- Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061962378
作品紹介・あらすじ
若き中上健次が、根の国・熊野の、闇と光、夢と現、死と生、聖と賎のはざまで漂泊する、若き囚われの魂の行脚を、多層の鮮烈なイメージに捉えようとして懸命に疾走する。"物語"回復という大きなテーマに敢えて挑戦する力業。短篇連作『熊野集』、秀作『枯木灘』に繋ぐ、清新な十五の力篇。
感想・レビュー・書評
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中上の比較的初期に当たり、後の紀州サーガの黎明となる短篇集。熊野の森の濃密な霊気に咽せ返る。業に囚われた作者自身の生い立ちと、熊野の土地に潜む亡骸もしくは怨念、神話が交錯する。禍々しく戯れる奔放な女性像が後を引く。蛇の化身か山神の化身か、アニミズムが淫らに母系の血族の因果に纏わりつく。しつこく反復する挿話は反芻するごとに悪夢からの抜け道を封じる。(書くしかなかったろう)。身を落とした人間の悍ましさがぞっとするほどの美しさに色付く幻想的退廃的描写は、既読の中上文学の中でも特異に感じた。エロスが充溢している。
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熊野を舞台にした、比較的初期の連作短編集。15の短編のうち半分以上が、ほぼ作者本人とおぼしき主人公の私小説風。たまに唐突に、時代の不明な、作者の分身のような似非ひじりが悪事を働くシリーズ(「穢土」「伏拝」)や、さらに時代を遡って追手から逃げるお姫様や家臣の出てくるシリーズ(「紅の滝」「幻火」)もあり。
好きだったのは、私小説風でも死者の亡霊(幻覚)に会ったりして幻想味の強い序盤の数作と、夢の中で男が虎に変わってしまう「天鼓」。とくに「天鼓」は、その前半の夢の中のエピソード(「山月記」というよりは「高野聖」的。虎になった男は妖しい美女を背に乗せて駆ける)も好きだったけれど、後半、歌舞伎の「天鼓」を見て、今三十歳の自分ではなく、三十歳の自分の中に閉じ込められている少年(過去の自分)を救ってやってほしい、と願う主人公の心情が妙に泣けました。
※収録作品
「修験」「欣求」「草木」「浮島」「穢土」「天鼓」「蓬莱」「楽土」「化粧」「三月」「伏拝」「紅の滝」「幻火」「神坐」「女形」 -
著者を投影したいつもの私小説的短編と、著者を象徴する大男を中心とした、神話を思わせる時代不明の短編が混じり合った面白い構成の連作作品。
個人的に好みの1冊。 -
初出は、芥川賞受賞を挟んだ昭和49〜52年の「文藝」、「風景」ほかの12の連作短編。昭和53年単行本化。
全集版で読んだ。
熊野を舞台とする物語は、東京で妻と娘2人と暮らす男が、酒乱で妻に愛想を尽かされ、熊野の実家に来て親族らと交流し自死した兄を思う私小説風の物語に、様々な過去の物語が交錯する。
盲目の弱法師の前でその連れの女とまぐわう「欣求」、伐採した木を山から滑り下ろす木馬引きの男が遊郭の女に溺れる「浮島」、峠で商人を殺した僧がその妻を抱く「穢土」、行き倒れた男が和泉式部と自称する女に世話をされ抱かれる「伏拝」、戦に敗れ姫を守って山中に逃れた男が姫に情欲する「紅の滝」。いずれも極限に近い生と死とエロスが濃厚に描かれる。
人間の原存在を見つめようとする、気鋭の作家が新しい文学の境地を切り開こうと格闘しているように思える作品。 -
この猛烈な残暑の真っただなか、この濃い小説を読むのはかなりへビー、消耗・・・。ひとつひとつの話は短いのになかなか読み進めることができず思いのほか時間がかかった読書でした。あぁヘビヘビ。
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15作の短編集。
聖地熊野と現実が交錯する世界がイイ。
人間の奥深くを描いている感じがする。 -
冒頭から視覚的にも聴覚的にも引き込まれ、神聖な熊野の山林の世界にうっとりさせられるが、度々出てくる男女の交接やそれに似たものが酷く鬱陶しかった。<聖>と<俗>が錯綜しているのが本書の魅力なのは分かるものの、補色を並べてみていると目がちかちかするように、対照的な事象が余り露骨に並立していると、疲れる。
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別に隠れてはいないのかも知れないけれど
個人的には隠れた名作だと思っている。
2002年7月1日読了