ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062583909

作品紹介・あらすじ

ホワイトヘッドの世紀は来るか?世界をすべて過程(プロセス)としてとらえ、独自の哲学を展開したホワイトヘッド。その超難解さゆえに紹介されてこなかった思考をあざやかに解説。

感想・レビュー・書評

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  • 元数学者の思想家、ホワイトヘッドさんのものの見方を分かりやすく説明しようと試みている入門書。読みやすく面白い。

    禅でいう「さとり」は、ホワイトヘッドが言おうとしていた事を、知覚として直接体験することではないかと、「さとり」を語る根拠を持たないながらも、イメージする。

    イメージでいうと、こんな感じ。

    砂浜の波は、何億年も同じように打ち寄せ続けてきた。
    その波は(その波のしぶき一粒一粒は)、ほとんど同じ現象の反復に見えて、実は同じものは未だかつて一度もない。
    広大な浜の無数のしぶきと、繰り返す波をひとつずつ、
    統計的にではなく、類型的にでなく、全て見つめる。
    しかも、前の波が引いて行くことに影響を受けた次の波がどうなったか、
    一見影響がなさそうに見える、浜の両端のしぶきが、
    どの様な関係で、影響を及ぼし合っているかもすべて。
    そんな不可能な知覚の仕方。

    また、別のイメージ。

    定点カメラで飛んでいる石を撮影する。
    次に、カメラを投げて、飛んでいる石を撮影する。
    次に、カメラを投げて、投げたカメラを撮影する。
    無数のカメラを同時に投げて、各々が相互に撮影し合う。
    そのひとつひとつの映像と、
    そのトライアルの総体自体を、
    同時並行に知覚する。

    また、イメージ。

    テレビの台風情報で、台風の軌道を表した線。
    あれは、台風自身の指向性と外的要因が影響して必然的に選択された、
    二度と描けない軌跡だ。
    外的要因の中には、
    例えば地形、気温差、他の低気圧が生み出す風がある。
    そしてまた、台風自身が起こした風が、地形によって跳ね返って来て、
    外的要因としてフィードバックされもする。

    現象と存在のひとつひとつが、何ひとつ、個別ではあり得ず、
    互いに分かち得ない影響によって因果関係を結んでいる。
    一粒の砂と一人の人間には、影響力の強さや存在価値に差はなく、
    そもそも比較自体がナンセンスで、
    ただひたすらに、すべてが唯一無二の存在・現象だということ。

    こんな言葉にしずらい、東洋的なものの見方をくさびとして、
    詩のようなやわらかさで西洋の現代思想史に打ち込んでくれた、
    ホワイトヘッド先生の思想。
    その思想を、なんとか分かりやすく僕たちに伝えようと試みて苦労しているこの本は、お気に入りの大好きな本。

  • ホワイトヘッドへの足がかり第一歩として選択した本。
    前半の相対性理論をベースにした話あたりまでは、きっとこういうことだろう、と想像しながら読むことができた。後半、量子論をベースにした話(とくに時間関係の記述)は、まだ想像のつかないところが多い。
    物理と哲学がおなじ“フィロソフィー”という言葉であることを納得する。量子論に関して別の書物を読んでから、つぎのホワイトヘッドの本に取り組んでみようと思う。

  • ホワイトヘッドを読みたくなるように読者を煽るのが目的、というなら、その目的は達成されていると思う。ここで読む限り、哲学が人間中心的な世界観と量子論を潜り抜けた宇宙観をどう統一するか、という試みと思える。

  • めちゃくちゃわかりやすい。

  • 既読でした。2冊目買ってしまった。。。前に読んだのはおそらく受験時代。読んだ記憶がないけど今回はスゲー面白かった。ゾクゾクするほどホワイトヘッド読みたい。学生時代ちゃんと読めばよかったと後悔したぐらい。1回目もそう思ったから記憶を抑圧したのかしら?

  • ベルクソンとホワイトヘッドの間には、アインシュタインがいる。生物には越えられない壁が厳然とあることを実感。

  • ベルクソンを読んでいる途中で寄り道。分かった!と思ったら、また煙に巻かれる。

  • 1267夜

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著者プロフィール

1958年長崎県佐世保市生まれ。中央大学文学部教授。小林秀雄に導かれて、高校のときにベルクソンにであう。大学・大学院時代は、ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッドに傾倒。
好きな作家は、ドストエフスキー、内田百閒など。趣味は、将棋(ただし最近は、もっぱら「観る将」)と落語(というより「志ん朝」)。
著書に、『いかにしてわたしは哲学にのめりこんだのか』(春秋社)、『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』(春風社)、『ホワイトヘッドの哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン ネクタイをしない哲学者』(白水社)、『ベルクソン=時間と空間の哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)、『落語―哲学』(亜紀書房)、『西田幾多郎の哲学=絶対無の場所とは何か』(講談社選書メチエ)『続・ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)など。

「2021年 『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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