- Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062764162
作品紹介・あらすじ
一九七二年夏、キクとハシはコインロッカーで生まれた。母親を探して九州の孤島から消えたハシを追い、東京へとやって来たキクは、鰐のガリバーと暮らすアネモネに出会う。キクは小笠原の深海に眠るダチュラの力で街を破壊し、絶対の解放を希求する。毒薬のようで清清しい衝撃の現代文学の傑作が新装版に。
感想・レビュー・書評
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1972年夏、コインロッカーに別々に捨てられた赤ン坊、キクとハシ。
二人は同じ里親に引き取られ仲の良い双子の兄と弟になります。
佐世保の映画館に住むガゼルに聞いたおまじないの言葉はダチュラ。
ハシは白い子犬ミルクを飼っています。
キクとハシ15の夏。
社長令嬢のアネモネ17歳は中二の時からCMモデルをしています。6年間鰐のガリバーを飼っています。
ハシは母親を捜しに行くと言って家出します。
キクは走るのが速く、棒高跳びをやっていて、鉄条網を跳んで、アネモネに出逢います。
ハシはミスターDという男色のスポンサーの手によって歌手になっていました。
ハシの最初の女性は38歳のニヴァ。
そして、キクはハシを捜しに行き再会。
ハシはミスターDの策略によって産みの母親と再会することになりますが…。
10代の頃に一度読もうとして挫折した作品だったのですが、今読んでみると、
「何これ!凄く面白い!!!」と思いました。
物語全体が爆走しているように感じられました。
全然古くない、むしろ新しいと思いました。
近未来小説だと言われても信じたでしょう。
下品な言葉もたくさん飛び交いますが、不思議と汚い感じがしなくて詩情が感じられました。
村上龍はやっぱり天才だと思いました。
キクが母親のことを思い出しながら走るシーンは感動的でした。
印象的だったシーンとモノローグ
ーあの女は、間違いなく俺の母親だ、俺を産んで夏の箱に捨て、俺の力を奪い、肉の塊り、閉じられてヌルヌルした赤いゴムの袋になって俺に教えようとした。俺が一人になっても生きていけるすべてを一瞬のうちに教えようとした。あの時周囲の視線に屈せず、俺だけのために立ち上がり、俺の傍に寄って、俺だけに呟いた。俺はあの女を尊敬する。立派な母親だ。
ー僕を支えているのはあの音だ。柔かい部屋でキクと一緒に聞かされたあの音だ。あの音を捜したくて歌っている。
ー「ダチュラ!」
アネモネは嬉しそうに赤い傘を大きく振って応えた。
ーアネモネは、キクの情婦ですと自己紹介した。
ー僕はただみんなから好かれたいんだ。ハシと一緒だと心の底から幸福になると言われたいんだ。それだけなんだ。それなのに僕は捨てられた。コインロッカーに捨てられて以来、僕は何が欲しかったのだろうか。何かが欲しかった。何かに飢えていた。
以上前半三分の二はすごく面白くて引き込まれました。
でも物語には結末が必要だったのですね。
この結末は前半に比べるとパワーが落ちていて何だか好きになれなかったけれど、作者が下した結末なんですね。
1981年野間文芸新人賞受賞作。 -
この年になって、初めての村上龍作品。
限りなく透明に近いブルーの存在しか知らなかったのだ。
この本は…一体何なんだろうな…。頭をぶん殴られた様な気分。
出たしから吃驚するし、不快な描写も多く、文章自体も読みにくく感じた。そして何よりも作品自体に込められた熱量に圧倒されて、初めはなかなか読み進めることが出来なかった。
私はどの本を読んでも、割とちゃんと「自分はこういう感想を持った」とか思うのだが…これは…感想と言える感想を持てない。キクやハシ、アネモネたちの気持ちがグルグルとしてしまい、上手く言葉に出来ないのだ。
ただ、何かよく分からないうちにすごいものを読んで、何かよく分からないうちに終わってしまった。そんな感じだ…。
上手く言葉に出来ないのが、とても悔しいと思う。
未読の人は、ちょっと読んでみて欲しい。
長いのだが、読んでみて欲しい。
