徳川家康(8) 心火の巻 (山岡荘八歴史文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (468ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061950306

作品紹介・あらすじ

武田勝頼を甲斐天目山にほふった信長は、中国攻略中の秀吉の援軍にみずから出馬する。順風満帆、威風堂々、だがその目前に本能寺の罠が待ち受けていようとは。明智光秀の叛逆!盟友の死は、泉州堺に遊んでいた家康にも最悪のピンチ襲来だ。家康は日に夜をついでただひたすら、三河への脱出をはかる。

感想・レビュー・書評

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  • 今回は一年に満たない内容を一巻に凝縮。
    徳川家康は実質初めて読むので、伊賀越えについては今回初めて理解した。
    本能寺の後天下を狙わなかった背景の解釈も興味深く読めた

  • 武田家が滅び、功績のあった家康を信長が接待。光秀は接待役に。信長への不信や誤解により光秀が本能寺の変で信長を討つ。
    その頃、高松城攻めの秀吉は信長が撃たれた知らせを隠して和睦。
    堺を見物していた家康は、茶屋四郎次郎の手引きもあり、伊賀越えで岡崎に戻る。この伊賀越えでの駆け引きは特に面白かった。
    秀吉は姫路城には二度と戻らない覚悟で戦い、主人の仇として光秀を討つ。
    家康は、領民が大切と悟り、東を固めに入る。

    動きが多く、非常に面白い巻でした。

  • この巻は何と言っても本能寺。光秀謀叛に至るまでの経緯が、信長に左遷されるという光秀の勘違いとして、この本では書かれていたのが新鮮でした。また、本能寺の戦いでは、信長視点ではなく、濃姫の視点で描かれていたのもすごく良かったです。そして中国大返しの秀吉が恵瓊を説得して清水宗治を切腹させるよう説得する場面。ここまで詳しく書かれている小説はありません。この巻は伊賀抜けはあったものの、家康の存在感は薄めの巻でした。

  • 再読。
    本能寺と神君伊賀越えの巻。

  • 家康が京、堺を見物し、光秀が饗応に当たり、これが秀吉の後詰を命ぜられ、本能寺の変を起こし、家康が伊賀越えで三河に帰り、安国寺恵瓊と秀吉の交渉、そして中国大返し、山崎の戦い。本能寺の変、光秀の短慮説はこう読むとあり得る。コミュニケーションエラーが生んだ悲劇と描いている。

  • 本能寺の変。信長退場はさみしい。

  • 徳川家康、織田信長、豊臣秀吉、明智光秀の人生が大きく動き出す。
    人生の岐路に立ち、素早く、最良の判断ができるかによって、その人の運命は大きく変わる。
    それぞれの武将が、人生を賭けた判断を下す。
    四方八方から切り込んでくる敵を、どう倒していくのか。
    武将同士の駆け引きが読み応えあり。

  • 本能寺の変。秀吉と、家康がそれぞれ成長してゆくさまが描かれている。

  • 天目山の武田家滅亡後、家康の安土城訪問~本能寺の変~山﨑の合戦を描いた巻。
    やはり主人公の家康以上に信長の描写がいききと描かれている。

  • 本能寺の変を経て信長から秀吉へと対峙する相手が変わるという、家康にとって重要な時期だけに、かなりスペースを割いて、丁寧に描写されている。

    ただ、細川ガラシャ夫人のくだりはやや冗長なような...

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著者プロフィール

明治四十年(1907年)新潟県に生まれる。十四歳で上京し、博文館印刷所に文選工として働く。長谷川伸に師事、山岡荘八の筆名を用いる。昭和二十五年(1950年)より、北海道新聞に『徳川家康』を連載開始。昭和二十八年(1953年)単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる、『徳川家康』により、第二回吉川英治文学賞を受賞。以後、歴史小説を中心に創作する。昭和五十三年(1978年)七十一歳で亡くなる。

「2023年 『水戸黄門 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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