ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789-1815 (講談社学術文庫)
- 講談社 (2009年8月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062919593
作品紹介・あらすじ
一七八九年の大革命から一八一五年のワーテルローの戦いまで、ナポレオンの熱狂情念が巻き起こした相次ぐ戦争による混乱と怒涛の三〇年。この偉大なる皇帝の傍らに、警察大臣フーシェ=陰謀情念と外務大臣タレーラン=移り気情念なかりせば、ヨーロッパは異なる姿になったにちがいない。情念史観の立場から、交錯する三つ巴の心理戦と歴史事実の関連を丹念に読解し、活写する。
感想・レビュー・書評
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▼けっこう以前に読んだんでかなり忘却していますが、とにかく面白かったです。
ナポレオンと、同時代の政治家ふたり、フーシェとタレーラン。簡単に言えば三人の評伝です。
▼鹿島茂さんなんで、色々なことを「情念」という人間の持ち味に着眼しながらの語り口になるんですが、無茶苦茶に面白かったんですが、「情念説」を述べるくだり自体は半分でもよかったかな(笑)、とは思います。
▼ナポレオンだけの評伝ではないし、直前に「太陽王ルイ14世」を読んでいたこともあって、「フランス革命前夜→いわゆるフランス革命→共和制だけどロベスピエール的暗黒政治期→ナポレオン・ボナパルトの栄光→その没落から王政復古」という、全体の概略がつかみやすくて助かります。
▼鹿島茂さんは、ナポレオンの軍事的才能の角度は一切描かずに(まあそういう本はいっぱいありますからね)人間ナポレオンを色恋などから眺めつつ、時代の政治だけではなく経済や民意の”ムード”をよくとらえていらっしゃると思います。
▼ナポレオンが、もともとは「コルシカ島独立運動の志士」たらんとして、挫折と逃亡の末にフランス革命軍の救世主となっていく。その数奇さと、フーシェ、タレーラン(そしてロべスピエール)の流転を通して、「革命と言う劇薬と狂気」の血なまぐささが匂い立つような一冊。で、オモシロイ。さすが鹿島茂さん。
▼鹿島さんの不朽の名作「レ・ミゼラブル百六景」を再読したくなりましたね。あれ、ほんと名作だと思うんですけれど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フランスの思想家フーリエが言う、高位の洗練的四情念。
その内の三つをそれぞれ体現した三人。ナポレオンの熱狂情念。
フーシェの陰謀情念。タレーランの移り気情念。
フランス革命からワーテルロー会戦までを生きた三人の生涯と
情念の有様を探っていく。
情念とは、パッション。
昨日の友は今日の敵、陰謀大好きフーシェ。
金と女が大好きだけど外交官としては凄腕のタレーラン。
俺様一番~~とばかりに突っ走るナポレオン。
この三人がある時は迎合し、ある時は離反する、心理戦。
それがナポレオン時代を築き上げたという、時代の妙。
なるほど、この三人の行動を探り、辿っていくと、
フランス革命から帝政へ、そして王政復古、ルイ=フィリップ
までの流れが実に面白いのです。ラストのルイ=ナポレオンと
内務大臣のモルニー伯の関係までも・・・いやはや。
鹿島氏の文章は痛快で軽妙。さくさく読めて楽しかったです。 -
鹿島茂の本は歴史をあんまり知らない自分でも読みやすく、楽しめるものが多いです。フランス革命からナポレオンの失脚まで、フランスの歴史の中でも特に面白い部分を、表題の3人の人物の視点から語る内容になってます。
ツヴァイクやユゴーの小説からの引用も多く、読んでみたくなります。
しかし、ナポレオンってほんとにとんでもないカリスマがあったんだろうな、と思います。その活躍の短さもとにかくドラマチック。そんなナポレオンの影に隠れがちですが、フーシェの徹底的な日和見っぷりや、タレーランの己の欲に忠実でありながら国のために動く有能な政治家っぷりとか、やはり動乱の時代だからこそ輝いたのではないでしょうか。
フランスの歴史の面白さを再確認させてくれる本です。週刊誌の連載だったそうで、分厚いですが飽きずに読めると思います。 -
フランス革命からナポレオン時代を、三人の登場人物を通じて痛快に描く。
三人とは、戦争の英雄ナポレオン。
そのナポレオンを、ナポレオン夫人をスパイとすることで、操った陰謀家フーシェ。
ナポレオン戦争の潰滅的敗北を、政治的勝利に導いたタレーラン。
その三人を「情念の人」と捉えて、情念の開花の時代を躍動的に描く。
フランス革命を「情念」同士の闘争と見る、情念史観に基づく革命史。
普通のフランス革命史の本とは全く異なる。
情念がメラメラと燃え上がるのだ。
ナポレオンは「熱狂情念」、フーシェは「陰謀情念」、タレーランは「移り気情念」、そしてナポレオン夫人ジョセフィーヌは「浮気情念」。
人間の真の幸福は、高次の情念を、燃焼させることにあると喝破したフーリエの情念論理に基づき、真に幸福であった情念開花の時代をフランス革命に見出した情念史だ。
著者はこの時代に生きたかったのだ。
情念無き時代にあって、著者のその想いは理解出来る。
