- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062902489
作品紹介・あらすじ
妻に先立たれた夫の日々は、悲しみの海だ。
男性作家の悲しみは、文学となり、
その言葉は人生の一場面として心に深く沁み込んでいく。
例えば藤枝静男の「悲しいだけ」のように……。
高村光太郎・有島武郎・葉山嘉樹・横光利一・原民喜・
清岡卓行・三浦哲郎・江藤淳など、静謐な文学の極致を
九人の作家が描いた、妻への別れの言葉。
感想・レビュー・書評
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袖のところ一すじ青きしまを織りてあてなりし人今はなしはや
山崎 斌【あきら】
作者は、「草木染」の名付け親として知られる染織家。掲出歌の「あて」は、優美なという意味で、染織も上品にこなした「人」の病死を悼んだ歌である。
その「人」とは、高村光太郎の妻智恵子。光太郎の創作活動を支えた妻の存在は、詩集「智恵子抄」等で知られている。だが、同じ造形美術家であった智恵子の時間を、家事労働にあてさせてしまったことも知られているだろう。もちろん、光太郎にも自責の念があり、悔やむ痛切な詩もある。
そんな光太郎による「智恵子の半生」はじめ、妻を失った夫による手記・小説のアンソロジー「妻を失う」を読んだ。有島武郎「小さき者へ」、江藤淳「妻と私」など11編が収められているが、落涙せずにはいられなかったのが、原民喜の「死のなかの風景」である。
原民喜は、「水ヲ下サイ/アア 水ヲ下サイ」と、広島での原子爆弾投下の惨状をつづった詩「原爆小景」の作者。なぜ、彼はその無念の死者たちを書き続けたのか。
若い一時期、孤独に陥り自殺未遂もした民喜だったが、1933年、同じ広島出身の女性との結婚で、生きる自信を得て、意欲的に小説を発表するようになった。
千葉に居を構え、安定した生活のさなか、妻の病死。その痛手で、郷里広島に疎開し、運命の8月6日を迎えたのだ。
「彼」という三人称で、妻の葬儀を客観的に記した「死のなかの風景」は、他者の口で語るしかなかった深い悲しみの叙述と思う。代表作「夏の花」も読み返したい。
(2015年3月15日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示