「神道」の虚像と実像 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.27
  • (3)
  • (6)
  • (13)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 189
感想 : 13
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881098

作品紹介・あらすじ

近年、内外で神道に対する興味と関心が大きく高まっています。原理主義の伸長などを背景に一神教の行き詰まりが論じられ、多神教的宗教のありかたへの見直しが始まっていること、靖国問題などをめぐって神社や神道があらためて問題とされ、その理解をめぐって種々の議論が展開されていることが要因でしょう。
さらに地球温暖化など環境問題の深刻化とも関わって、自然との共生という観点からアニミズムへの関心が、日本の神社や宗教のありかたに目を向けさせたといえます。
しかし、日本の神社・神道や日本の宗教についてこれまで論じてきた著作は、いずれも日本の宗教の一部に触れるに止まって、その全体を論じ得ていないのみならず、事実認識という点においても多くの誤りを含んでいます。
第一に柳田国男などの見解に基づいて、「神道」は日本固有の宗教であり、原始社会以来の自然発生的な宗教だとこれまで理解されてきましたが、むしろその起源は7世紀後半の古代律令制国家成立期に求められるべきです。たしかにアニミズム的信仰がこの列島を覆ってきましたが、いわゆる「神道」や「神社」は国号「日本」や「天皇」号同様に、中国からもたらされた律令法と一体をなす寺院や仏教に対抗し、「日本」の独自性を強調するための一環として創始されたものと考えなければなりません。
第二にその独自性の発展形態、単なるシンクレティズムでない「融通無碍な多神教」として中世以降の「神仏習合」を理解する必要があります。
第三に江戸期から近代における「国体」観と明治期の国家神道の成立をきちんと捉えなおさなければなりません。一言にしていえば「国家神道」とは世俗の国家権力によるコスモロジー(古代天皇神話に基づく宇宙観・世界観・国家観)の再編成と独占、それに基づく宗教統制及びその政治的利用にあり、それを象徴する宗教施設が靖国神社であり、それはまさに「国家神道」の象徴というべきものといえる、ということになるでしょう。
本書は神道の全体像とその変遷を正確に叙述し、読者に理解していただく最良のよすがとなります。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 神道は「日本固有の民族的宗教」であるという見かたをしりぞけ、古代の律令国家による宗教政策においてすでに「神仏習合」の最初のステップが開始されていたことを実証的に示すとともに、その後の神道の形成・変容の過程をわかりやすく解説しています。

    古代において、神祇信仰は仏教などと対比されるような自立した宗教ではなく、修験道や陰陽道とならぶ祭祀および儀礼のひとつとして、日本古代の宗教状況の一部を成していたと著者はいいます。さらに中世における神道のありかたについて、著者は黒田俊雄の顕密体制論を参照しながら、「王法仏法相依」論と同様の理論構築がなされ、それが「本地垂迹説」となったと論じられます。吉田兼倶の唯一神道はその具体化であり、権門体制や中央と地方の関係などが絡みあう多元的な中世社会のなかに、神道を位置づけることができるという見かたが示されています。

    また、近代の「国家神道」が神道の歴史的実態から乖離したものであることを指摘するとともに、それに対抗して打ち出された柳田國男の一国民俗学的な立場からの神道の解釈の問題点をも批判しています。著者は、柳田民俗学の批判を通じて、戦後の新京都学派による日本文化論への批判にまで議論をひろげて、日本固有の民俗的宗教を求めることに対する疑義を提出しています。

  • 「神道」という非常に大きいテーマを通史的に扱った新書。

    「神道」に対する歴史的な変遷がはっきりと分かった。
    いかに今までの自分がぼんやりと「神道」というものを理解していたのか痛感させられ、またそれに起因する歴史認識の未熟さが浮き彫りになった。

    ところどころ単純化されすぎている部分もあったが、新書なのでそのあたりは仕方ないのかもしれない。

    繰り返しになるが、本書を通じて自分自身の「神道」に対する認識の甘さが分かったため読んで良かった。

  • 柳田国男が定着させた民俗的・自然発生的「神道」を否定し、仏教、陰陽道なども含めた「融通無碍な多神教」こそが日本の宗教だという論。柳田神道が当たり前と思っていた身にとっては衝撃的です。
    最近読んだ、感情的すぎる「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」に比べると、随分冷静に日本と神道、天皇家、政治のことを語っています。「日本人は〜」は僕には響かない本でしたが、どうせなら両方読んだほうが面白い。

