レヴィナス 法-外な思想  現代思想の冒険者たち(16)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062659161

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  • わが国のレヴィナス入門書としては早い時期に出版されたものだが、レヴィナスの思想を読者に理解させようとする著者の努力が伝わってくる。とりわけ、レヴィナスの中心概念である「顔」の呼びかけを、オースティンの言語行為のもつ「力」の概念を手がかりにすることで分かりやすく解き明かしている。

    私が真っ暗闇の中に身を置き、すべての存在者が闇に沈むとき、闇そのものがみずからの存在を押し付けてくる。そこでは、存在を受け取る〈私〉すら、闇の中に溶けてしまっているにも関わらず。これが、レヴィナスの思想の出発点をなす「イリヤ」(il y a)である。レヴィナスは、不在の充満する「イリヤ」から〈私〉が成立し、世界の中に位置を占めるまでの「実詞転換」と呼ばれるプロセスを描いている。

    さて、こうして成立した〈私〉は、いつでも〈私〉であるほかない、孤独な存在である。〈私〉であることをやめれば、たちまち不在の闇へと転落してしまう。〈私〉は〈私〉であることから逃れることはできない。〈私〉は〈私〉であることから解放されたいと願い、他者の呼びかけを待っている。だが、そうしたことが可能なのは、すでに〈私〉の自己閉塞が他者によって破られているからにほかならない。レヴィナスはここに、存在論から倫理学(dé-ontologie)への通路を見いだそうとする。私は、気づいたときにはすでに他者の呼びかけに耳を傾けてしまっている。これが「顔の公現」である。

    こうしたレヴィナスの思想は、ハイデガーの存在論に対するみずからの倫理学の優位を主張するものだった。これに批判の矢を放ったのがデリダである。デリダは、レヴィナスが「他者」を「他者」として扱うことを可能にしているものこそハイデガーの存在であり、それは他者に対する非-暴力をも可能にする「原-暴力」だという。

    このデリダの批判を受けたレヴィナスは、「可傷性」(vulnérabilité)の概念を中核に据えた新たな思想を展開する。そこでは、私は、私と世界との関係、とりわけ他者の苦痛を耐え忍ぶ存在だと考えられることになる。私は「傷つきやすい」のである。そこではもはや、私の内への閉塞を破るものとして他者が考えられてはいない。むしろ、そうした感受性・受動性において、私はみずからが受動的な立場に置かれていることを知るのである。

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著者プロフィール

1953年生まれ。パリ第一大学哲学史科博士課程修了。哲学専攻。甲南大学文学部教授。著書に『レヴィナス』(講談社),『心と身体の世界化』(編著,人文書院)ほか。訳書にデリダ『精神について』『アポリア』(人文書院),ラパポート『ハイデッガーとデリダ』(共訳,法政大学出版局)ほか。

「2009年 『フロイトの伝説』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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