- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062921022
作品紹介・あらすじ
古代インドに生まれ、今もアジアの人々の暮らしに根づく仏教。インドの宗教的・思想的土壌にあって他派の思想との対立と融合を経るなかで、どんな革新性をもって仏教は生まれたのか。その生成の場面に光を当て、比較思想研究の手法によって「経験論とニヒリズムに裏打ちされたプラグマティスト」釈尊の思想の本質に迫る。インド思想史研究の意欲作。
感想・レビュー・書評
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740835詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
釈尊の生涯とその思想をわかりやすく解説している本です。
第一章「仏教前夜」では、輪廻説や因果応報の尾原理を解説し、釈尊と同時代に沙門と呼ばれる修行者が数多く登場することになった社会的背景や、六師外道の思想が紹介されています。つづく第ニ章では、釈尊の生涯がたどられています。第三章は、釈尊を「経験論とニヒリズムに裏打ちされたプラグマティスト」として規定する著者の理解が語られます。
出家をした釈尊は当初、苦行の道に進むことをえらんだものの、それに満足することができず、やがて苦行を放棄します。著者は、さまざまな雑念を強固な意志の力で抑え込む苦行は、苦しみに耐える心を養うものであって、苦しみそのものを発現させる心的機構を解体するものではなかったと説明しています。その後釈尊は、われわれの命が永遠につづくものではないという経験的事実に立脚し、この当たり前の事実を正しく見据えることが苦しみからの解放であると考えるようになります。著者は、このような経験論とニヒリズムに裏打ちされた認識こそが釈尊の根本的な思想であったとし、大乗仏教はこのことをわすれて難解な形而上学に陥っていると指摘します。
著者はまた、「釈尊はなにを悟ったのであろうか」という問いは「奇怪な設問」だと述べています。「ブッダ」(Buddha)は、「悟る、目覚める」を意味する動詞budhの過去分詞形から来ており、budhという動詞は自動詞で目的語を取りません。それゆえ、「ブッダ」というのは「なにかを悟ったひと」や「なにかに目覚めたひと」ではなく、「なにかから目覚めた人」だと理解されなければならないと著者はいいます。このことからも、生存への執着に絡めとられ、ただ右往左往するだけを余儀なくされていた状態を脱して、われわれの生の事実をそのままに認識することが、釈尊の教えだったということができると著者は論じています。 -
初期仏教と現代の日本における仏教は、ほとんど同一の宗教とはみなし得ない。仏教は本来自ら解脱に至る修行をするもので、念仏を唱えれば直ちに救われるだとか、金を払えば高位仏教徒になれるだのというのは、仏教ではない。更に日本仏教は葬式仏教に成り下がってしまっている。では、釈迦の説いた初期仏教とはどんなものであったのか。本書を読めば、かなりの程度その雰囲気が分かる。仏教初心者には格好の手引書である。
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仏教について、全体図をとりあえず把握したいと思い手にとった本。よくありがちらしい、原始仏教とテーラワーダ仏教(小乗仏教)の差異について触れてあったのは個人的に有難かった。なんでも原初を名乗りたがるものなのだけど、そういう権威付けに対しても充分に注意しなければならないなあとも思う。
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大乗仏教的観点を排除し、あくまで原始仏教にのみ焦点をあてて、その誕生、背景、思想などに言及してある。
平易な言葉で書かれ、仏教誕生の土壌となったインド思想についても説明があるので分かりやすく読みやすい。
原始仏教と日本の仏教に大きな隔たりがあることを再認識できた。
でもも読んでて不快。
「信仰」に関して些かの意味も価値も認めないような書き方と、「あってんのか?それ」と首をひねらざるをえない大乗諸派と西洋哲学への解釈が。 -
仏教の歴史は決して一様ではなく、また思想においても様々なとらえ方がある。この本の特色は、大乗仏教的な見地を完全に排除し、成立のもっとも古いものに忠実に即し、かつ、仏教が生まれてきた当時の思想的土壌をしっかりと踏まえたものになっている。また、生成という場面に光を強く当てることによって、仏教とはどのようなものであるかについて、全体的なイメージをつかむことができる一冊だ。