婚して再出発を期した妻の側の要請によって書かれたものがあり、婚家を離れた嫁が、再婚少しる自由を保証したものであった(p130)
・18世紀末から明治初年にかけて、地主層は多くの分家を出した、平均初婚年齢が24歳以上の自作・小作農では人口再生産は不可能であり、地主層のみが可能となる(p153)
・出生時平均余命が50歳を超えたのは、第二次世界大戦後の1947年である、1600年頃の寿命は30歳程度、第一回生命表(1891-98調査)では、男42歳、女44歳であった(p174)
・慶応年間の江戸5か町の有配偶率は男50%、女59%であった、幕末での京都3カ町では、男43%、女60%であった(p191)
・近代的戸籍制度が始まった1872年の日本の人口は、3481万人、1900年には4385万人、第一回国勢調査の1920年には、5596万人、1967年には1億人を突破した(p217)
・日本では文明システムが4回交代した、1)縄文、2)水稲農耕化、3)経済社会化、4)工業化システム、である。(p254)
2019年11月3日作成 -
内容は予想外でした。私的に“××年に○○が原因でこれくらい死んで~”みたいに書いてあるのかと思ったが違いました(そういう書き方が皆無ではないがメインではない)
人口に関する記録は少なく、推計しないと割り出せないらしいです。その割り出し方が難しく、半分以上は理解出来なかったと思います。
日本人が患って死ぬ病気についても知れるかなと思いましたが、なんと当時の病気の言葉が現代のどの病気に当てはまるかわからないものが多いそうです。残念。
あとこれは予想通りですが、ほぼ江戸時代のデータですね。仕方ない。
徳川文明という言葉は気に入りました。
気になる言葉もあります。農民という言葉が引っ掛かりますね。
最後の農民貧困説の否定も微妙に思えます。
お金がないから取捨選択してたのではないでしょうか。そういう考えはよくないみたいにありましたが、私は子供の頃、虐待された時に『なぜお金がないとわかってて子供を作ったのか。産まれた瞬間、殺してくれればよかったのに』と何度も恨めしく思ってましたから。
あと今まで読んだ民俗学の本と違う部分も気になります。
人口について細かく触れながらも、若い女性の人口流出(奴隷売買)について一切触れられてないので、本当にあったかどうか知りたい私は不満でした。
一方で一覧のデータで見ないと気づかない事が知れてよかったです。
昔の人、短命すぎ!!
もし私が縄文人を描く機会があれば、ロリショタメインで描きます。
(みんな二十代で死んじゃうらしい。だとしたら教科書の縄文人のイメージは描き直すべき)
後半は全体的な事について同じ話が繰り返され、不要に感じられました。
総じて、著者が悪い訳ではもちろんないですが、私の知りたかった情報はあまり得られませんでした。 -
1008円購入2011-06-24