たまもの

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 164
感想 : 26
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  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062189699

感想・レビュー・書評

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  • 10歳の男の子を育てている女性の話。文学的な表現が多い。私も10年後、この話の女性みたいに感じたり思ったりしてそうな気がする。

  • 幼なじみ男性の生まれたばかりの子ども山尾くんを生活費とともに未婚の女性がひとりで預かるがいっこうに引き取りにこないまま山尾は小学生になる。なかなか想像しがたい物語のスタートではありましたが、山尾くんは読書が好きな男の子で手がかからない様子であり、預かった方も、不規則な生活に落ち入りがちな校正の仕事からせんべい工場勤務に転職し、山尾くんと一緒にいる時間を確保するようなごく普通の配慮をした母親役でした。淡々とお話は進み、どちらもこの生活に不満がなく
    むしろ満たされた空気に包まれており、むしろこの先山尾くんが自立するときが来たら、ふたりの心のバランスが崩れてしまいそうに感じました。

  • 読売新聞の小泉今日子さんの書評を読んで読みたくなった。著者は詩人と知りうなずいた。装画も描かれたようだ。

    ある日突然山尾という一歳未満の子を渡される。不思議な名前と思ったが、百人一首の柿本人麻呂の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ」が由来。その山尾も11歳になった。最後に山尾がわたしに「なにびびっているのさ」と言う。

  • 2015.01.04

  • 2014.12.25読了
    血のつながりではなく、親が子をどう愛し育てるかがつまった物語だった。(図書館)

  • 突然元カレから生まれたばかりの赤ちゃんを預かるところから物語が始まるのですが、すごく心に響いて共感してしまった。

    生まれたばかりの赤ちゃんを死なせてしまう事件とか最近のニュースで見ると本当に心が痛んでいたのですが
    もっといろんな世代のいろんな大人が、それこそ「たまもの」として小さな命を守っていけたらいいなと思うのです。

    母親になるという事、それは「産むこと」とイコールではないんですね。
    子どもと暮らしていると、その時々でハッとさせられることがあります。子どもを育てるというより「育てさせてもらっている」という感覚が、まさに、その通り!と思えてこの若い(少なくとも私より)母親を応援したくなりました。

    私自身、長女を産んだ時に嬉しさと共に「これは大変なことになった」と思ったのを思い出します。ちゃんと一人前の人間にして世の中に送り出さなくてはいけない、とこの世の中から大事な預かりものとして宿題を負った気がしたのです。
    宿題をこなしながら、子どもが育つ速さで私も母親になってきたのかもしれない…

    日々たまものという気持ちで暮らしているのと山尾君がとてもいい子に育ったのとは無関係ではないと思う、これは確信できます。

    いい小説でした。
    子どもを産んだ人、育てることに関わった人。これから子どもに恵まれるかもしれない人もそうでない人、そうでなかった人も。たくさんの人に読んでもらいたいなと思います。

  • 血のつながりなんてさほど関係ないのかもしれない。
    預かった男の子をこれほど愛情深く育てられるんだもの。

  • 設定はあり得ない気がするが、よかったという印象が強く残った。山尾という名の息子の人となりが魅力的。

  • 読売新聞に載っていた小泉今日子さんの書評がすごくきれいで切なくて、読んでみたくなった本。

  • 詩人で小説家の小池昌代さんの最新作。
    http://nestle.jp/entertain/bookcafe/salon/salon18.php


    言葉を欲するのが詩人という話を聞いて、この人の作品を読んでみたいと思った。
    小説は、物語。

    昔付き合っていた小学生のおさななじみと別れ、40歳になったころに久しぶりに会った。その時ゼロ歳児の山御(やまお)という男の子を託される。新聞紙に包まった八百万円と母子手帳とともに。彼女はしばらくの間預かるということでその子を受け取るものの、男(くずはら)とは連絡がとれなくなってしまう。

    こう書くと、味気なく、恨み交じりのような、はたまたミステリーのような様相が帯びるが、この作品は言葉が美しいせいだろうか、彼女と山尾とのかかわりや、彼女の気持ちが淡々と表現されていて読んでいて気持ちよく、切なくなる。

    それは、近い将来に息子がそばから離れていくという予感があるからだろうか。

    山尾という名前は百人一首から~
    あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ

    濃栓(のうせん)

