- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062883863
作品紹介・あらすじ
情報を制する国家が覇権を獲得する!
17世紀オランダの活版印刷、19世紀イギリスの電信、20世紀アメリカの電話――、世界史上のヘゲモニー国家は、情報革命の果実を獲得することで、世界の中核となった。しかし、インターネットがもたらしたのは、中核なき世界だった!
情報の非対称性がなくなっていく近世から、情報の不安定性が激しさを増す現代まで、ソフトパワーの500年の歴史を辿りながら、「近代世界システム」の誕生、興隆、終焉を描きだす一冊。
感想・レビュー・書評
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本書では、オランダ、英国、米国が、情報網をどのように掌握したか、またそれを活用して、ヘゲモニーの一時代をどのように確立したかについて、著されています。
ヨーロッパ商業の国際展開の中核であったオランダと、活版印刷技術が商取引のテンプレート化に果たした役割について、本書を読んで初めて認識しました。
また、電信網を張り巡らせ、情報を迅速に伝達・収集することによって情報帝国としての地位を確立した英国。19世紀にはユーラシア大陸を横断する電信網や海底ケーブルまで敷設し、グローバル電信網を構築していた事実に驚きました。これが今に続く、海運・金融セクターでのロンドンの国際的な地位の確立に大きな役割を果たしていることがよく分かりました。
更に、アメリカが電話網の構築により、よりライブな情報である音声の伝達を通して新たな情報帝国として台頭し、IMFのような国際機関やブレトンウッズ体制の構築により20世紀に超大国となったこと。
本書での中心は、上記3か国についてですが、個人的にはフランスのユニークな腕木通信という情報伝達ネットワークが、ナポレオンの情報戦略を支えていた、という件を興味深く読みました。フランスはインターネットに先駆けミニテルを発明・展開したことも良く知られています。
またサミュエル・モールスがなぜ電信信号を発明したか、その動機には、彼の妻の死があることを本書で初めて知りました。重要なことをいち早く情報として伝達することを実現するためなのですが、もともと画家であった彼がモールス信号を発明するに至る背景に、彼の妻への愛を感ぜずにはいられませんでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
はじめに 世界史のなかの情報革命
第一章 近代世界システムと情報
第二章 世界最初のヘゲモニー国家オランダーーグーテンベルク革命の衝撃
第三章 繁栄するイギリス帝国と電信
第四章 アメリカのヘゲモニーーーなぜ栄えなぜ滅びたか
第五章 近代世界システムの崩壊ーー不安定な情報化社会
おわりに 中核なき時代 -
ちょっとおもしろそうなので手にとってみた。
今で言うところの情報産業を、まとめてソフトパワーとし、その切り口で過去の覇権国を見定めていくような感じの内容でした。
オランダ、イギリス、おメリカという3つの覇権国家が情報伝達の新しいテクノロジーをどう利用してその地位についたのか、というのはかなり興味深く読むことができた。ただし電話とアメリカの覇権の関係だけはどうも明確には理解しがたい。
他の著書もちょっと手にとってみようと思える内容。 -
今日、企業にとってもビジネスパーソンにとっても「情報」は、収集すべき最重要課題です。しかし、本書で取り上げる「情報」とは、ITとかインターネットといった狭い範囲の「情報」ではありません。活版印刷から始まる広い意味での「情報」を扱います。「情報」を世界的視点・歴史的視点で俯瞰するには、本書のような本が欠かせません。
https://shimirubon.jp/reviews/1677338〈情報〉 帝国の興亡 ソフトパワーの五〇〇年史 | レビュー | 世界史を俯瞰し「情報」を理解する | シミルボン
<目次>
はじめに 世界史の中の情報革命
第一章 近代世界システムと情報
第二章 世界最初のヘゲモニー国家オランダ グーテンベルク革命の衝撃
第三章 繁栄するイギリス帝国と電信
第四章 アメリカのヘゲモニー なぜ栄えなぜ滅びたか
第五章 近代世界システムの崩壊 不安定な情報化社会
おわりに 中核なき時代
主要参考文献
あとがき
2016.08.21 新書巡回にて
2016.12.31 読書開始
