- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062769914
作品紹介・あらすじ
大正2年8月、伊那駒ケ岳に登山中の生徒たちを突然の嵐が襲った
山岳小説の金字塔!
大正2年8月26日、中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢、そして山の稜線上に立つ碑は、なぜ「慰霊碑」ではなく「遭難記念碑」なのか。悲劇の全体像を真摯に描き出す。
感想・レビュー・書評
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1913年に起きた木曽駒ヶ岳大量遭難事故をモデルにした小説。
学校登山での事故です。
前半は主人公である校長の人間関係がメインです。本作は新田次郎の山岳小説の中でもフィクション要素が強く感じました。
遭難してからの緊迫感はさすがの筆力。
この小説でこの事故の概要を知りましたが、中学生に同伴したOBの青年からは犠牲者ほぼでてないんですよね。
やはり遭難は体力、装備に劣る人から倒れていきますね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
八甲田山死の彷徨に続く山岳事故の本です。
八甲田山の方は大人達が犠牲になっていくのてすが、こちらの作品の犠牲者は子どもが多いです。
為す術もない。この言葉に尽きてしまうような…。
ここから何を学び取るかが、供養になるのでしょうか? -
この人の本はスゴい。まったく古さを感じさせない。
山好きならみな一度は読んだことのある作家だとは思うが、本作はさらにそこに教育も加え、読み応えのある作品に仕上がっている。
白樺派理想主義と実践主義教育との軋轢を描き出しながらも、山の脅威がひしひしと伝わってくる。
コンピューターによる天気予報が発達した今ではあり得ない悲劇だからこそ、理想主義云々の前に自然の脅威を忘れてはいけない。
2019/08 -
泣ける話ではないが。
震災や津波など不測の事態で学校や国の責任がなにかと問われがちな昨今、考えさせるものがある。 -
一気に読んだ。子どもたちの遭難の描写には胸がつぶれる思いをした。予想できない天候の急変が最大の原因とはいえ、いくつかの判断ミスが重なったことも事実。こうした悲劇の経験を生かし、今の登山のルールや常識が導き出されてきたのだろう。
しかし、教師という職業が聖職とされていたとは、なんとも隔世の感が禁じ得ないというか、まるで歴史の教科書を見ているようだ。 -
「孤高の人」をはじめに、「八甲田山死の彷徨」「銀嶺の人」など新田作品はよく読みました。
二桁年振りの新田作品。臨場感は相変わらずで感慨深く読了。 -
この遭難は羽根田氏のルポで読んだことがあった。学校登山の気象遭難にあたる。物語としては思想対立みたいのが書かれてます。
学校登山という行事自体に無理があるなあ。 -
本書の内容をほとんど忘れてしまったので、もう一度読み返してみた。
良質な本は、時間を経て、いま読んでも、心が動かされる。死に立ち合うという覚悟を感じた。
「霧が稜線を覆いつくすと、数メートル先がおぼろに見える。霧の移動が激しくなればなるほど霧は濃くなり、雨具に付着する水滴も大きくなる」で始まる。山の体験が浮かび上がる。
遭難記念碑には、「大正2(1923)年8月26日、中箕輪尋常高等小学校赤羽長重君は修学旅行のため児童を引率して登山し、翌27日暴風雨にあって終に死す」と書かれている。それに「共殪者(ともに倒れし者)」として、10名の生徒の名前が刻まれている。著者は、「慰霊碑」ではなく、「記念碑」にしてあることに疑問を持つ。大正2年は日露戦争が終わり、新しい自由教育思想、「白樺」の影響を受けた教師が増えてきた。長野県は、教育県といわれる。東京の次に、長野県が「白樺」がよく読まれたという。「白樺」は、理想主義、人道主義、個人主義、芸術至上主義の文学を掲載した。白樺は、武者小路実篤と志賀直哉が話し合い、発行された。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらの絵が掲載され、柳宗悦が「革命の画家」と評した。個性をいかに生かす教育に発展した。
本書には、校長の赤羽長重の鍛錬教育、白樺派の影響を受けた若き教師、樋口裕一。大地主の跡取り息子、学校の中における白樺派リーダーの有賀喜一の三人の教師をめぐって物語が進む。
赤羽校長は、修学旅行に鍛錬教育の一環として、駒ヶ岳登山を計画し、実行する。有賀喜一は、暴挙といって批判する。それでも、校長権限として、駒ヶ岳登山を実行する。
気象所に問い合わせても、「北東の風、曇りなれども、にわか雨の模様あり」という程度の情報しか得られなかったので、登山をすることに。青年会を加えて、37名の大所帯の登山。
そして登山の模様が、新田次郎の手によって描かれる。いわゆる韋駄天台風という急激な低気圧に見舞われるのである。ここでの描写力が実にすごい。山小屋は焼き払われてなく、みんなで山小屋を作って、そこで夜を過ごそうとするが、天気は大荒れ。「眠ったら死ぬぞ」という掛け声がなされる。そして、古屋時松が死んでしまう。赤羽校長は、もう生きて帰れぬと思う。一人でも死者を増やさないと努力するが、青年会の若者が避難小屋から、下山しようとして、小屋を守っていたゴザを剥ぎ取って逃げてしまう。風雨に吹き荒ぶ中で、下山をしなければならなかった。寒いといっている生徒に、赤羽校長は自らの冬シャツを脱いで、着させる。そのことが、赤羽校長の命を奪うことになる。
白樺派のリーダー的存在の有賀喜一は、暴挙といったが、赤羽校長のその生き様を見て、それこそが人道主義的行為と言って、褒め称え、慰霊でなく2度とそのような悲劇を繰り返さないことを誓っての記念碑設立に向かう。懸命な努力をして、記念碑を立てることが決まる。有賀喜一は寝食を忘れて取り組んで、肺結核で33歳の命を閉じる。大地主の跡取り息子樋口裕一教師は、家柄の違いで、結ばれない思いがあって、心中する。その時代における三人の教師の死を見事に描き上げる。その後長野県は山に登るということを教育に入れるのは必要だと言って、多くの中学校が、駒ヶ岳登山をする。
そうか。中学2年の時の駒ヶ岳登山って、そんな意味があったのかと改めて思った。
この本を再度読み終わって、心地よい放心感を味わった。教師を聖職と呼ぶ重みを感じた。良質な作品である。 -
後書きを読んで、長岡神社のハリギリを見に行ったけど、老木のため樹木医の診断を受けて、2年ほど前に切られたそうです(2022年春)。