    幸くませ真幸くませと人びとの声渡りゆく御幸の町に
    「さきくませまさきくませとひとびとのこえわたりゆくみゆきのまちに」
    ~美智子さまの歌

    幸いを願う声は広がっていく。幸いというものはいくら広がっても、薄まるといくことがない。それが物質だとしたら、奇蹟のような物質だよ。P56

    P18子供っていつも、いきなり、とても、抽象的なことをいう。ただ、きらきらしたものって言われても、目的も何もしらされていないわけだし、例示もないわけだから、言われた方は困るよ。物事を整理し、時間軸に沿って、自分以外の者に説明するという能力がないんだ。やつらには時間というものが流れてないんじゃないか。いつだって、「今」しかないので、過去にこんなことがあり、それを踏まえて今があり、だから、未来のために、いま、何をなすべきかというふうに、一連のながれのなかで、物事を考えられない。いつ時間の区切りがわたしのなかに生まれたのだろう。思い出せないけれど、そのとき、わたしは大人になったのかもしれない。

    P30育ててやったということではなく、育てさせてもらった。そこまで考えて、わたしは吹き出してしまう。このわたしが、本当に「育てさせてもらった」などと思っているのだろうか。わたしの言葉じゃない。わたしたちはいっしょに育っている。縁があって、束の間、一緒にいる。

    P37臭いものだとあらかじめわかっていて、それをこわごわ嗅ぎ、それでクサイと言う。それがよろこび。確認してそのとおりっていうのがうれしいのか、いや、臭いってことがすなわち、うれしいことなのか。両方だ。臭いというのはすごいことなのだ。完全、ネガティブな現象でありながら、そのなかに、人間の命を喜ばせる要素が入っている。~わたしはこの子の臭いをじゅうぶんに嗅いでやっただろうか。

    P66わたしはわたしだけのために行きたいもの。-そう、そうだね。子供を持つことは爆弾を持つことにおそらく似ている。幼い子供と生きる人生の時間は、一貫性のあるキャリアを追求する生き方に比べ、遠回りの獣道。行く先々で、具体的な実りがあるわけではない。生きているものを世話する仕事は、為すそばから消えていく、むくわれない行為からできあがっているのだ。だから逆に、子供のいる女は、あきらめを知ることになる。この世には、できないこととできることがあることを知るようになる。いや、できないことだらけであることを知るようになる。自分の能力を活かすなどという前向きな主張も、ネズミの寝言にすぎないことを身をもって知ることになる。めちゃくちゃになる。踏み潰される。いったんゼロになる。滅びることを学び成熟を余儀なくされる。つまり順当に老いることを学ぶ。

    P148大事なのは、血じゃなくて、一人の子供に、誰か一人がずっとついててくれることですよね。人間として最低限のことを覚え、ご飯が作れないときには、ご飯を作って、いっしょに食べてくれる人がいることです。血を、愛する理由にするのは変です。

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著者プロフィール

小池 昌代(こいけ まさよ)
詩人、小説家。
1959年東京都江東区生まれ。
津田塾大学国際関係学科卒業。
詩集に『永遠に来ないバス』(現代詩花椿賞)、『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)、『夜明け前十分』、『ババ、バサラ、サラバ』(小野十三郎賞)、『コルカタ』(萩原朔太郎賞)、『野笑 Noemi』、『赤牛と質量』など。
小説集に『感光生活』、『裁縫師』、『タタド』(表題作で川端康成文学賞)、『ことば汁』、『怪訝山』、『黒蜜』、『弦と響』、『自虐蒲団』、『悪事』、『厩橋』、『たまもの』(泉鏡花文学賞)、『幼年 水の町』、『影を歩く』、『かきがら』など。
エッセイ集に『屋上への誘惑』(講談社エッセイ賞)、『産屋』、『井戸の底に落ちた星』、『詩についての小さなスケッチ』、『黒雲の下で卵をあたためる』など。
絵本に『あの子 THAT BOY』など。
編者として詩のアンソロジー『通勤電車でよむ詩集』、『おめでとう』、『恋愛詩集』など。
『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集02』「百人一首」の現代語訳と解説、『ときめき百人一首』なども。

「2023年 『くたかけ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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