弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)
- 講談社 (2011年12月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062881357
作品紹介・あらすじ
これらの「小さな社会」は、人が他者とつながり、お互いの存在価値を認め、そこにいるのが当然であると認められた場所である。これが「包摂されること」であり、社会に包摂されることは、衣食住やその他もろもろの生活水準の保障のためだけに大切なのではなく、包摂されること自体が人間にとって非常に重要となる。「つながり」「役割」「居場所」から考える貧困問題の新しい入門書。
感想・レビュー・書評
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本書は、「社会的包摂(Social includion)」と言う概念の入門書です。一時期「格差」という言葉が流行りましたが、そこに手を差し伸べる社会的包摂という言葉はあまり定着していないかもしれません。
社会的包摂と対をなすのが「社会的排除(Social exclusion)」で、こちらは貧困や格差と密接に結びついてはいるものの、イコールではありません。というのも、社会的排除・包摂が注目するのは、彼・彼女らが貧困と言う状態に陥る過程であり、そうした過程を生み出す社会の構造と言う視点だからです。
つまり、貧困(=経済的問題)や格差、社会の制度といったものが、地域や家族、友人などといった人間関係を壊し、社会の中での居場所や役割(乱暴に言えばアイデンティティ)を壊してゆく。その広範で長い過程を射程に入れているのが「社会的排除」です。そしてこうした状況に支援を行うためには、社会の制度(政策)に「包摂」の視点が必要だということです。
貧困に対して経済的に支援するだけでは、排除された人に支援が行われるか分からないし、支援が行われたとしても、(とりわけ弱者に対して)社会に排除の仕組みがあるのなら、再び排除されてしまうだけかもしれない。
社会的包摂と言う概念は、その範囲は広すぎて頭がくらくらするほどです。が、本書はホームレスの”おっちゃん”たちの話を通じて、社会的包摂の考え方、望ましい社会制度の下書きを描いています。
小難しい制度や概念の話だけではないので、入門書としてはとても読みやすいと思います。
ちなみに、「かっちゃん」の衝撃の最期。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
社会的排除という言葉を初めて聞いた。
格差は確実に存在している。けれど、弱者をないものとして社会の隅に追いやる状況は、この本が発行されて9年経った今でも変わらないんじゃないかと思う。
いくら暮らしが発展して便利になったからとはいえ、やっぱり人とのつながりは大切。誰かに認められること、自分の居場所があることが何より生きがいになるし生きる活力になる。でも貧困と格差がその人間らしさを奪ってしまう。私の周りに貧困者がいたらどうするだろう。もし自分がその立場になったらどうするだろう。考えるきっかけになった。 -
昔は地縁、血縁が基盤であったが、いまは職縁の時代である。ゆえに失業はその縁を失うことであり、失業が長引けば友人付き合いも希薄になり、だんだん社会の周辺に追いやられてしまう。これを社会的排除と言い、対の概念を社会的包摂という。
日本の相対的貧困率は16%である。つまり6人に1人が相対的貧困である。
では残りの84%はどうか。この84%の層には貧乏が蔓延している。
貧困は経済用語であり、貧乏は心の問題である。他者との比較から欠乏を感じるのが貧乏である。しかし、この84%の経済格差は小さい。この層は希望格差であろう。 -
社会的包摂についての導入本
社会的包摂とは、簡単にいえば「人を社会から追い出さず、包み込むこと」です。生活水準を保つための資源の欠如に着目していた従来の貧困概念に対し、人の社会的位置や人間関係に着目した概念です。
本書では日本の貧困・格差について論じながら、この社会的包摂を紹介しています。データなどにつっこみどころはありますが、わかりやすくていい本だと思います。すぐに読み終えることが出来ました。
個人的に、物質的欠如に着目した貧困論だとそのような状況に陥ることを自己責任とした上で「可哀想だから救済する」という色彩が強いと感じるのですが、社会的包摂概念は貧困をより社会構造と結びつけて捉え、階層に関わらず社会に生きる人間一般に関わってくる問題として貧困を捉えています。
貧困に全く自己責任の要素がないわけではないですが、生活保護バッシングをみるに自己責任の追求が行き過ぎているのではないかと感じる点もあるので、社会的包摂概念がもっと広まってそのような日本の貧困に対する見方に風穴を空けていってくれたらいいなと思います。
格差極悪論やマタイ効果、障害の社会モデルなどを引いて社会として貧困対策に取り組む必要性の根拠について触れている部分もあり面白かったです。 -
この人の本は、前に『子どもの貧困――日本の不公平を考える』(岩波新書)を読んだことがある。同書は子どもの貧困問題に絞った概説書であったが、本書はより広い視点から日本の貧困問題を概説したもの。
帯の惹句のとおり、貧困問題を大づかみに理解するための入門書としてよくまとまっている。貧困研究の最前線を垣間見ることができるし、「社会的包摂(Social Inclusion)」の概念の解説書としても優れたものである。
『子どもの貧困』を読んだとき、当ブログのレビューで私は次のように書いた。
《湯浅(誠)らの著作にあるような生々しい人間ドラマは、本書にはない。それに、データや図表を駆使した内容はどちらかというと政府が出す白書のようで、無味乾燥な感じがしないでもない。》
ところが、本書には「生々しい人間ドラマ」が随所にあり、白書的な無味乾燥に陥ることを免れている。著者が研究者になる前に参加していたボランティア活動で出会った「ホームレスのおっちゃん」たちの思い出がちりばめられ、著者の主観、「素」の部分が大きなウエートを占めた内容になっているのだ。
そうした変化について、著者はあとがきでこう書いている。
《どちらかと言えば、客観的なデータ重視で論考を進める私のスタイルとは一転する展開となった。(中略)私は社会的排除/包摂というトピックについて、彼ら(出会ったホームレスたち/引用者注)のことなしに考えることはできない。社会的排除を、抽象的な理論や、無機質なデータで語ることができない。》
実体験をふまえた本書の「熱さ」が、私には好ましく思えた。『子どもの貧困』より本書のほうがずっとよい。貧困問題の入門書でありながら、一冊の本としてすこぶる感動的である。たとえば、次のような一節は胸にしみる。
《現代日本社会の中で、かっちゃんが「承認」された場は路上だけであった。彼を包摂したのは路上のコミュニティだけであった。私が彼と出会って3年ほどしたころ、寝ていた段ボール小屋に火をつけられて、泥酔していたかっちゃんは眠ったまま焼死した。焦げた地面のあとには、仲間がいつまでも野の花を供えていた。》 -
ラウンジ
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社会から排除されないように努力をすべき、と考えられがちだけど、だれもが排除されないような社会を本来はつくるべきだというのが納得した。
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第59回アワヒニビブリオバトル「弱い」で紹介された本です。
2019.12.03 -
困難な環境に陥ることはいつ誰でも可能性がある。自分には関係ないと思わず、そのような環境に陥った時に手を差し出してもらえる社会の仕組が欲しいと心から思える内容だとおもいます。
( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 https://www.bizmentor.jp/bookbar )