日本その日その日 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062921787

作品紹介・あらすじ

大森貝塚の発見で知られるモースは、東京大学教授として滞在する間、膨大なスケッチと日記をのこしていた。その記録には、科学者の鋭敏な視線と、異文化を楽しむ喜びに満ちている。明治初期の文化風俗を語る際に欠かせない重要史料であり、なおかつ、読んで、見て楽しい日本滞在録。

感想・レビュー・書評

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  • 大学を出てきた時、私は人力車夫が四人いるところに歩み寄った。私は、米国の辻馬車屋がするように、彼等もそろって私のところに駆けつけるのかと思っていたが、事実はそれに反し、1人がしゃがんで長さの異なった麦藁を四本拾い、そして籤を引くのであった。運のいい1人が私を乗せて停車場に行くようになっても、他の三人は何らいやな感情を示さなかった。汽車に間に合わせるためには、大きに急がねばならなかったので、途中、私の人力車の車輪が前を行く人力車の轂にぶつかった。車夫たちはお互いに邪魔したことを微笑で詫びあっただけで走り続けた。私は即刻この行為と、我が国でこのような場合に必ず起こる罵詈雑言とを比較した。いく度となく人力車に乗っている間に、私は車夫がいかに注意深く道路にいる猫や犬や鶏を避けるかに気がついた。また今までのところ、動物に対して癇癪を起こしたり、虐待をしたりするのを見たことがない。口小言をいう大人もいない。これは私1人の非常に限られた経験をーもっとも私は常に注意深く観察していたがー基礎として記すのではなく、この国に数年来住んでいる人々の証言に拠っているのである。(29P)

    明治になって9年目の横浜や東京に住んだアメリカの生物学者の観察記を読んで、皆さんはどう感じるだろうか。日本人を買い被りすぎると思うだろうか。昔の日本人の高潔さに感心するだろうか。私はそのどちらとも違い、昔の日本人と今の日本人の変わっていないことに先ずは感心したのである。次に日本人と外国人との習性の違いをつくづく感じたのである。モースさんの買いかぶりと思うのは
    、昔も今も「口小言」ぐらいは言っていたのかもしれないと思うぐらい。その他、日本人の平等意識への志向、運転マナー、他人に対する距離の保ち方は変わっていないと思ったのである。そして、そのことにことさら感心するアメリカ人のいかに我々とは違っていることか。

    同時に驚くのは、モースの観察力と(日本に対する好意は隠しようもないにせよ)再検討が可能なように事実のみを記そうとしているその態度である。よって、明治初年の風俗の貴重な資料となり得ており、当時の写真やルポルタージュや社会科学的な論文が不足している中では貴重な記録になっているだろう。

    私は借りて読んでいったのだが、次々と付箋紙を貼ることになった。結果、いつか購入することを心に誓った。

    とりあえず本文引用は字数の関係でここまでにして、あとはいずれまた。
    2014年12月17日読了

  • モースさん、明治維新間もない頃の日本人をだいぶん褒めすぎではないでしょうか。日本にやってきた外国人はたいてい肥溜めの臭いに閉口していますが、そのあたりも少ししか触れられていませんでしたね。よほど日本がお気に召されたようで。でも、もうすぐ日本は日清・日露戦争に突入するのですね。

  • 大森貝塚発見で有名なモースの日本滞在記。基本日記形式であり、日々の記録ではあるが当時の日本についてのかなりまとまった観察(貝塚発見時のことも含まれる)が書かれている。特に庶民の生活がうかがわれることが特徴か。自身によるイラストも相まって明治初年の日本をするために良い本だと思う。外国人に対し外面をよく見せているだけかもしれないが、今の日本人とはかなり違う面もあるようだ。
    一部訳語に古い言葉が入っていると思ったら翻訳自体が1939年のものとのこと。もう少し注を付けるなどした新訳がほしいところ。
    なお、この本はかなり省略されているようで、原本は東洋文庫で3冊とのこと。そちらはどうなっているのかちょっと見てみたい。

