ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)
- 講談社 (2005年6月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062750967
作品紹介・あらすじ
「情報を制する国が勝つ」とはどういうことか-。世界中に衝撃を与え、セルビア非難に向かわせた「民族浄化」報道は、実はアメリカの凄腕PRマンの情報操作によるものだった。国際世論をつくり、誘導する情報戦の実態を圧倒的迫力で描き、講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞をW受賞した傑作。
感想・レビュー・書評
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1992年3月のボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言を機に勃発した、ムスリム人、セルビア人、クロアチア人の3民族によるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(本書では、「ボスニア紛争」と呼んでいるので、以下、「ボスニア紛争」と呼ぶ)における「PR戦争」を取材し、「NHKスペシャル 民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕」というドキュメンタリー番組をプロデューサーとして制作した筆者が、その番組を書籍化したのが本書である。番組は2000年10月29日に放送され、書籍は2002年に発行されている。
ボスニア紛争では、「モスレム人=被害者」「セルビア人=加害者」という図式が出来上がり、ユーゴスラビア連邦への経済制裁や国連追放、NATO軍によるセルビア空爆にまで結びついた。しかし、実際にはそのような単純な話ではなかったということを、筆者は本書に以下のように記している。
【引用】
私は、バルカンで起きた悲劇には、セルビア人だけではなく、モスレム人にも、もう一つの紛争当事者であるクロアチア人にも責任があると考えている。それでも国際世論が一方的になったのは、紛争の初期の時点で、それまで国際的な関心を集めていなかったボスニア紛争に、「黒と白」のイメージが定着してからだ。このイメージは、その後のコソボ紛争でも、セルビア人=悪、の先入観のもととなり、NATOの空爆にまでつながった。
【引用終わり】
紛争の初期段階で、ボスニア・ヘルツェゴビナは、自国の独立の正当性と、セルビアによる不当な弾圧を訴えるために、外相を世界中に派遣する。外相は、国連・EC・アメリカ・アラブ世界等、あらゆる場所で、それを訴えるが、なかなか関心を呼ぶことは出来ない。特にアメリカでは、バルカンというヨーロッパでも中心とは言えない地域での内部紛争という理解をされ、期待していたサポートを得ることが出来ない。
そのような状況の中、ボスニア・ヘルツェゴビナは、アメリカの大手PR企業と契約を結ぶ。そして、PR企業は、セルビア人=悪、ボスニアヘルツェゴビナ=被害者という世論をつくるために、様々な活動を行う。本書は、その実際の活動を描いていく。
結果的に、ボスニア・ヘルツェゴビナは、意図通りの成果を得ることに成功する。その成果を得るために、PR企業の活動が果たした役割の大きさは正確には測定できないが、本書を読んでいると、仮にボスニア・ヘルツェゴビナがPR企業と契約せずに、単独で活動を続けていたとしても、絶対にこのような成果を得ることは出来なかったであろうことは、想像できる。
感想はいくつかある。
まずは、国際政治、特に地域の深刻な紛争の当事者が、このような形で、営利企業であるPR企業を活用しているということに対しての驚き。紛争は軍事力だけの闘いではない。世の中を味方につけられるかどうかによって、結果は大きく変わるということだ。今回のロシアのウクライナ侵攻についても、ロシア=悪という構造が出来ているが、ここにも、何らかのプロの仕事の結果が影響しているのかもしれない。
次に、本書に登場するPR企業、および、このプロジェクトを担当するチームのプロとしての仕事の鮮やかさに感心する。大胆な戦略と細心の注意を払った実行。それらの作戦が実際に効果をあげていく様子は、読んでいて一種痛快であった。
また、本書中に筆者も書いているが、こういった国際政治を舞台にした情報戦で、日本はちゃんとやれているのかという心配。政府、外務省にこのようなプロはいるのか、あるいは、外部のプロをきちんと活用出来ているのか。いや、出来ている感じは受けない。
約30年前の出来事を扱った、約20年前に発行された本であるが、そのような古さは全く感じず、楽しく読めた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人の頭は二分化しがち。絶対的な善と悪を仕立て、グレーをグレーのままに見ようとしない。
そういった人間の特性にアラームを発したほうがいい。メディアで見せられているものは、嘘とは言わないまでも操作されたものであることは、肝に命じておくべきである。
私が大学生の頃のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。この戦争は一つの「劇場」だった。当時ショックを与えた「民族浄化」や「強制収容所」という言葉も、アメリカの辣腕PRマンが編み出した言葉。これらの言葉が席巻し、セルビア人は徹底的に悪者にされた。対立するモスリム人側にもセルビア人と同等に責任があると述べた者は、メディアからの激しい攻撃にさらされた。