2017.01.06 読了 -
情報に焦点を当て、ヘゲモニー国家の500年にわたる興亡について書いた本。著者によると今までヘゲモニー国家といえるのは、オランダ、イギリス、アメリカの3か国しかない。その3か国を情報の視点からみると、オランダは印刷機、イギリスは電信、アメリカは電話によって情報管理をしていた。ヨーロッパの歴史に詳しく、説得力ある話の展開がなされており、役に立った。
「アムステルダムは武器貿易の中心であった。それにより、戦略、戦術に関する情報が比較的容易に入手できたことは、極めて重要であった」p26
「オランダは活版印刷術、イギリスは電信、そしてアメリカは電話を使用した。これらが要因となって商業情報の中心となり、ヘゲモニーを握ることができたのである」p28
「ヘゲモニー国家とは、経済的に何が正しいのか決められる国家である」p31
「(16世紀まで)ヨーロッパでは、長い間、修道士などが書物を筆写して新しい写本を作成していた。筆写しか方法がなかったのだから、書物の出版数は、なかなか増えなかった。知識は、修道士などの一部の階級の独占物にとどまっていた。彼らが、情報発信と知識の担い手であった」p37
「個々の商人は情報の非対称性を利用して利益を得るが、社会全体としてはそれを縮小させなければ適切な経済活動が困難になる」p43
「フランス革命によって、フランスの貿易量が大きく低下したからこそ、イギリスがヘゲモニー国家になれたのである」p50
「17世紀のヨーロッパ商業の中心地はアムステルダムであった。アムステルダムが持つ、もっとも重要な機能は、商品の流通と情報の集約・発信であった。1600年に6万5000人だった人口が、1700年には23万人になった。さまざまな地域から、人びとが移住したからである」p68
「西欧の一人当たりの出版点数は、清や日本のようなアジア諸国と比較して、はるかに多かった。しかも、活版印刷術の改良により、書物の価格は安価になった。要するに、西欧はアジアよりも大きく進んだ知識社会であった」p71
「オランダにせよポルトガルにせよ、商業情報のネットワークとは、商人のネットワークだった」p85
「パリからブレストにはだいたい550kmの腕木通信線が整備されていました。そしてパリから発信された腕木通信の信号は、何とものの480秒(8分)後にブレストに届いたといいます。これは秒速1125m、音速の3倍以上の速さで信号が駆け抜けたことになります」p90
「アメリカという国は、アメリカ大陸以外の地域から大きく離れている。したがって、攻撃を受けにくい一方で、他地域を攻撃することができるという利点がある。それが如実に現れたのが、二つの世界大戦であった。第二次世界大戦が終わると、アメリカは圧倒的な経済大国として登場する」p134
「イギリスが世界に張り巡らした電信は、世界中で使われ、その使用料がイギリスに流入した。世界経済が成長するほど、イギリスは儲かるうえに、世界各国はイギリスが作り上げたシステムを使うほかなかった」p151
「明確なヴィジョンなき破壊のあとには、よりたいへんな生活が待っているだけかもしれない」p188
「ウォーラーステインによれば、飽くなき利潤追求が、近代世界システムの特徴である」199
「企業が短期的成果しか求められないのは、近代世界システムと新しく生まれつつあるシステムの構造の問題に由来するものと思われる」p202
「人は知らず知らずのうちに、貧困にあえいでいる人たちから搾取する可能性がある」p203 -
「〈情報〉帝国の興亡 ソフトパワーの五〇〇年史」 読み終わった。インターネット以前の情報史(出版、腕木通信、電信、電話)がまとまっていて手軽に読むには良い本。ただ、もう少しインターネットについて書かれていても良い気がする。
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非常に面白く感じました。
気になりましたのは筆者の誠実すぎる引用なんです。
「ウォーラステインでは・・」
きちんと引用先示して反対意見も筆者なりにNOと書いている訳ですよ。
引用先や資料先より知識を体得し血なり肉なりにしていらっしゃるにも
関わらず、いちいちこまめに書くと読んでるこちらが
なんというか「躓く」おっとっと・・・という感じで。
ズバリと筆者のストレートな強烈なパンチを出さないと
読んでる方は騙されません・・・。「そうか・・そうだよな!」とgo!go!とはなりません。
職人気質の学者さんですよね。仮構でもぐわーっと・・