  • 神道は、太古の昔から現在に至るまで続く自然発生的な日本固有の民族的宗教である、という柳田国男的「神話」を打ち破る、という明確なテーマを持った本。面白かったけれど、結局は水掛けのような。「神道」の危険さはわかるけれど、それだけでもないだろうとも思う。

  • メモ
    日本固有の民族宗教「神道」は嘘。アニミズム的信仰はあったが、教義は曖昧。仏教の影響で社殿や偶像を設け、天皇神話と国家の統制で神社が作られた。神仏習合、垂迹。「神道」という言葉も中世にでき、近世後期から近代のナショナリズムに利用。日本の近代化、侵略戦争のため「宗教にあらず」の国民の道徳として国家神道が作られる。

  • 神道の誕生から現代に至るまでの長大な歴史を簡単にまとめた意欲作,議論を起こすにはちょうど良い。

  • 神道が太古から連綿と続く自然発生的な日本固有の宗教である、という見方が誤りであり、それがどのように形成されたものであるかを、古代から近現代にわたる歴史を概観しながら明らかにしようとしている。著者の立場ははっきりしているので、論旨は明快でわかりやすい。日本に古来から見られるのは、一貫した神道でも仏教でも儒教でもなく、「融通無碍な多神教」とそのパーツにすぎないカミ・ホトケだけである(著者よりすこしオーバーな表現だが…)という捉え方はなるほどと思いつつも、国家神道が政治権力を背景としていたとはいえ、なぜあれほどの猛威を振るったのかについて、もう少し知りたいような気がした。

  • 2018/09/22

  • 「神道」の虚像と実像 井上寛司 講談社

    神道はその昔中国から輸入した言葉であって
    「じんどう」とか「しんどう」と発音されていたのが
    当時のヤシロ・ミャ・モリ・ホコラなどの縄文アミニズムから
    天皇支配の古代律令制度による神社となることとならんで
    天武天皇の名において民衆の心を一つに結ぶため
    古事記が作られ日本書紀を独立国として諸外国に顕した
    それ以後神道は「しんとう」と名を改めて
    仏教や儒教と絡みながら
    明治維新までの国家を支える使命をもつことになった

    正確を期すならば神社は7世紀後半に天皇による中央政府により
    官舎と呼ばれて全国を治める神殿を持った宗教施設である
    しかしヤマト政権によってこの神社に先立つこと7世紀の初めに
    伊勢神宮や鹿島神宮や出雲神宮などが成立している
    更には地域の豪族によるカミ祭りがあり
    これらの全てを統一しようとしたのが官舎としての神社であるが
    それには時間がかかったということである

    日本列島は一世紀ごろから階級社会の発生が起こり
    三世紀の邪馬台国で国家としての組織が形をなしていく
    更に古墳時代を通して国家形成が推し進められた
    その当時
    中国大陸の随や唐の成熟した帝国が周辺の東アジアに影響を及ぼしていた
    日本も律=刑法と令=行政法を中国から導入するに伴い
    中国の皇帝と異なる天皇を導入したのである

    従って天皇という称号は天武から始まるもので
    それ以前の推古天皇などは「推古大王」と区別して呼ばなければならない
    皇帝が律令制度の頂点にあるのに対して
    天皇は律令制を超越する存在として位置づけられていた
    天皇は法に権威を与える現人神という立場にあり
    行政権に司法権に祭祀権を統括するものとして日本の統一を図り
    ある意味傀儡である象徴としての天皇を置くことで
    中国の唐と肩を並べる体制を目論んだ
    このために国内に士農工商穢多非人的な支配体制の仕組を浸透させ
    その他中国を除く近隣諸国を野蛮な地域として蔑んだのである

    儒教・道教・仏教のうち儒教は宗教としてではなく
    役人層の教養あるいは民衆の道徳として導入され儒学として重視された
    具象的な力関係を生み出す現世中心の儒教や道教を超えた
    抽象的で壮大な宇宙観による仏教のみが組織の安定に利用され
    体系的に律令政治と関わることになる
    ここで日本独自の存在として仏教の壮大な教義と絡めながら神仏習合を描き
    地域の豪族をテリトリー内に引き込むために現されたのが神社組織なのだ
    国譲りを盛り込んだ歴史を洗脳することで事実を有耶無耶にして隠蔽することに
    成功したと言えるのだろう

