- Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061963153
作品紹介・あらすじ
《海は暗く深い女たちの血にみちている。私は身体の一部として海を感じている。……》年上の男子生徒とのセックスの体験を鋭利な感覚で捉えて、身体の芯が震える程の鮮烈な感銘を与えた秀作。作家の出発を告げた群像新人賞受賞「海を感じる時」と、大学生となった、その後の性意識と体験を描き深めた野間文芸新人賞「水平線上にて」。力作2篇収録。
感想・レビュー・書評
-
映画化(2014年)されたのでタイトルは知っていたけれど、映画のほうはやれ主演女優が脱いだの、ベッドシーンがどうのということばかりが前面に出されていて、とくに興味もなかったところ、『洋子さんの本棚』で小川洋子さんがこの原作を絶賛されていたので俄然興味が沸き、やっと読みました。
「海を感じる時」が発表されたのは昭和53年(1978年)著者がこれを書いたのは18才のときだというから驚き。高校1年16才の少女がとくに好きだったわけでもない先輩とキスしたところから複雑な関係に発展し・・・と書くと軽いラブストーリーのようだけれど、全然違う。重いし、難解。
頭で考えて、この主人公の気持ちを理解することは難しい。もっと本能的な部分で感じ取るしかない。自分自身は彼女のように行動することはけしてないから共感はしないけれど、女性にしかわからな漠然とした感覚は共有できる。恋愛部分よりも母親と娘の関係性の部分のほうが個人的には共感できた。
『洋子さんの本棚』で絶賛されていた部分は、なるほど、確かにこれは鮮烈、と思わされた。妊娠したかも、と不安になっている主人公に生理がくる場面だ。以下引用。
スカートの中で、すっと小さな蛇が逃げだした。岩の割れ目から今を待っていたように、鋭く体をくねらせ、出てきた。(中略)小さな赤い蛇が水晶のような目で、静かに見つめている。
18才でこの感受性、18才だからこそ、かもしれないけれど、凄い。自分が18才のときのアホさ加減が呪わしいような、いやだからこそ幸福だったような、複雑な感慨に襲われた。
「水平線上にて」は、登場人物の名前は変わっているけれど設定はほぼ「海を感じる時」の続編的な内容。しかし長編な分、冗長で、「海を~」ほどの鋭い鮮烈さはない。純文学的というか私小説的というか、細部で上手い表現だな、と思わされるだけで、主人公への感情移入は難しかった。さすがに男性にだらしないというか、男を見る目がないというか、相手の男に魅力を感じないので、なぜ?という疑問が先に来てしまって好意的に読めなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルにひかれ、十代の時学校の図書室で読んだ。こんなに濃い内容と知らずに。今思えばこういうのが学校にあったんだ。著者が18歳で書かれたという描写に驚いた。恋愛が満たすものはなにか。後に映画となり、池松壮亮さんがあまりにもはまり役だとおもった。
-
先輩が好きで体だけの関係になってしまう
最後は両思いになるの、、、? -
映画を観てから試しに読んでみたら、映画とは大きく違っていて原作がとても好き。
映画のエロさを期待したら原作は物足りないかもしれない。
映画は言葉は古いのに出で立ちは現代でちぐはぐだったしかもセックスのシーンばかり、主人公ふたりが暴力的な阿呆に見えたけれど原作だと優しさや苦悩や狂気がわかりやすくて面白かった。
ただ終わりかたが突然で全体的に短く、すこし物足りない。
しかしどうして原作の良さである繊細さを映画にしなかったんだろう〜なぜ官能的な映画にしたんだろうと悔やまれる。 -
森川智也でてくるたびドキッとした。けど別に何もなかった…。
-
疑問
①映画は恵美子と高野が同居する場面で終わるが、原作は同居することはない.なぜか
②気力がないのに女の子の体に興味があるの?
③女と男の身体の価値
④なぜ高野に執着するのか -
映画を観た後原作を読みたくなって、絶版なので電子書籍で。
そのせいかも知れないけど何とも読みにくい。というか展開自体が少ないから上滑りするようにふわふわとしか読めず。
水平線上にての方が読みやすい。 -
BSフジ「原宿ブックカフェ」のコーナー「ブックサロン」で登場。
http://harajukubookcafe.com/archives/935
ゲストの中沢けいさんの『海を感じる時』。
「吉行淳之介さんは受賞に比較的反対だったそうなんですが、佐多稲子さんが、登場人物を”君”付けで呼んだ時に、『あ、この作品は生きてるんだから受賞作にしましょう』と吉行さんがおっしゃったそうなんです。」(中沢けいさん)
原宿ブックカフェ公式サイト
http://harajukubookcafe.com/
http://nestle.jp/entertain/bookcafe/ -
機内はまた初物シリーズ、中沢けい。最近の人では無いが読んだこと無かった。最近映画化された「海を感じる時」と、「水平線上にて」の2作。どちらも自伝的小説に思えるぐらいテーマは酷似している。映画のキャッチは官能的だとか少女が女にだとかが目立ったが、文章からそう言うイメージは受けず、内面がこぼれるように著されていた。言葉の選び方が、暗いんだけど美しい。でも僕ももう、思春期の女の子の内面に共感を覚えられる歳では無いらしい。
それより、出てくる舞台が関東出身者としては琴線に触れる。70年代後半から80年代の南房総、金沢八景、伊豆下田。どこも子供の頃の想い出に出てくる場所。主人公が男と出かける初めての旅先が笠岡というのも何の偶然か。東京で出てくるのも明大前、笹塚、駿河台と、何となく関わりの有った場所。主人公が駿河台からお茶の水橋を渡り、後楽園、本郷のあたりを歩いて茗荷谷の下宿に帰るくだりは、風景が思い出されるようである。その時代にそこに住んでいたわけでもないのに。