内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065141892

作品紹介・あらすじ

古代国家はいかに建設され、中世社会はいかに胎動したのか?
倭王権に筑紫磐井が反乱を起こした理由は? 蘇我馬子と物部守屋の国際的な路線対立とは? 古代史上最大の戦乱「壬申の乱」勝敗の分岐点は? 桓武天皇の「征夷」を生んだ国家観「東夷の小帝国」とは? 天慶の乱はどのように中世へと時代を転換させたのか?――古代の戦いから日本のかたちが見えてくる、画期的な一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 「日本は戦争を(ほとんど)しなかった国である」と著者は言う。やっとそのことに気がつく人が現れた。と私は思った。「もちろん、個々の合戦の現場における実態は苛烈なものであり、犠牲になった多くの人たちは気の毒としか言いようがないが、たとえば中国・韓国やヨーロッパの研究者が見たら、おそらく笑うのではないだろうか。何と平和な国だったのだろうかと」(4p)「外国ではんざつに起こった民族同士の戦争のような徹底的な殲滅戦は」日本では起こらなかったのである。そこまでは私も同意する。しかし、我が意を得たりの本ではない。「何故なのか」ということは、この著者は(ほとんど)分析できていないのである。

    概観は「おわりに」で突然示される。「中国大陸や朝鮮半島から離れた島国であったために海外勢力からの侵略を想定せずにすみ、強力な中央集権国家建設の必要性をそれほど感じなくても良かったこと、逆に日本列島からも海外へ武力進出する可能性も低かったために、強力な軍事国家建設の意思を持つこともなかったのであろう。また、周辺にほんとうの意味での異民族が存在しなかったために、国土が侵攻されるという危機感も薄かったはずである。さらには、易姓革命を否定して世襲を支配の根拠とした王権を作ったために、本気で王権を倒す勢力も登場せず、王権側も革命に対応する武力を用意していなかった事も大きな要因である。加えて、王権を囲繞する支配者層も、その中枢部のほとんどは王権を擁護することを旨とした藤原氏によって占められ、軍事をになった氏族も王権から分かれた源氏と平氏、そして藤原氏の末裔によって占められたために、武力行使勢力さえも世襲された」(303p)。しかし、本書の大部分を占める歴史的記述の中で、「この時点で、この人が、こちらを、この為に、選択した為にこうなった」という事は(ほとんど)書かれなかった。何故この人がこれを選んだか、ということを内戦の事象ごとに詳しく分析することこそが、この本の役割だったのではないか?何のためにこの本を書いたのか、意味がわからない。

    著者は邪馬台国九州説を採る。私は畿内説だが、それはどうでもいい。邪馬台国や、やがて出来る大和政権がまさに一国を殲滅させるような全面戦争を回避して倭の国を作った「選択」については、一切分析しない。本書が文献にたよっているので、考古学知見からのモノの考えかたをしていないためである。しかしこの最初の「選択」が、私は最も重要だったと思っている。例えば龍神信仰でもいいけど、この最初が、「大きな権威」となってその後の日本の支配層を縛っていったのだと、私は観る。しかし、結局そういう本は未だに現れない。

    2019年3月読了

  • 内戦をテーマに古代史を概観する一冊。内戦とはいうものの、国際的な要素にも目配りしつつ、よくまとまっていて読みやすい。著者独特の視座があると思うので、他の著作も読んでみたいと思った。

  • 日本の古代史における著名な内戦が総括されている。
    日本史を教科書的に読んでいる以上に、流れを追うことができて面白かった。

  • 日本が古代から中世までは、世界の歴史とくらべても、戦乱といっても小規模で、大量虐殺はあまりなく、多くは話し合いによって解決されていた。ということ。
    貴族武士から武士になって、明治維新から他国に侵略するまでになっていくという仮説は、興味深く面白く思えました。