    五斗米道 太平道

    インド中国日本という三国世界観からなる神国日本は
    11世紀末の最澄による顕密仏教によって再編成され
    天神七代地神五代人王の神武以下歴代天皇という歴史観に改められた
    更にはキリスト教という一神教を持ち込んだヨーロッパ文明との出合いが
    三国世界観を破壊して神儒仏一致による鎖国制度の中で緒宗教と幕藩体制の
    結びつきが強化され儒学を盛り込んだ神道へと変化していく
    そんな中でも吉田兼倶の力に揺らぐことはなかった

    明治になって宗教という言葉が翻訳語として生まれ進化論の伝来と共に
    宗教と科学の対立が起こり宗教は合理性に富んだ倫理や哲学という学問の
    下積みに追いやられる
    政府の見解では神仏分離と言い「神社は国家の宗祀であり宗教でない」と言うが
    国民は依然として信仰対象としていたこともあって無宗教的な融通無碍な多神教を
    呈しているのも強権的な国家神道推進によってもたらされたという

    日清日露戦争がもたらしたイデオロギー
    日本は先進資本主義列強の仲間入りを果たしアジアで唯一の植民地を持つ
    帝国国家となりその教育制度によって国家神道も影響を受けて
    国家による保護が弱まり経営が成り立たなくなる
    そこで神社は国の主張である「神社は国家の宗祀であり宗教でない」を逆手に取り
    民衆の拠り所である立場を捨てて国家による保護を主張したのである
    天皇の意向による日清日露で生まれた膨大な戦死者を公的に鎮魂するために
    陸軍省が中心となる靖国神社の前身である東京招魂社に合祀されることになった
    靖国神社への改名と共に天皇の命令で死んだ者を英霊たちの偉業を讃える場とし
    植民地獲得を目指す帝国主義の戦争を美化し正当化して国民を追い込む機関として
    重要な役割を担ったって来たのである
    一般から召集されて死んだ兵隊が眠る国立千鳥ケ淵戦没者墓苑をさておいて
    戦争を運営してきた戦犯を祀る靖国神社を日本軍国主義の象徴だとする所以である

    国家神道の変質
    鎖国というモンロー主義とも言えそうな状態から豹変して侵略国家となった日本は
    実にご都合主義で視野の狭いが故の利己的に陥ったバカな存在だといえるだろう
    しかも国民もろともに世界中を巻き込む盲目的地獄を作り出すという
    罪を犯したことを負の体験として深く反省し積極的に世界に呼びかけ
    調和の道を模索しなければならない立場にある筈である
    国家権力の被害者であった国民が結果的に加害者に追い立てられてしまうという
    愚かで理不尽な体験を有効にして未来を創造しなければ
    生命体として産まれた意味を成さず犬死を繰り返すだけとなってしまうのである

    侵略とは物質的なモノに限らずその前提として主体である個々の心を
    個々の選択を支えるための手段でしかないはずの組織体がひるがえって
    主たる個々を侵略するという二重構造であることを理解する必要がある
    それは主たる自らを維持する自主性を放棄した個々に問題があるのであって
    自主性を持ち得ない道具や手段に責任を添加しても解決どころか
    空回りのナンセンスで始まらないのである

全13件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

島根大学・大阪工業大学名誉教授。日本中世史。
【著書】
『日本の神社と「神道」』 校倉書房、2006年。
『日本中世国家と諸国一宮制』 岩田書院、2009年。
『「神道」の虚像と実像』 講談社、2011年。
【共編著】
『宍道町歴史史料集』中世編 宍道町教育委員会、1992年。
『史料集・益田兼見とその時代』(岡崎三郎との共編著) 益田市教育委員会、1994年。
『史料集・益田兼尭とその時代-益田家文書の語る中世の益田2』(岡崎三郎との共編著) 益田市教育委員会、1996年。
『資料集・益田藤兼・元祥とその時代-益田家文書の語る中世の益田3』(岡崎三郎との共編著) 益田市教育委員会、1999年。
『島根県の歴史』(松尾寿、田中義昭、渡辺貞幸、大日方克己、竹永三男との共著) 山川出版社、2005年。
『戦国武将宍道氏とその居城-乱世を生きる』(山根正朋、西尾克己、稲田信との共編著) 宍道町21世紀プラン実行委員会、2005年。

「2023年 『出雲国造北嶋家文書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井上寛司の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジャレド・ダイア...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×