1972年、ウクライナのキエフ生まれ。ウクライナ体育大学出身。10歳のときにフェンシングを始め、ソ連のジュニア・ナショナルチーム、ナショナルチームを経て、ソ連軍のスポーツクラブ「CSKA(チェスカ)モスクワ」に所属。ソ連崩壊後、ウクライナ代表となる。2001年に現役引退してコーチに転じ、03年に来日。日本ナショナルチーム男女フルーレの統括コーチに就任し、05年ユニバーシアードの男子団体優勝、07年世界選手権の女子団体銅メダル、08年北京オリンピックの太田雄貴選手銀メダルなど、輝かしい成果を収めた。その後、男子フルーレの指導に専念。09年ベネチアW杯グランプリ、11年パリW杯グランプリでともに団体優勝、12年ロンドンオリンピックで団体銀メダルと、強豪国としての地位を固めるに至り、その手腕は国際的にも注目されている。
「2014年 『「奇跡」は準備されている』 で使われていた紹介文から引用しています。」