田中角栄と毛沢東: 日中外交暗闘の30年

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062113717

作品紹介・あらすじ

国益死守、敵は「米ソ」-同床異夢のカリスマふたりは何を語り合ったのか?アメリカの逆鱗に触れた角栄の国家戦略とは?壮大なパワーゲームの舞台裏、知られざる歴史の闇がいま明かされる。

感想・レビュー・書評

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  • こんばんは。世は田中角栄ブームだそうです。石原慎太郎氏による「天才」は今年度上半期、ベストセラー第一位で、角栄さんの多くの本は書店で平積みされているとのこと。

    彼の功績は数多あるが、その中で「日中国交正常化」いうものがある。

    実は、当時毛沢東在命中だった中国は日中国交正常化の直前、アメリカからニクソン米国大統領の訪問を受けている。しかし中米の国交正常化はされなかった。

    皆さんもご存知の通り、田中角栄は腕が立ちすぎて、アメリカからハメられ、ロッキード事件収賄罪で逮捕・起訴された。

    本書は角栄さんの中国での行動について日中双方の関係者に関して、記述された本です。

    元々、周恩来首相は日中国交正常化に向けサインを送っていた。しかし田中角栄に失敗は許されなかった。何故なら、日本は資源のない国。中国の資源が死ぬほど必要だったから。

    元来、アメリカは中国との貿易を禁止したチンコム(対中共輸出統制委員会)を創設し、日本もそれに加盟していたからだ。

    しかし、戦前から日中は深い貿易関係があったことも手伝い、日中の貿易額はうなぎ上りになる。

    中国では対ソ連東欧貿易が縮小し、それを補完するように対日貿易は増えていった。これは日中が国交を正常化する前の話である。

    そんな中国にいっそう接近するような田中角栄にニクソンはいらだちを隠さなかった。中国の方でもニクソンを蒋介石と同じように、敵として見ていたフシがあった。つまり中米会談は、毛沢東と蒋介石の重慶交渉と同じだという。

    当時の中国共産党内部の分類によると、日本は、イギリス、西ドイツとともに、米ソとは異なって、「第二世界」と位置付けられていた。中国は米ソとは対立しつつ「第二世界」とは仲良くしたかったのである。

    田中の中国での会談は、丁重なもてなしだった。彼の部屋は暑がりな田中の為、通常より低めの空調。好物の木村屋のアンパンも置かれている。会談にかける中国の熱意は十分伝わって来た。

    田中の佐藤昭子秘書の回想記「私の角栄日記」によると「角栄は中国で強い緊張を強いられていた。血圧は200以上。血尿も出た。食事は喉を通らず、かゆを無理やり喉に詰め込んだこともあった」

    迎賓館の室内の盗聴器、中国情報機関の周到な監視もあった。帰国途中、同行した大平外相に田中が顔を見合わせて「よく命があったものだ」と語り合ったそうだ。

    会談は4回行われ、その後共同声明が出されるというものだ。

    中国は周恩来首相が田中のカウンターパートとして話し合った。

    お互い言いたい放題。例えば、周は「日本は将来核兵器を持つ可能性がある」田中は「日中国交正常化は日米安保条約の堅持が大前提である」と。

    周は正常化の実現の障害になりえるいくつかの難題にも、解決の目途をつけた。

    もっとも前進したのは、先の戦争の賠償問題である。中国は「中国の軍隊と人民が日本の侵略により受けた損失は一千万人以上であり、財産の損失額は(当時の)米ドルで五百億ドルを超えている」と述べた。これはとても当時の日本国政府では拠出できない金額であった。(約五十二兆円。その時の日本の国家予算は九兆四千億円程度)

    日本政府がもっとも頭を悩ませたのが、この賠償金の支払いだった。

    しかし、周は国交正常化の見返りとして、賠償金請求権を放棄すると示唆した。何故なら、中国は当時の日本と台湾の関係を破壊したかったからである。

    しかし、中国は数々の難題を突き付けてきた。田中は会談終了後、大平外相、二階堂官房長官に「お前らは大学を出ているのだから(田中は高等小学校卒)、考えろよ」といって丸投げする始末。

    その後、コンピューター付きブルドーザーと言われた田中でも対処でき訳ないのに、解決できないことを知った田中は「責任は俺がとる」と言って、やりたいようにやらせた。

    そして、ついに田中らは毛沢東と会談することになる。毛は大平にこう語りかける。

    毛:「い、ろ、は」「アイウエオ」ひらがなとカタカナを創りだした日本民族は偉大な民族です。いま日本語の勉強をしています。日本に留学したいと思っているのですよ(笑)。
    大平:わたしたちは、どうやってあなたの世話をしたらいいか分かりません。難しいです。他の国に留学してください。
    毛:大平先生は友好的ではないですね(笑)。

    会話のペースは「皇帝」毛沢東が完全に握っていた。首脳会談では能弁な周恩来も、この場ではほとんど口をきかない。毛の言葉を承るという雰囲気が部屋中に漂っていた。

    この後、午後十時から再開された外相会議は翌日午前三時まで続けられ、日本側の用意した最終案に中国も同意した。

    田中は中国との間で、絶妙な落としどころを見つけたのである。しかしこの才能が米国に嫌われ、ロッキード事件でハメられることになった。キッシンジャーは当時こう言っている。

    「田中程度なら、いつでも取り替えれる」
    「彼はあまりにも生意気だ。米国の後を追って、日中関係を改善する程度ならよいが、完全に米国を差し置いた。」

    田中はアメリカにハメられたのである。保釈で出てきた時、目白の自宅に向かう途中で、「言われたとおりだった。やられた。」と叫んだ。

    最後に田中の中国での評判を抜粋して、このブログを終わりにする。

    「田中はなんと決断力のある政治家なのでしょう。あのアメリカが不可能だった、国交正常化をアメリカより先にやった。友人たちも同じように感じていた。田中はすごい政治家だと。日本にもあんな指導者がいたのだと。私たちは興奮していました」

    田中と聞くと、ほとんどの中国人は嬉しそうに顔を輝かす。

    「ティエンジェン・ジャオロン」そしてこう尋ねた。「日本にもう一度、田中角栄のような政治家は現れますか」と。

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