共生虫

著者 :
  • 講談社
3.10
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本棚登録 : 407
感想 : 41
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062100274

作品紹介・あらすじ

一人の引きこもりの青年が体内に共生虫を飼っている。…絶滅をプログラミングされた種は、共生虫の終宿主となる。ある種が自ら絶滅をプログラミングするということは、生態系の次の段階を準備するということでもある。例えば恐竜の絶滅は次の生命環境のために、つまり次代の全生物の共生のために不可欠だった。共生虫は、自ら絶滅をプログラミングした人類の、新しい希望とも言える。共生虫を体内に飼っている選ばれた人間は、殺人・殺戮と自殺の権利を神から委ねられているのである。

感想・レビュー・書評

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  • 2000年3月20日 第一刷発行 再読
     この年の谷崎潤一郎賞 受賞

    「変身」の毒虫から、読みたくなってしまい再読。
    主人公は、自身の体内に、殺戮と絶滅を司る「共生虫」を宿していると信じている、引きこもり青年ウエハラ。彼は、インターネットコミュニティに繋がりを模索し始める。
    ですが、この共生虫は途中でちょっと放置気味。ウィルスか寄生虫かと、期待していたのですが。

    「共生虫」と共存しはじめたウエハラは、社会へ出て殺戮への道をしっかりと歩み始める。

    ラストにインターネットコミュニティの人間の手記が書かれているが、明確な言語で崩壊した文章。読み手の思考も崩壊させそう。そして、最終章のウエハラは、明確な思考で崩壊していく。
    まあ、希望は見えない小説です。

  • 主人公が体験を通して認識を深めていくさまが面白い。
    ところどころに現実がちりばめられているからこそ、これが小説で良かったと思った。

  • ウエハラは、中学二年生のときに引きこもりになった。

    身体が重くて、朝ベッドから起き上がれなくなったのだ。

    鬱病と診断されてからも、

    父と兄はウエハラのことを怠け者と言った。



    あるとき、ウエハラは、ネットで興味深いページを見つけた。

    そこで、インターバイオという組織と出会う。

    ネット上でやり取りをする中で、

    共生虫を飼う人間は選ばれた人間で、人を殺してもいいということを

    ウエハラは知る。

    ウエハラは、今までに起こった暴力的な衝動はすべて

    自分の中にいる共生虫が原因だったのだと気づき、

    自分の中に力がみなぎるのを感じるのだった。…





    ウエハラはこの後、何人かを本当に殺してしまいます。

    インターバイオが「偽の組織」だったことに気づいても、

    ウエハラの中は何も変わらない。



    特に印象的だった文章は二つ。

    「それらはすべて一連の流れだったのだ。雑木林の中の、あの小さな谷の清水の流れと同じだ。真実はいつも細い谷を静かに流れていて、その流れが絶えることはないが、その流れそのものを見つけることが非常にむずかしい。はっきりとした目的を持った人間だけが偶然の助けを借りてその流れに出会う。一度そのようなものを捉えることができれば、あとは進むべき方向を見失うことはない。」



    「(幼い頃持っていた鉱物標本の話で)ケースがなくなってから標本は一個ずつ失くなっていった。誰かにプレゼントしたわけでも、盗まれたわけでも捨てたわけでもないのだが、確実に標本の数は少なくなっていった。石は収まる場所を失ったのだとウエハラは思った。収まる場所を失うと、モノはいずれ消える運命にある。」



    ウエハラは、「狂った」人間なのかもしれない。

    「まともに」学校に行って、「まともに」働くのが、「まっとうな」人間なのかもしれない。



    …本当に、それが「まとも」なのか?



    私はいつも、それを疑問に思います。

    まともな人も狂っている人も、

    自分が思う「真実の流れ」に乗ってるだけで、

    自分が思う「収まる場所」に収まってるだけで、

    それが本当の「流れ」や「場所」じゃないんじゃないのだろうか、と。

    私は、それで良いんじゃないかと思うけれど、

    まともだという人ほど、

    それが「本物」だと信じて止まないような気がします。



    まぁ、信念は人それぞれだから良いんですけど←どっちやねん

    時々、というか頻繁に、

    こういう世界に嫌気が差すんですよね。



    「まとも」とか

    「狂人」とか

    その勝手な線引きが、

    そもそもまともじゃないような気がして…




    どうでも良いですね。

    少々熱っぽいんで頭がくらくらしてまいりました。

    明日からハードなのに大丈夫だろうか…(;´▽`A``




    ちなみに『共生虫』、

    古代の生け贄の描写がでてくるんですが、

    なんともリアルでグロテスクでしたヽ(;´ω`)ノ

    夢に出てきそう~(>_<)

