徳川家康(25) 孤城落月の巻 (山岡荘八歴史文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (494ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061950474

作品紹介・あらすじ

大坂夏の陣!濠を埋められ、篭城できなくなった大坂方は城外に打って出た。名ある猛将も相次いで倒れ、太閤以来の名城も紅蓮の焔に包まれる。そして、家康の最後の悲願淀君・秀頼母子の救出も水泡に帰した。やんぬるかな、秀頼母子ご自害!こうして豊臣家は地上から永遠に消え去った。

感想・レビュー・書評

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  • 自業自得とはいえ、且元が哀れ。豊臣家は、ここに至るまでに、助かる選択肢はいくつもあったのに、変なメンツにこだわり続けて、よりによって最悪の選択肢を取り続けた結果、滅亡。そして政宗の野望の煽りを受けた忠輝も、決断せざるを得なかった家康も気の毒。そして千姫のしょぐうは?次の最終巻で、どういう結末になるのか。いよいよ次で終わり!

  • 大坂夏の陣から忠輝との諍い、豊家の落人への処置の話など。戦の描写が今までにあったかなというぐらい丁寧だった。家康の想いは常人を飛び越え過ぎていて家臣にも伝わらず、秀頼を救うことはできなかった。

  • 遂に、豊臣家滅びる。
    大坂夏の陣も終結し、ますます孤独に追い込まれる家康。
    天下泰平の夢を誰からも理解してもらえず、苦悩する。
    その中での秀頼、淀の方の自害は家康の心を傷つけた。
    いよいよ、次巻で最終巻。
    人生の終わりに家康は、何を思うのか。

  • とうとう大坂夏の陣へ。
    徳川家康の心情が、よくある豊臣家を滅亡させるための謀略という解釈ではなく、あくまで秀頼を生かそうとして取った様々の豊作だったというあたりが人間味を感じて、この本の魅力になっている。合戦の描写はやや退屈。

  • 大坂夏の陣。

    家康以外を主人公とした本やドラマとは、豊臣家に対する家康のスタンスがだいぶ違う描かれ方をしている。

    さらに、本巻ではとりわけ家康の孤独感が強調されているような気がする。

  • 大坂城落城、豊臣家滅亡。
    家康は秀頼を助けたかったのに、そうはさせないとする流れに飲み込まれたと描かれる。
    もう少し、秀頼に頼り甲斐があれば、結果は変わったのかも。
    近年の研究では、秀頼は暗愚ではなかったとの説もある。
    真田幸村の活躍は大して描かれず。

  • 2016/3/15

  • 太平の世か戦はなくならないか、王道と覇道、王道と王道。家康の哲学は深いところまで理解している人はいないのか。
    それにしても豊臣方。最後まで人材がいなかった。それに比べれば、徳川はなんだかんだと人材がいる、と思われる。
    ラスト1巻。家康の最期はどう描かれるのか。

  • 大権現様が生涯最期で最大の孤独を耐え忍ぶ25巻。

    秀頼と淀殿を救おうとするも、救えなかった。
    大権現様は天下泰平を維持するためにも
    人情を無視してはならないと考えていたが、
    自分が育ててきたはずの側近や子どもたちには、
    大権現様の考え方は理解されていなかった。
    やはり大権現様も人間だったのだろうか。

    そして秀頼亡き後、世間の怒りの矛先は、
    野心を抱いた松平忠輝や秀頼の遺児国松に及ぶ。
    彼等を救えない事を嘆きつつも、
    自分の努力が足りなかったからだと、
    人を責めずに己を責める大権現様。

    長かったこの物語もついに残り1冊となったが、
    どんな結末が待っているのだろう。

  • 残りあと1冊!

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著者プロフィール

明治四十年(1907年)新潟県に生まれる。十四歳で上京し、博文館印刷所に文選工として働く。長谷川伸に師事、山岡荘八の筆名を用いる。昭和二十五年(1950年)より、北海道新聞に『徳川家康』を連載開始。昭和二十八年(1953年)単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる、『徳川家康』により、第二回吉川英治文学賞を受賞。以後、歴史小説を中心に創作する。昭和五十三年(1978年)七十一歳で亡くなる。

「2023年 『水戸黄門 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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