読み物ですしね・・・ -
今まで何冊か覇権を取った国(17世紀中頃のオランダ、19世紀末から1次大戦勃発までイギリス、アメリカ=ウォーラーステインによればこの3つ、アメリカは二次大戦後からベトナム戦争勃発まで、p22)の解説本を読んできました、それなりに納得してきましたが、イギリスやアメリカが世界の工場の地位をなぜ明け渡すことになったのか、自分のなかで少しもやもやしたものがありました。
また東南アジアの覇権争いで、イギリスはオランダに負けたのですが、それに対して徐々に海軍力をつけてきたイギリスが逆転したと理解はしてきましたが、それだけではなく、その影には情報力を制するシステム(電信網の構築)があったことがこの本で得た大きな情報でした。またオランダが覇権を握れた肝は、活版印刷技術、であったこともこの本で初めて知りました。
他の国が発展すればするほど、その情報網を使うことでイギリスに手数料を払うことになるのでイギリスが益々発展する、という素晴らしい仕組みを作ったことで、イギリスは世界の工場の立場を守るよりも、より儲かるシステムを作り上げたことが、結果的に覇権国になったと理解できました。アメリカは、電信に対して「電話」という一般市民も使えるシステムを構築することで、それに対抗していった、という内容も面白かったです。
以下は気になったポイントです。
・数年前にクロマニヨン人は言葉を発した、そのため動物や昆虫と異なり、無限ともいえる情報を伝えられるようになった。音声の誕生により人類は文明を急速に発展させることが可能になった、更に数千年前から文字を使うようになった。文字と音声の決定的な違いは、情報の蓄積量にある。15世紀のドイツにおいて印刷が発明され、文字は一般の人々が読むものに変わっていった=グーテンベルク革命(p8)
・ポストアメリカを議論する人は、近代世界システムがまだつづくという前提(= 持続的経済成長 )に立っている、現在は未開拓の土地はなくシステム前提が揺らいでいる(p11)
・文字ではなく音声によって世界が結び付けられるようになり、その中心がアメリカであった、電話はアメリカのソフトパワーとして機能し、ヘゲモニーを握る点で役だった(p13)
・19世紀にイギリスがヘゲモニー国家となったのに重要なツールとなったのは、電信であった(p21)
・オランダが正式に国家として認められたのは30年戦争の講和条約である、ウェストファリア条約(1684)の時、これは今日まで続く主権国家体制が認められた条約、さらには、スウェーデンが神聖ローマ帝国議会への参加権を得た、つまり北欧が正式に欧州国として認められた、そして現在の西欧の輪郭が誕生した(p24)
・オランダは活版印刷技術、イギリスは電信、アメリカは電話を利用して、ヘゲモニーを握ることができた、推移していったのは、そのつど、彼らのもとに比較的正確な商業情報が集まったから(p28、31)
・現在でも、ウォール街の取引高はシティよりお大きいが、外国との取引はシティのほうが大きい。それはアメリカ国内経済規模が大きいこともあるが、イギリス経済がいかに世界経済と、いまなお強く結びついているかを示している(p33)
・文書で通信するには、商人が文字の読み書きができる必要がある、ハンザ商人は文字を書けなかったので、12世紀中頃までは聖職者が代行していた。14世紀ころには、ラテン語に加えて、ドイツ北部で話される低地ドイツ語を書くようになった、これにより聖職者の地位の低下が商業界においても見られた(p41)
・グーテンベルクの活版印刷革命により、修道士が書物を筆写するという仕事の意味はほとんどなくなった、修道院における「祈りかつ働け」の「働く」ことのなかで筆写の占める割合は極端に小さくなった(p47)
・カトリックとプロテスタントの最大の相違は、前者が救済は神によってローマ教会を通じて与えれるとしたのに対して、後者は神の救済は、直接個人に与えられるとしたこと。但しこれは教義の相違であり、信徒がそのことをどこまで理解していたかは別の問題である(p48)
・宗教改革者は主としてラテン語でパンフレットを書いた、国際的な議論をするには当時の欧州の共通語の使用が必須であった、しかし彼らは、それぞれの国語(俗語)に自分たちの作品が翻訳されるのを嫌がらなかった、ルターのようにラテン語の聖書をドイツ語に訳した人もいた(p53)
