死刑弁護人 生きるという権利

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062811996

作品紹介・あらすじ

光市母子殺害事件、オウムサリン事件、新宿西口バス放火事件、山梨幼児誘拐殺人事件など凶悪犯罪を起こした殺人犯-。なぜ安田好弘は、あえて死刑求刑被告人の弁護人として法廷に立つのか?「加害者もまた弱者である」の言葉を胸に被告人の人間性に迫り、でっち上げの自白強要に証拠の隠滅など、暴走する検察との戦いを赤裸々に語る、刑事裁判の真実。

感想・レビュー・書評

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  • オウム事件の「首謀者」麻原の弁護人として、そして何よりも「光市事件」の少年の弁護人として、今や「悪名高き人権派」弁護士の半生記。
    おそらく1995年辺りを起点として日本社会は大きく旋回した。その舵を切った方向や、コースや、原動力といったものについて考えるとき、安田好弘という人は鏡像として日本社会を映し出す稀有な存在ではないだろうか。毀誉褒貶の激しい人物であり、本書の中にある法廷闘争のエピソードにしても、首をかしげる部分もあるにはある。だが、彼が弁護士を職業として以来、一貫してぶれない存在であったことは本書を読めば誰もが理解出来ると思うし、その結果として誰よりも同業者の信頼を得、彼自身が被告となった裁判では実に2000人以上もの大弁護団が結成されたのだろう。
    「人権屋」「死刑廃止の運動家」とレッテルを貼ってののしることはたやすい。しかしプロとして自らの信じるところにしたがい、どのような苦境にあっても一貫して闘う姿勢を崩さない生き方は、学ぶところが大きい。多数を頼んで誹謗するだけの輩の何と卑小に見えることか。

  • この本を読んだわけではなく、映画を見ました。
    まず、この人の生き様がすさまじい。
    よくあれだけ抱えられるなーと思う。
    普通の仕事のミスって、後悔してまた立ち直れるものやけど、
    彼の場合はミスが即人の命を奪われることにつながる。
    ミスの代償が大きすぎる。
    さらに、検察が平気で証拠をでっちあげるこの世の中で、
    死刑制度ってものがどれだけ危ういものかわかる気がする。
    最後に、印象的だったのが、
    「誰でも更生できる」
    この言葉。誰だって更生できる。
    生きて贖罪を行うことの意味。強烈。
    糾弾するだけでは何もわからないし、何も救われない。

  • 5~6年ほど前、この方が光市母子殺人事件の主任弁護人であるとニュース番組で知り、私のこの方に対する印象はとても悪いものであった。と同時に「死刑廃止論者の急先鋒」「人権派弁護士」と呼ばれるこの方への興味が湧き購読。
    新宿西口バス爆破事件、道庁爆破事件、あさま山荘、オウム、和歌山カレー、耐震強度偽装等々。誰もが知っている有名な事件の弁護人を歴任している。
    私自身、基本的には死刑廃止に反対であるが、請ければ社会的に批判されるような事件の被告人の弁護を引き受け信念を貫き通す生き様、プロとしての姿勢には学ぶところも多い。

  • 光市母子殺害事件、オウムサリン事件、新宿西口バス放火事件、山梨幼児誘拐殺人事件など凶悪犯罪を起こした殺人犯―。なぜ安田好弘は、あえて死刑求刑被告人の弁護人として法廷に立つのか?「加害者もまた弱者である」の言葉を胸に被告人の人間性に迫り、でっち上げの自白強要に証拠の隠滅など、暴走する検察との戦いを赤裸々に語る、刑事裁判の真実。(引用)

    著者は、弁護士であり死刑制度廃止論者です。注目度が高く、世論が死刑を是とする裁判を多く担当し、世論からは「裁判を死刑廃止に利用している」とのバッシングを受けたこともありますが、これについては文中で、裁判は事実を争う場であり思想を持ち込むのは論外である旨の弁明をしているので、明記しておきます。

    本書は、著者が冤罪や過重刑罰と戦ってきた記録のようになっています。裁判所や検察の矛盾を的確についているような部分も随所に見受けられます。法廷では事実を争い、その事実によって判決を下すべきであることは当然のことながら同感します。
    ただし、著者が真にそのような姿勢でいるかというと、私は疑問に感じました。確かに、裁判所や検察の恣意的な解釈などもあるとは思いますが、それが著者についても言えるように読めるのです。被告人の都合のいいように解釈をしたり、被告人の供述に事実を合わせるように解釈をしていると感じられる部分が多くあります。これは私の個人的な感覚ですので、読む方に判断していただきたいところです。
    さらには、検察への批判の前提としている事柄を、被告人に関する記述には用いないといった公正でない展開をしており、論理破綻しているところもあります。

    以上のような内容の是非はともかくとして、私が不満なのは、文章力が非常に拙いことです。スッと頭に入ってきづらい文章です。また、二人の人物について述べた直後の文章で「彼は~」といった使い方をしたり、そもそも主格がわかりにくかったりします。本来であれば、文章そのものから判らなければいけないですし、そうでなくても文脈から明白である必要があると思いますが、そうでもありません。

    司法の腐敗している部分や、検察の正義を誤った部分と闘う理念や、どんな犯罪者であっても司法という制度的枠組みの中で正しい裁きを受けるべきという考えはは素晴らしいと思います。ですがそれだけに、口先だけで中立性を徹底できていない(ように私には感じられる)姿勢が残念でした。
    偏った人権意識により死刑廃止を訴える人には、面白い本なのでしょう。しかし、正確な事実の把握・中立的な情報の収集を求める人間にとっては、死刑廃止論者と存置論者とを問わず、論理も文章も粗が目立ちすぎて、共感することは難しいのではないかと思います。

  • まえがきに、「強い人」と「弱い人」の対比がある。「強い人」は能力が高く、信頼できる友人がおり、、相談相手がいて、決定的な局面にいたる前に問題を解決していくことができる人たちであり、一方「弱い人」はその正反対の人で、なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になると説く。ファーマータナカも正しく「弱い人」であり、それ故か加害者に自分を重ねあわせる部分がある。断罪する立場ではなく、紙一重でこちら側に留まっているにすぎないといつも思う。猛烈なバッシングの中で安田好弘氏は何故死刑弁護人の立場を悲痛にも貫こうとするのか。

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