- Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062924474
作品紹介・あらすじ
何が描かれ、何を象徴するのか。細部を観察し、全体の構図と照らし、数多の研究成果を参照しながら、この不思議な絵の謎に迫る。
感想・レビュー・書評
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依頼主、画題、成立年代など、いまだに謎が多いボスの傑作『快楽の園』。不思議な建物やエキゾチックなキメラ、人びとの奇妙なポーズなどをめぐって繰り広げられてきた図像学の歴史を追っていく。
『快楽の園』は三連祭壇画のスタイルで描かれているにも関わらず、教会ではなく貴族たちに所有されてきた。中央パネルの他に類を見ない謎の主題からしておそらく依頼主も貴族で、来客に絵解きをして面白がっていたんじゃないかという気がする。
この作品を写した精巧なタピスリーがルドルフ2世に売りつけられたが購入されなかったって話は初めて知った。いかにも好きそうだけど、どうせなら本物がほしかったのかな。
解釈について。左翼に関するところで、アダムとイヴはエデンにいるあいだ水を必要としなかったが、追放されてからは水なしで生きられなくなったという外伝的な話が紹介されていて面白かった。これはアラビア語で書かれた『失われたエデンの書』に記されているらしい。作者も成立年代も不詳だというが、ボスが参照したと考えられるのであれば中世にはフランドルでも流布していたのだろうか(たまにこういう情報が書かれていなくて不親切)。人間が水に無関心なエデンから、中央パネルの狂騒的な水の戯れへの移行を説明するものとしては面白いと思う。
中央では人間が動物のようにふるまっているが、右翼では動物が人間のようにふるまう。人工物が多くなるのも地獄の特徴。木男の腹のなかって居酒屋になってて、割と居心地よさそうなのが笑える。この地獄、刺されたり吊るされたりしている人もいるにせよ、全体的にそこまで辛そうではない。錬金術的解釈なら黒の過程というところだろうか。
ボスがフクロウのデッサンに書きこんだ「すでに見つけられているものだけを絶えず利用し、見つけられねばならぬものを利用しないのは、非常に哀れな人に固有のものである」という言葉は、ボスが描くクリーチャーや植物のような建築物が”まだ見つけられていないものを描く”という野心の元で生みだされたことを示唆していてとても興味深い。本書ではさらりとしか触れられていないけど、ウンダーカンマ―との関連も深いと思う。特に建築物の複雑さは同時代に作られた幾何学的な象牙細工に似ている。『快楽の園』はマニエリスムの先取りのような、それでいて妙に清潔感のある魅力の尽きない作品である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F開架:B1/1/2447/K
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2018.10―読了
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快楽の園を構成している図象の読み解き。
基本的に確定的にわかっていることは少なく、諸説入り乱れている状況である意味好き勝手言えるとも言える。そもそも作者の出生年がわかっていない。また当該作品が誰によって発注されたかもわからない。祭壇画の様式を取っているが、傾奇者と言えるナッソー家のアンリ三世あるいはその父親が初期から保有していることとそのコレクションがいろいろな人たちに見せびらかすような類のものだった可能性もある。左は最初のアダムとイブの誕生で、リンゴやら蛇やらとともに、そもそもアダムの足がキリストらしきものと絡んでいたり怪しい。中央パネルは、前段右に旧約聖書外伝に書かれているアダムとイブのその後のような洞穴に隠れるアダムとイブらしきものがいたり、中央左には左パネルのように手を掴むカップルがいたり、男2女1の組み合わせで色々と怪しい動きを繰り広げる。中盤の行進はこれは明示的に肉欲を表しているが、人数はどうやら時の流れを示しているらしい。
右パネルは地獄であるが、真ん中の木男は、作者の自画像である可能性もある。また七つの大罪を。 -
一冊全部、ボッスの一枚の画(三連祭壇画なので正確には外翼パネル入れて4枚)の図像解釈やその紹介。
魚はキリストの象徴というような教科書的な絵解きから、占星術、数秘学的なこじつけに近い解釈までいろいろ。
500年前の絵の正確な解釈が得られることはもはや無いだろうし、そもそもボッスの意図も分からないが、見る側がどう思うかどうかは勝手なのである。 -
2000年に河出書房新社から刊行された単行本の文庫化。
河出がそのまま文庫にしてもおかしくないような内容だったが、文庫は講談社からだった。
書かれていることは面白いのだが、矢張り文庫版のサイズでは図版が小さいのが残念。単行本版も探して買おうかなぁ。