・アントウェルペンには、ジェノバの商業技術が受け継がれていたので、ジェノバ→アントウェルペン→アムステルダムと、商業技術の伝播があった、さらにアムステルダムで活発に取引をしていたのはケルン商人などの外国商人であtったことから、アムステルダムがハンザの商業技術を導入していた可能性が高かった(p68)
・当時のインドとイタリアの経済力はインドの方が上だったが、少なくとも商業書簡という商業慣行においてはイタリアの慣行、ひいては欧州の慣行を押しつけることに成功した、欧州のソフトパワーがアジアの経済力に対して勝利していった、商業書簡の書き方の規則を守っていれば、初めて手紙を出す商人も比較的簡単に仲間として認めれもらえた、これによりネットワークが広がっていった(p76)
・欧州が暴力的手段を用いて支配地域を拡大し、その結果、商業空間の拡大をもたらしたのは事実であるが、同時に、商人独自の活動で欧州の商業空間が拡大していったことも忘れてはならない(p77)
・近世の商人は、いつ情報が届くかわからない不安定な状況の中で、商業に従事していた。それが変わったのが、電信の発明と、蒸気船の登場であった。船舶がいつ着くかということが、かなり予測可能となり事業展開に必要な時間が大きく短縮されるようになった(p79)
・ポルトガル海洋帝国は、商人の帝国、であった。ポルトガルの植民地のいくつかが、オランダやイギリスに奪われたのちも、18世紀末に至るまで、ポルトガル語は、アジアでもっとも頻繁に話された欧州言語であった(p85)
・ナポレオン軍が強かった理由の一つは、情報通信技術が発達(腕木通信)していたからに他ならない。戦争の際、手旗信号を使って、最前線での情報を最寄りの腕木通信基地まで送信し、さらにその情報を腕木通信で送信していた、問題は、通信塔に常時人間を待機させなければならない、悪天候には使えないこと。1846年に、フランス政府は腕木電信を、電気式電信ラインに切り替える決定をした(p91-93)
・大西洋世界の経済に参加する方法は2回大きな変化をとげた、最初は印刷機が事業に使用されるようになって、次が電信であった(p93)
・19世紀末、電信は世界を変えた、均質の商業情報がどこでも同じような価格で、タイムラグなく入手できた。電信によって初めて、人類が動くよりも速く情報が伝わるようになった、電信の8割はイギリス製(p95、98)
・イギリスをヘゲモニー国家にしたのは、工業製品の輸出ではなく、貿易外収入であった(p121)
・1870年にイギリスは世界第一位の工業国家でなくなったが、世界最大の海運国家、イギリス船で輸出されたり、イギリスの保険会社ロイズで保険がかけられた、イギリスは困ることはなかった(p123)
・1783年のパリ条約によりアメリカが正式に独立すると、それまでイギリスの保護下にあったが、突如として世界の荒波にもまれることになった。しかしフランス革命、ナポレオン戦争により、中立という立場を利用して世界二位の海運国になった(p134)
・アメリカで発達した電話は、電信ほどの革新性があったかは定かでないが、日常生活にまで浸透したという点でコミュニケーションの歴史上画期的な出来事(p135)
・1893年から電話の設置数が増えているのは、1893-94年にベルの特許の主要部分の期限が切れたため、新たな独立系電話会社が創設されたから(p146)
・電話はアメリカの女性に新しい職業を提供した、電話の交換手は、女性が社会進出するための数少ない職業の一つであった(p150)
・電話がアメリカの家庭で頻繁に使われた以上、活版印刷技術や電信よりもはるかに生活面の影響は大きかった(p154)
・イギリスの例外は、1)18世紀の時点で、イングランド銀行が国債を発行、その返済を議会が保証する、2)航海法に代表されるように、海運業の発展を国家が促進、3)大西洋経済における綿生産システムの形成(p195)
2018年2月6日作成 -
情報を切り口に、オランダから始まるヘゲモニー国家の経緯と、今後の展望について論じられております。
ドイツ発の印刷技術を起点に、広告戦略など情報の集約と拡散により、商業起点をアムステルダムに築き、世界の貿易を制したオランダ。
産業革命による機械化だけでなく、電信インフラを世界中に構築し、情報をいち早く統制することにより、域外に広大な植民地を統制・管理したイギリス。
元々の広大な領土の性質上、ポテンシャルある工業生産力だけでなく、電話による音声通信の研究・発達と共に、情報の速報性を武器に、第二次世界大戦後に、世界の中心となったアメリカ。
非常にユニークな視点で、なかなか面白い書物でした。