  • まず言えるのは秀逸である

    「主人公の男の世界」を書いたものであるということ

    語られるもの
    見えるもの
    通ずるもの
    それが全てであって全てではないのだ

    著書は時節表現上で生々しい言葉がみられるが
    これはあくまで「主人公の男の世界」なのである

    もし、このレビューを見て読む方がいたら
    全く別の角度から見る事が出来るので実に羨ましい

  • 村上龍の文章は、つまらない所を乗り越えての開放感・・・という快楽が大きい。 その快楽を求めてしまう麻薬のような作用こそ、この人の文章の凄い所だと毎回思う。 引きこもりの少年がネットでの1つの繋がり、つまり“リンク”を通じて覚醒されていく話。タイトルにもなっている『共生虫』は殺戮を求める寄生虫と文ではされていますが、ネット自体が共生虫。つまり、誰かと情報を通じて楽しみたい通じ合いたいというのが『共生虫』なのではないだろうか。無知というのはこれほど人を変えさせる。1つの繋がりから、どんどん外の世界へと向かう主人公。それがラストに見えるラインなのではないだろうか・・・と、ネットをやってる人間として色々考えさせられ、勉強になる作品です^^

  • この作品は大好きで二度目の読書となった。
    成長物語として読めるだろう。引きこもりの少年が、例え反社会的活動を行なったとしても、外に出て一人で活動を行えるようになったのだから。あたいはそうした変化が好きなのだ。悶々としながらも自分の力で前へ進む姿が不思議と感動を呼ぶ。毒ガスを介した自立でもだ。『おれはどこへでも行ける』

  • 寄生虫 寄生動物 細菌は単細胞分裂増殖 
    人間:地球
    細菌:ゾウ
    ウイルス:ネズミ
    ウィルスは非生物、細胞に寄生しないと生きていけない。
    風邪ウイルスにも抗生物質は効きません。

    ウィルス 遺伝子 コルテス アステカ 天然痘

  • ・・・ 星ゼロつ!

    おっと、村上龍の作品にわ、こんなにおもしろいのがあったのだ、という事が発見できてのっっけは嬉しい感じである。
    なんとなく『クリスタル』という本は読んだと思うが、後に村上春樹という同姓のへんてこな作家のせいで、いっしょに村上龍の方も読まなくなってしまったのだと思う。あとは、そうそう村上龍はテレヴィに少し出たりしたからかな。
    うーむそれにしてもこの本1ページあたりの文字の数が多い。凄く多い。全然改行なしで文章はドンドン繋がってつづく。当然読みやすくはないなぁ。

    いつも数冊の本をいっしょに読んでるいる。今回はそのうちの沢野ひとしさんの『花の雲』という本中の短編に「谷戸のアトリエ」というのを見つけていたので、この共生虫の中でも「谷戸」についての記述が時をほぼ同じくして現れたので少し驚いた。こういうことはめったに、いやまづ無いので。

    そしてP264に達した時に全ては終わった。そうです急に字が小さくなりすぎてもう読めないのです。
    村上春樹(わはは、わざとさ)はいったいなにを考えているのでしょうね。
    そういうわたしもこれでは全部読んだ上での感想文ではないことが見え見えだけど、いいのだこんなしょうもない本はこれで。

    すまなくもないわい、こんな本。

  • 興奮と恐怖。

  • 『五分後の世界』『ヒュウガ・ウィルス』とメーッセージ性がくっきりしているものを読んで、その後、私的にブランクがあり『共生虫』。

    前半は(死ぬ権利、淘汰する権利)を手に入れたウエハラという引きこもりが何かをやらかし、混沌とした世界を招くのかな・・・と予想しながら読んでいたのですが、途中、インターバイオが怪しい感じになってきてから(おやおや?)と言う感じに。
    ウエハラは取り憑かれたように、というか、いるかいないかわからない共生虫に突き動かされるように何かに邁進する。
    一歩一歩、自分の足場を確かめながら・・・。
    逆に、神気取りでウエハラを【操っていた】気になっていた、インターバイオの連中は、間抜けな顔でウエハラの元に、ビデオカメラを持って来て、殺されてしまう。

    インターバイオの連中が殺される場面ではストーリーの真意を離れ、ただ胸がスっととてしまった私は、まだまだ人間修行足らんな~と思ったり(;-_-) =3

    それにしてもこの小説は、私には主題が掴みきれなかった。
    後半、ウエハラが主張する【流れ】というのがちょっと分からなかったし、インターバイオの連中の人間関係やハナダの手記も、ちょっと掴みきれなかった。
    ただ言えることがあるとすれば、インターバイオの連中はネットであるとか、ハナダに至っては母親の言葉という、自分の経験外の、架空の世界によって自信を持ったり、振り回されていたりするような気がする。
    対比するようにウエハラは現実味の無い世界から飛び出し、全てを身体で感じる世界で生きる。
    やっぱり、そういうことなのかな?

    ただ、この小説、評価もちょっと低めですが、いろいろ読後に考えさせられたし、面白いことは面白かったのです。
    ですが・・・、なんか、もや~とした感じが胸に気持ち悪かったもんで<(; ^ ー^)。

    最後に・・・公園に集う人々を【無目的な吹き出物】との表現、村上龍先生らしいなぁなんて思ったり、ガスマスクや防護服が日本でも手に入るのか・・・なんて自分の足元の危うさを思ったり・・・ホント色々考えさせられました。

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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