- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062883566
作品紹介・あらすじ
批評家・佐々木敦氏による『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』から連なる待望の3冊目。
今回のテーマは「文学」。各主要文芸誌でも精力的にすぐれた論考を発表している著者が、あらためて「日本」の「文学」を解き明かします。
戦後、とりわけ70年代末からの日本の文学シーンにはどのようなことがあり、どのような歴史があるのか。つまり、ニッポンの小説はどのような歴史=物語を持っているのか。前2冊と同じく、80年代(70年代末)から始まるディケイド論で論じていきます。
「文学」と呼ばれている小説と、一般的には「文学」と見なされていない小説とを、全く同等に扱うという視点で日本の小説史をたどり直す試みは、今までなされて来ませんでした。
狭義の「文学」と他のジャンル小説を同一平面上で語ってゆくことで、「芥川賞/直木賞」という制度によって今なお維持されている「文学」の聖性を相対化しようとするのが本書の目的です。
感想・レビュー・書評
-
誰かの本紹介から(誰だっけ)、興味がわいて読んだ。
周辺知識が読書をより一層面白くする、というのは実体験があったため、昔では絶対に手を取らないであろう類の本だったが、難なく読めた。
タイトルにある、文学という言葉。
深掘りしたことはなかったが、文学とは何かと言われると全然わからない。
小説とは?文学とは?ミステリーとは?本屋で何度も見るけど、どう違うんだっけ?という感じ。
本書では70年代から2010年までの小説やら文学やらの変遷を紐解く。
火花の話は出てくるだろうなと思っていたら、クライマックスで出てきてテンション上がった。(未読だけど)
直木賞とか、読書家の常識みたいなことが分かって良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文学といいながら、いわゆるエンタメ(ミステリやらSFやら)にまで踏み込んだ内容で、とても読み応えあり。最初に書かれているように、純文学も一つのジャンルと考えての論考で、こういう切り口も断然アリだと思えた。どちらが優れているかっていう不毛なやり取りよりも、どちらも同列に扱う方が、寧ろ双方に対するリスペクトの証左とも思えるし。何よりも、ジャンル横断的に重要作家が網羅されているのも見どころ。読書ガイドとしても高品質な側面を持つ。他の著作:ニッポンの思想も手に取りたくなりました。
-
著者が講談社現代新書で刊行してきた『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』の続編。著者は「三部作」と位置づけている。
私は『ニッポンの音楽』は読んだが、『ニッポンの思想』は現時点で未読である。
「ニッポンの」と冠されてはいるが、俎上に載るのは1970年代以降の文学であり、「日本文学史」のたぐいではない。
著者は「あとがき」で、三部作について「私にとって紛れもない個人史の試みであった」と書いている。つまり、自身が少年時代から読んできた本、聴いてきた音楽を、改めて振り返る内容なのだ。
私は著者と同い年だから、読書経験もかなり重なっており、共感するところが多かった。
本書は、70年代から現在までの日本文学(といっても、SFやミステリにそれぞれ一章が割かれるなど、扱う範囲は広い)の概説書としては、大変よくできている。
私小説についての言及が皆無に近い(西村賢太は完全に無視されている)など、著者の好みに合わせて内容が偏ってはいる。が、新書一冊分の限られた紙数で半世紀近い年月を見渡すには、これくらいざっくりしたまとめ方が最適解かな、という気もする。
ただ、前作『ニッポンの音楽』が批評としても優れていたのに比べ、本書は批評性が薄い印象だ。「こういう小説が売れました・◯◯賞を取りました」などという、たんなる事実の羅列に終わっている部分が目立つのである。
「やはり、佐々木敦の本領は音楽評論にある」との感を深くした。 -
純文学、SF、ミステリ、ラノベと、守備範囲が広い文学論で興味深かった!村上春樹は「日本語で書く英語作家」であり、「日本語で書かれたアメリカ文学」という指摘にはミョ〜に納得!
-
910-S
閲覧新書 -
文学史としては、成功していないが、SFや本格ミステリを含めた小説の批評としては成功しているのではなかろうか。
-
文学
-
『ニッポンの思想』および『ニッポンの音楽』(ともに講談社現代新書)とならぶ三部作の第三弾です。いわゆる日本文学史とは異なり、ミステリやSF、ライトノベルなど「文学」に接するジャンルにも立ち入ることで、日本の「文学」という制度を問いなおし、その境界が溶解しつつある現状を明らかにする試みともいうべき内容になっています。
本書では、各年代ごとの代表的な人物をとりあげて時代的な変遷を大胆にえがきだす試みがおこなわれていた前著とは異なり、ミステリやSFといったジャンルごとにそれぞれの代表的な作家を紹介しています。ただそのぶん、著者自身の独自の観点が示されているわけではなく、比較的簡潔な概要を紹介するにとどまっているのではないかという不満もおぼえました。
同様の問題意識を独特の観点からくり返し論じている批評家に大塚英志がおり、本書でも彼の『サブカルチャー文学論』(朝日文庫)での議論や、笙野頼子とのあいだでなされた論争にも言及されています。ただし大塚のばあい、サブカルチャーが相対するメイン・カルチャーがいまや一つのジャンルにしかすぎなくなってしまった現状に対する彼自身の屈折した批判意識を梃子にして、メイン・カルチャーがいまや放棄してしまった責任のありかを逆説的に浮きあがらせるという、ある意味で悲劇的な試みがなされています。これに対して本書では、「文学」が一つのジャンルにすぎなくなった現状をそのまま受け入れることで、本書のような文学についてのガイド・マップが成立していることに対する反省が欠如しているように感じられます。
そうした批評意識がもはや時代遅れのものになってしまったことを承知しつつも、すくなくとも一度くらいはそのことを顧みておく必要があるのではないでしょうか。