今、同じことになってはいないか。
アメリカにとっては介入してもほとんど得にもならないヨーロッパの小国間の内戦に、アメリカの広告会社が関わるようになったいきさつ、そしてどのように国際世論を導き、戦争の行方を決定づけたのか、客観的で冷静なルポルタージュ。今まさに読む価値のあるテーマだと思う。薦められ読んでよかった。
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私は昔から民族紛争に興味があった。だから旧ユーゴで起きた悲劇も知っていた。偶然にも大学に入ってからセルビアに行く機会があって、偶然にも現地の大学生と交流する機会があったから、本当に軽い興味本位で、セルビア人女子大学生に、そのことについてどう考えるか聞いたことがあった。(彼女は教育専攻で、歴史教育の観点で面白い話を聞けそうだと思っていた。)
今でも覚えてる。美人で凛々しい彼女の顔が厳しくなり、血相まで変えながら、「全部、資料を読んだ?左から右まで全部。ボスニアの資料もセルビアの資料も、もちろんアルバニアのも。それら全部読んでから聞いてる?あなたがそんな軽い質問聞いたところでこの戦争はわからないと思う。」と言ってきた。
私は質問したこと自体を恥じ、深堀することを恐れてあまりその話題に触れないままここまできてしまったんだけど(だって全ての資料は読めないから!!)、やっとこの本を読み終えて、彼女がなんであんな強い口調で私に詰問したのかわかった気がした。「あなたもPR戦略に乗った歴史を学んでいるんでしょ?」彼女はそう言いたかったんだと思う。
私たちが見てる政治ってなんだろう。歴史は?戦争は?正義って何?人の感情を巧みに探り当て、ピンポイントで狙ってくるPRは大きな力を持つ。世界の“事実”は広告の力でできている...リアルにそう思えてくる。
だからこそ、私は情報に対するリスペクトとコストをかけたいと思う。
おそらく高木さんには、まだ載せてない情報があると思うんです。時効になったあたりでもう一度書いて欲しい。
とても良い本を読んだ。
おすすめします。
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ボスニア紛争について知りたくて購入。
戦争広告代理店という題名に気になりました。
読んだ後の感想は戦争広告をする広告代理店というよりは
小国同士によるPR戦争の内幕。
如何にしてボスニアヘルツェゴビナはPR戦争に勝利し、セルビア共和国、ユーゴスラビア連邦は敗退したのか? -
戦争広告代理店。
「広告」というのは比喩表現が混じっているが「PR」が戦争の勝敗まで左右するという話である。
本の内容についてはブログででも書きたいと思うが、ここでは感想を。
まず、この本の舞台から30年経過した今の戦争の話であるが、今起きている「2022年ロシアのウクライナ侵攻」に投影して考えると、ウクライナがボスニアヘルツェゴビナ、ロシアがセルビアと被って見える。
ゼレンスキーは俳優ということもあり、PRの重要性は十分に理解していると思われ、国際世論の中の戦争ではウクライナがロシアを圧倒している。おそらくウクライナにも、ルーダ・フィン社のハーフのような人物が裏についているのだろうと想像でき、プーチンはミロシェビッチのように情報戦では悪魔のように扱われている。
プーチンもミロシェビッチも悪いのには変わりないが、PRの威力により悪魔度もかなり増幅もされているのだろう。そういう世界(PR)もあるのだと思った。
そして、わが日本であるが、こういったPRをやることが国際的には当たり前のことなのだから、みんながそのことを認識し、PRで相手を陥れるところまで行くと日本の美徳には反するが、他の国のネガキャンに対しては1つ1つ否定していかならないとさらに思った。 -
Yがやけに勧めるので読んでみたがそれなりにおもしろかった。この人テレビのディレクターだけあって、盛り上げ方がうまい。最後のパニッチとアメリカのなんとかバーガーのやりとり」「私がきみだったらそんなことは言わないだろう」というところがクライマックスだな。それにしても民間企業が一国の運命を部分的にせよ左右してしまうのだから、やっぱり情報戦って現代社会では大切なんだな、と当たり前のような感想。
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ボスニアヘルツェゴビナ(vsセルビア)の紛争がいかにUSのPR会社によって情報操作されたものだったか、という話。確かにセルビアが悪、と断定した方が話が分かりやすいし世論はそっちになびくんだろうなぁ、と。そもそも90年代の旧ユーゴスラビア周りバトルを全くと言っていいほど知らなかったので、そういう意味でも勉強になった。コソボ紛争とかも一度きちんと読んでみたい。
BTW、DQ11のせいで3か月ほど一切本を読まなかったので、久しぶりに読書したら疲れたけど知的好奇心がむくむくと復活。人生で唯一飽きてない趣味読書、これからも時々中断しながら読み続けるんだろうな。 -
情報をうまくコントロールできるかどうかで、結果が大きく異なっていく。「情報コントロール」の実態を頭に入れて、情報に接し、判断していかなければ、とあらためて思う。