しばらく経ってから再読すれば、私の中でまた違った評価になるだろうなと思った。
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一文の重さ、密度がすごい。前半は全然ページが進まなかった。途中で人に貸したり、他の本に何冊も浮気したりして、やっと読み終えた。
よくもまあこんなに動揺させる文章が書けるなぁと感心した。つらく、殴られているような感じ。 -
『コインロッカー・ベイビーズ』を読むと村上龍は天才だと感じる。神懸った迫力が具わった作品だ。圧倒的な熱量と質量を含む文章、発想が常人離れした場面展開、そのなかを時に抑制され時に解放し時に右往左往しつつ時に縦横無尽にキクとハシは全速力で走り抜ける。物語のエントロピーが極大化したとき崩壊は結実し、キクとハシの新しい歌が始まる。
数十年ぶりの再読で、当時小説なんて年間1~2冊しか読まなかったが本作品を皮切りに村上龍作品だけはすべての作品を読んだ。いま読んでも私の生涯Best 3作品である。 -
暴力的で破壊衝動に満ちた物語、モノローグと台詞が混然一体となった文体、悪趣味に感じられるほど嗜虐的な描写、どれもこれもクセが強くて乗りこなすには気力も体力も必要となる非常にピーキーな小説だ。
初めて読んだ時は、そのエネルギーに圧倒された。ちょっとしたひずみで簡単に壊れてしまいそうな限界ギリギリの感情がキク、ハシ、アネモネ三人からひしひしと伝わり、どうしたら自由自在に生きていけるのだという探求心と渇望が、俺はここで生きているのだという叫びが、小説全体に充満しているように感じられた。
その感触は2回目でも変わらなかった。
「壊せ、殺せ、全てを破壊せよ、赤い汁を吐く硬い人形になるつもりか、破壊を続けろ、街を廃墟に戻せ。」
というキクの台詞に突き動かされるように、後半になるほど物語のテンションはあがり、「終末」の予感もまた強まっていく。その迫力に圧倒される。決して読みやすいわけではないのだが、映像的かつ手加減抜きの文体は読むものに「理解させる」というよりは、「感じさせる」詩のような手触りがあり、作品の高いテンションを維持し続ける。
その分、子どものころのガゼルとのひと時とか、アネモネとキクとの邂逅とか、そういうゆったりとした場面が出てくるとすごく心が休まる。なにか美しく懐かしい情景を”思い返している”ような気持ちよさを覚えてしまうくらい心地がいい。そういうふり幅をつくることで、より最後のカタルシスは大きくなる。
これは、コインロッカーから生まれ、そこから這い出して必死に生きようとする者たちの物語。そしてこの物語が持つ激情に胸打たれてしまうのは、コインロッカーとはつまり「世界そのもの」だと言い換えることが可能だからだろう。生まれてきた意味を知りたいと感じること、何かに突き動かされその世界を変えたいとする欲求、そのような押さえつけてきた感情の爆発。各々が少なからず持っているその激情を「再生」させんがために彼らは心臓の音を求め、必死に生に食らいつく。その凄まじいまでの渇きと怒り。
現状のシステムを破壊したいという”熱”。
物語は終盤に近付くにつれ虚構性が強まるが、特異な文体によってグイグイと牽引され、ついにダチュラによって世界が破壊される光景を目撃したとき、同時にハシが「産声」をあげ、終焉を迎える。
なんなんだ。なんなんだこの話は。アナーキーすぎる。ピーキーすぎる。なんという熱量なんだ。
この話に共感はいらない。むしろ嫌悪感を感じたり、意味不明だと感じる可能性の方が高いだろう。
しかし熱は、作品に込められた熱は、確かに届いた。
その熱を受け取れたのなら十分なのかもしれない。
この熱を忘れない限り、内なる渇きも怒りも忘れることはなく、私は再び生まれ変われるだろう。
「壊せ、殺せ、全てを破壊せよ、赤い汁を吐く硬い人形になるつもりか、破壊を続けろ、街を廃墟に戻せ。」 -
「コインロッカー・ベイビーズ」は、BSテレ東の番組「あの本、読みました?」で鈴木保奈美さんが「高校生の時にこの本を読んで村上龍にハマった」と話していたので興味が沸き読んでみました。1980年の上梓ですので、もう40年以上も前の作品です。