非人道的な、どうしようも無い三人の行動も、情念開花の観点からは歴史的必然と見做される。
鹿島の視点は、人知を超えた<他界からのまなざし>(古東哲明)と呼ぶべきなのかもしれない。
テルミドールの反動を指揮し、リヨン大虐殺というナチよりも冷酷非道な行動を平然と行うことの出来るフーシェ。
(リヨンに駐在している時、ベルクール広場の異様な広さに一種間の抜けたような印象を受けた。それが、フーシェによる王党派リヨンのダイナマイトによる破壊の跡であったことを本書で知った。良く眺めたローヌ川は王党派の死体でワイン色に染まっていたと言う)
フランス憲法を起草する天才的才能を持ちながらも、常に勝ち馬を求めて乗る馬を乗り換えるタレーラン。
コルシカ出身のイタリア人が恋に戦争に熱狂し、その過程で自分のこと天災に目覚めていったナポレオン。
フランス革命と第一帝政の崩壊までが三人の行動を通して詳細に描かれる。
三人の、天才性とどうしようもなさが混在する個性的な人間性に惹きつけられる。
それは三人とも情念を燃やし尽くすからだ。
特にタレーランは、歴史の教科書では余り高い評価がなされていないが、その手腕たるや、感嘆せざるを得ない。
彼は革命から王政復古まで生き延びるが、政治家としての白眉は、戦争に敗北した講和会議であるウィーン会議での行動だ。
「会議は躍る」を現出し、毎晩五大シャトーの一つ「シャトー•オー•ブリオン」を振る舞って、フランス国土を縮小どころか拡大してしまう手腕は見事のひと言に尽きる。
彼の隠し子が画家のドラクロワだっという逸話も、彼の華やかすぎる女性遍歴を示して、思わずニヤッとしてしまう。
(本書のおかげで、フランス人に知ったかぶりが出来たことがある。パリのリュクサンブール宮殿を見学した際、案内をしてくれたフランス人が、ある部屋の天上画を描いたのがドラクロワだと自慢するので、ドラクロワの父親は誰か知っているか、と問うたところ、知らないというので、タレーランだ、そんなことも知らないのか、と知ったかぶりが出来たのだ)
鹿島茂の本は全て読みたい。 -
作者の考え強めで時々それほんとかな?と思うこともあったけど、人の情念をもって歴史を切ってみる見方は個人的には好き。ストーリー性が強く見えて面白かった
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著者が歴史学ではなく文学出身
フランス革命戦争-ナポレオン戦争あたりの話 -
フランスの革命期から帝政を経て王政復古、百日天下以降へ至るまでを、“皇帝”ナポレオン、“天才外交官”タレーラン、“フランス全土にスパイ網を張り巡らせた警察長官”フーシェの絡みで描いた本。
フランスの哲学者、フーリエの唱えた人間の持つ感情の諸要素(情念)のうち、“熱狂”“移り気”“陰謀”をこの3人に当てはめて、その絡みを解説していきます。
タレーランの“移り気”はいまいちピンと来なかったものの、ナポレオンの“熱狂”、フーシェの“陰謀”は正にその通りだと思いました。
この時期のフランスがとても面白く、分かりやすく感じ、同時に知的好奇心も刺激されて「ナポレオンがなぜ戦争に強かったのか?」や「タレーランが天才的な外交手腕を発揮できた秘密は?」などより詳しく知りたくなります。
作中にも引用されているツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』と併せて読むと、より分かりやすいと思います。
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再読
改めて読むと全体バランス悪いというか
好き勝手に書いているだけというか
ワーテルローの戦いだけ詳細なのはなぜなんですかねえとかあるが
とにかく楽しい作品
小説として読むならタレーランとナポレオンはわかるけれど
フーシェがややものたりないかも
2013/2/9
面白かったけれど値段高いぞ講談社学術文庫
題名通りシャルル・フーリエ(参照http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A8)の「情念理論」を用いて
ナポレオン・フーシェ・タレーランの3者を
それぞれ「熱狂」「陰謀」「移り気」の体現者として読み解く本
と著者が序文で書いているのだが
ナポレオンの熱狂はともかく
他2者はそう描かれているようには見えないのが難点
タレーランは共和制帝政王政を渡り歩いた変節漢という評に対して
遺言通り私欲はあってもフランスの利益より優先させたことはないと
筋を通した偉大な政治家として描かれているのだが
それだけにナポレオンが割を食っているが
それのどこが「移り気」なのだろう
フーシェも本人の内心はともかく
「うまく運営されている組織に我慢できない」という種の行動が
「陰謀」情念だとするなら
タレーランと同じくそしてナポレオンもそうだろうけれど
家庭の幸せとは別に社会において自身の役割すなわち「仕事」において
納得や報いが欲しかっただけなのでは
もちろん各人のもつ偉大な能力が
発揮されることに対する快楽という「熱狂」も
そこにはあっただろうけれども -
(後で書きます。参考文献リストあり)
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新書文庫