  • 2019.2.2 amazon

  • 倉本一宏先生は帝国主義がアジア諸国を侵略した歴史を嘆く、平安貴族を怠惰で情けなく思う心が武力に囚われた日本人となった事をおかしいと感じたのだろう「日本は戦争をしない国である(小規模な内戦のみ)」「外国で起きた民族同士の戦争のような徹底的な殲滅戦はなかった」武士の出現で儒教的で和平や懐柔による解決を・敵にも穏便に対応していた筈が前九年・後三年の役の様になった事に衝撃を受けた著者は国内の主だった戦いが内戦で小規模で犠牲者も少なかったことを古代史の内戦全般を詳らかに描く・・・月並みだが「中国大陸や朝鮮半島から離れた島国であったために海外勢力からの侵略を想定せずにすみ、強力な中央集権国家建設の必要性をそれほど感じなくても良かったこと、逆に日本列島からも海外へ武力進出する可能性も低かったために、強力な軍事国家建設の意思を持つこともなかったのであろう。また、周辺にほんとうの意味での異民族が存在しなかったために、国土が侵攻されるという危機感も薄かったはずである。さらには、易姓革命を否定して世襲を支配の根拠とした王権を作ったために、本気で王権を倒す勢力も登場せず、王権側も革命に対応する武力を用意していなかった事も大きな要因である。加えて、王権を囲繞する支配者層も、その中枢部のほとんどは王権を擁護することを旨とした藤原氏によって占められ、軍事をになった氏族も王権から分かれた源氏と平氏、そして藤原氏の末裔によって占められたために、武力行使勢力さえも世襲された」というまとめを得た

  • タイトルから予想する内容とはかなり乖離があるな

  • 『戦争の日本古代史』が対高句麗戦から刀伊の入寇に至る対外戦争(主に外征)の歴史を扱ったのに対し、本書は倭国大乱から前九年後三年の役に至る内戦の歴史を描く。著者は古代日本の特徴として、対外戦争も内戦も世界的に見て回数が少なく、規模も小さかったことを挙げている。そしてその理由として、日本が島国であって他民族の侵攻を受けにくく、同一王権(王朝)の下で和平・懐柔路線が採られたことが大きいとする。かくして、倭国大乱、日本武尊伝承、磐井の乱、丁未の乱(物部戦争)、壬申の乱、藤原広嗣の乱、恵美押勝の乱、蝦夷征討、天慶の乱、平忠常の乱、前九年・後三年の役と、日本史履修者には懐かしい事変を順次やや詳しく検討していく。ここで明らかになるのは、中央集権的な律令国家の理想が崩れ、地方の紛争が全国各地に様々な軍事組織(最初期の武士)を生み出していく趨勢である。著者は、この状況を「王朝国家」と呼び、これこそが日本的古代国家の完成形であり、同時に中世社会への胎動であったと考えている。但し、和平・懐柔路線を旨とした王朝国家が、何故に自力救済(暴力主義)を旨とする中世社会に移行したかは、更なる研究に委ねている。また、近代に至ってようやく武士の時代を終わらせた日本が、今度は武士の倫理である武士道を国民全体に「扶植」しようとした事実についても触れており、近世史・近代史についても「持論」を待ちたいところである。

  • 古代日本は内戦が少なく、あっても小規模で敗者を殺戮することもなかったのは他国と大きく異なっているという。また、王権そのものに対しての反乱がないことも特徴として挙げられている。
    軍事衝突による制圧がほとんどない日本武尊伝承は地方勢力を中央政権が武力で制圧したのではなく、平和的な外交交渉により服属させたことを表すという説はなるほどと思う。
    他にも磐井の乱、壬申の乱、藤原広嗣の乱、恵美押勝の乱、蝦夷征討、平将門の乱、藤原純友の乱、前九年、後三年の役などがどんなものか概要がわかった。

  • 日本の古代から中世に入る直前までの戦争のあり方が描かれています。
    古代で史料が少ないため、他の歴史家の史料も参考にしながらも著者の推測が多く含まれています。
    日本は外国より戦争が少なく残虐性も少ないのが特徴と説明していました。

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著者プロフィール

1958年、三重県津市生まれ。東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。博士(文学、東京大学)。国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学。主著に『平安朝 皇位継承の闇』『皇子たちの悲劇』(角川選書)、『一条天皇』(吉川弘文館)、『蘇我氏』『藤原氏』『公家源氏』(中公新書)、『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(講談社学術文庫)、『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書)などがある。

「2023年 『小右記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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