相楽総三とその同志 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (600ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062922807

作品紹介・あらすじ

相楽総三は幕末に尊王攘夷の志をもち、薩摩の西郷隆盛らと往来して倒幕運動に従事した男です。戊辰戦争の際には「赤報隊」を結成。「年貢半減」を掲げて東山道を進軍していったところ新政府の方針変更(裏切り)によって「偽官軍」とされ下諏訪で刑死しました。享年30。

 作家・長谷川伸は相楽の軌跡を追い、草莽の志士たちの生死をたどることで「歴史」というものの姿をあらわしました。明治維新について記された書物はあまたありますが、その叙述の志の高さにおいて本書をこえるものはまずないでしょう。
 以下は長谷川による「自序」の一部です。すべてはこれに尽きています。軽薄で声高な「改革史観」がはびこりつつある昨今、本書がふたたび多くの読者に迎えられることを切望します。

 相楽総三という明治維新の志士で、誤って賊名のもとに死刑に処された関東勤王浪士と、その同志であり又は同志であったことのある人々のために、十有三年間、乏しき力を不断に注いで、ここまで漕ぎつけたこの一冊を、「紙の記念碑」といい、「筆の香華」と私はいっている。

 明治維新の鴻業は公卿と藩主と藩士と、学者、郷士、神道家、仏教家とから成ったの如く伝えられがちであるが、そして又、関東は徳川幕府の勢力地域で、日本の西は討幕、東は援幕と印象づけられがちだが、その二ツとも実相でないことを『相楽総三とその同志』は事実に拠って弁駁表明している。士・農・工・商という称呼で代表している、全日本のあらゆる級と層から出て明治維新の大業が成ったのが実相で、そういう観かたを余りにもしないわれらの習癖に対し、無言の体当りを食わせた意味をもたない訳でもないのである。

感想・レビュー・書評

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  • 長谷川伸
    相楽総三 とその同志

    相楽総三と赤報隊を調査記録した本

    *賊として処刑された相楽総三の汚名をはらすための孫の調査記録
    *相楽総三の壮絶な刑死の記録など

    相楽総三の汚名をはらすために、相楽総三の孫は、板垣退助、渋沢栄一らに話を聞きに行くが、知っているのに話さない感じ。彼らは志士というより政治家。自分に不利なことは言わない。新聞に史料を公開し、真実にたどり着いてよかった。


    斬首を仕損じた太刀取りに「代われ」と叱りつけ、首が三尺飛んだという 刑死のシーンは壮絶。刑死の地(上諏訪)の人々が、相楽総三の祟りを畏れたエピソードは 汚名の事実を知っていた後ろめたさか?


    池波正太郎 平岩弓枝 村上元三 ら多くの弟子を育て、大衆小説家として成功した著者が、この本のような売れない本に 13年以上を費やした理由は

    相楽総三らの仏前に花を供える感覚であり、著者の最後の言葉「赤報隊の殉国人柱の紙の記念碑とし、我が捧ぐる文筆香華とする」に現れている


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著者プロフィール

1884年、神奈川県横浜市生まれ。1963年、没。小学校を中退後、様々な職を転々とし、20歳の時に横浜新聞社に入社、その後都新聞社に転じ記者のかたわら創作を開始する。1928年に発表した「沓掛時次郎」が話題となり、いわゆる〈股旅〉ものの流行作家となる。代表作「瞼の母」「一本刀俵入」は今に至るまで繰り返し上演・映画化されている。著書に『荒木又右衛門』『日本捕虜志』など多数。

「2018年 『日本敵討ち集成』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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