タイトルの通りコインロッカーに置き去りにされた2人が兄弟のように育ち、産みの母親を探すことと都会への復讐を描いた物語かな。
インパクトの強い作品ですが、残念ながら私には鈴木保奈美さんがハマった理由がよくわかりませんでした。想像力や感性が鈍いのかな?村上龍さんの代表作であり、発売当時も大きな話題となっていたことは僅かながら記憶にあります。 -
僕達はコインロッカーの中で生きている。
この窮屈な世界はコインロッカーだ。鉄壁のようなルールが四方を囲い、狭く暑苦しい中で僕達は暗闇を見つめている。そして、コインロッカーはコインロッカーのままで、僕達はその中で死んでいく。
“弱虫め、僕は、ちゃんと生き返ったんだぞ”(229)
でも、暗闇に光が指すこともある。
声を上げれば、キクのように声を上げ続ければ、いつか光が指してくる。
暗闇の中で、”ダチュラ”を叫べ。
そのときコインロッカーは鉄くずに変わる。
光ある世界は決して優しくない。
コインロッカーの中よりも痛い世界だ。でも、その痛みは生きてる実感だ。痛みと破壊を僕達は乗り越せる。
“誰もが胸を切り開き新しい風を受けて自分の心臓の音を響かせたいと願っている”(552)
たとえダチュラが撒かれようとも、心臓はビートを刻み続ける。
“生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる。”(562)
文章のあまりの熱量と密度に、読んでいてクラクラした。不快感を刺激する描写も多く、読後は何だか悪酔いした気分だった。
でも、この作品のテーマは案外シンプルだと思います。”好きな事して生きろ!”じゃないでしょうか?
1番わかりやすく書いてるのが、516ページ。
“キクは鮫の緑色の血の中で二つのことを知った。死に抗うのを止めると体から苦しさが消えること、心臓の鼓動が聞こえる間は諦めずに苦しさと戦い続けなければいけないこと、この二つだ。”
コインロッカーのように窮屈で閉塞的な社会の中で、”ルール(法律だけでなく習慣なども含む)”に従って生きれば苦しさは消える。でも、それじゃ心臓に申し訳ないのだ。心臓は常に生きようとして私たちの各器官にエネルギーを送っている。それを、ただ死を待つだけに使うじゃ、心臓に申し訳なすぎる。だから、心臓が鳴る限り、痛くても苦しくて、好きな事して生きよう!って作者が言っているのだと、私は思いました。 -
凄かった。圧巻だった。一つ一つの文が重くてなかなか進まなくて、途中 他の本挟んだりして結局1ヶ月くらいかかってしまったけど、ついに結末を迎えた~!
後半は特に面白くてぐいぐい引き込まれた。
キクとハシの葛藤がこれでもかってほど生々しく描かれている。最後も素晴らしかった。。。上手く言葉に出来ないけど……
私の場合は死別だけれど、母親がいないと自分の存在意義もあやふやになる。母と子の特別な絆。お腹の中で聴こえる音。もちろんその音なんて覚えてはないけど、ラストはなんだかすごく救われたというか。
数年後の2人のことも見たかったな。
読むのにかなり体力がいる本だったけどまた読みたい。
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真夏に劇薬を三ツ矢サイダーでわって飲みほした読後感
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嫌なことを永遠喋り続けられる場面が何度もあって、こういうことってあるよなとおもった。
めちゃくちゃで痛い。気が狂っていて、生きている。
すごかった
お借りした本。
手塚治虫のMWと筋立てがそっくりなんですよね!
手塚治虫のMWと筋立てがそっくりなんですよね!
手塚治虫のMWという作品は知りませんでした。
手塚治虫の方が古いのですかね。
好きな作品だと、似てしまうことはあり得ると思いま...
手塚治虫のMWという作品は知りませんでした。
手塚治虫の方が古いのですかね。
好きな作品だと、似てしまうことはあり得ると思いますが。