  • 江戸博で「明治のこころ展」を見てきた勢いでこの本を読みました。私は昭和25年生まれですが、「明治のこころ展」に展示してある家財道具や写真にある人々の様子は、私が子供のころ(昭和30年代)にも残っていたもので、なんだかとてもなつかしかったです。高度成長期までは実は江戸~明治が残っていたのですね。
    「日本その日その日」でモースが日本や日本人のことをとてもよく書いてくれていますが、きっとモースその人がとても愛情を持って日本や日本人に接したので、当時の人々もモースに丁寧に接したのではないかと思います。
    モースが日本人の美点として書いてあったもののうち、今では少なくなってしまったもの、なくなってしまったものも多くて、少し悲しかったですが、坂口安吾の「堕落論」で言っていた(うろおぼえですが)、時代や状況がどんなに変わってしまっていても、私達が日本人である限り、日本(のよいところやDNAみたいなもの)を見失うことはない、という言葉を信じたいと思いました。

  • 明治初期の外国人からみた日本の記録。記録というか日記。随所に筆者本人が描いたという挿絵があって、それもまたおもしろい。明治初期ってまだそんな時代なの?!ってところもあれば、それは今も名残あるなぁってところもあったり、そんなことある??ってことも。読み応えがある。日本人なのに知らない日本の姿。
    昔のほうが治安が良かったんじゃないかと思ってしまうんだけどどうなんですかね。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740893

  •       ―202301.07読了
    イヤ、随分と愉しみつつ読ませて戴いた。

    1877-明治10-年の来日早々、大森貝塚の発見により東京大学教授に招聘され、三度の訪日で通算2年半の日本滞在であったが、その間に、民具や民芸品.陶磁器などの採集を兼ねて、北海道から九州まで日本各地を訪ね歩いている。
    日本人の暮らしぶりにも強い関心を寄せ、彼の描いた沢山のスケッチが本誌に掲載されているのも、眼の保養となる。

    明治の美術界に多大な影響を与えたアーネスト・フェノロサも、モースの推薦で訪日し、東京大学で哲学や政治学を教えるようになったのである。

    さらに、モースの三度目の訪日に同行してきた医師W.S.ピゲローは、短期滞在の観光予定だったが、日本文化や伝統に魅了されて、延べ7年も日本に滞在。
    多くの日本の美術品を収集し,肉筆浮世絵絵画700点を含む絵画4千点、浮世絵版画約3万4千点などを、後にボストン美術館へ寄贈している、という。

  • モースは、明治10年、39歳の時に、腕足類の標本採集のために来日した。江ノ島に実験所を設けて主にシャミセンガイを採集したが、その数日後に東京帝国大学で講義することを招聘された。初代動物学・生理学教授に就任し、ダーウィンの進化論を紹介した。

    大森貝塚については、横浜に上陸して数日後、初めて東京に行った時に汽車の窓から発見したという。

    モースは、東京の死亡率がボストンよりも低いことを知って、日本の衛生状態について考察している。赤痢や小児霍乱( コレラ )は全く無く、マラリヤによる熱病は多くはない。排水や便所に起因する病気の種類はないか、非常にまれ。すべての排出物質は都市から人の手によって運び出され、農園や水田に肥料として利用される。土壌を富ますためには、他に函館から多くの魚肥が持ってこられる。

  •  大森貝塚のモース博士の日本滞在日誌。一部削除されたが、80年前の翻訳本の再発刊本とのことで、偶然入手した本ながら一気読み。明治期の日本の様子、しかも一般庶民の様子がつぶさに記されていて面白い。当時の日本人全般がいかに礼節を持ち、諍いをさける集団であったかに、筆者が驚くさまがしばし出てくる。中々ない記録。現今の技術的にグローバルになった世界ではもはや体験不能な状況を、克明に記してくれいているのは凄い、とかいうありきたりな感想を持つ。

  • 大分削られてしまったのが残念でした。

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