- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065145074
作品紹介・あらすじ
マルクス・トゥッリウス・キケロー(前106-43年)は、共和政末期のローマに生きた哲学者にして弁論家、そして政治家として知られる。本書は、その最も人気のある二つの対話篇を定評ある訳者による新訳で一冊にまとめた待望の文庫版である。
『老年について』は、84歳まで生きてローマ政界で重鎮の役割を果たしたマルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウス、通称「大カトー」に二人の若者が話を聞く、という構成をとる。その二人とは、のちにカルタゴを殲滅する武人にして知識人である小スキピオ(小アフリカヌス)と、その親友で、のちに「賢者」の異名をとるガイウス・ラエリウスである。スキピオは冒頭、カトーに向かって言う。「老年があなたにとって厄介なものだという印象を一度も抱いたことがないことに、最大の、と言ってもよい驚きを覚えているのです」。ここから対話が始まり、「無謀は華やぐ青年の、智慮は春秋を重ねる老年の特性」、「青年は長生きしたいと願うが、老人はすでに長生きしている」といった名言とともに、老年をどう捉えればよいか、老いに対してどのように対処すべきか、といった実践的な知恵の数々が披露される。
『友情について』は、『老年について』に登場したラエリウスを主要な登場人物としている。そのラエリウスが、みずからの女婿にあたるスカエウォラとファンニウスの二人を相手に、社会の中で生きる人間にとっての普遍的なテーマである「友情」について語る。その中には、やはり「注意深く友人を選ばなければならない」、「友情においては地位や身分での分け隔てがあってはならない」といった役に立つ言葉の数々がちりばめられている。
これらの対話篇は、いずれも共和政を護持するための格闘に敗れ、カエサルの独裁が実現されたあとに書かれた。キケローの苦難多き人生の経験と、該博な知識に裏打ちされた珠玉の二篇を一冊で読める待望の新訳。
感想・レビュー・書評
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p18「善く生きたという自負心と数多くの善行の思い出は無上の喜びとなるものだ」
p27「無謀は華やぐ青年の、知慮は春秋を重ねる老年の特性」
p36「力を適切に用い、各人がもてるかぎりの力で努力しさえすればいいのだ」「君たちの、その善きものを、それがある間は使えば良いし、ない時は求めてはいけない」「人生の走路は定まっており、自然の道は一本道で折返しがない。生涯のそれぞれの時期に、その時期にかなったものが与えられている」「それぞれに、その時期に収穫しなければならない自然の恵みとも言うべきものがあるのだ」
p40「常に孜々として携わって生きる者には、老年がいつ来たか分からない。そのような人生は、それほど緩慢に、それと感じることなく老いを重ねていのであって、突然、老年に打ち砕かれるのではなく、長い歳月を経た後に寂滅するのだ」
p59「老人は偏屈で、心配性で、怒りっぽく、気難しい。さらにあら探しをすれば欲深くもある。だが、それらは性格の欠陥であって、老年の欠陥ではない」
p60「老人の欲深さに至っては、私には理解不能だ。旅路がますます残り少なくなっていくというのに、なおさら路費を得ようとすることほど、理不尽なふるまいがあろうか」
p61「老人の置かれている状況のほうが青年のそれよりはましなのだ。青年は長生きしたいと願うが、老人はすでに長生きしている」
p66「熱意をもって取り組むすべての営みの満足感が、生の満足感を生む。青年期には青年期だけに見られる一定の営みがある。しかし中年期と呼ばれる安定した年代が、それを再び得ようとするだろうか。老年期にも、ある種の最後の営みがある。それゆえ、以前の、それぞれの年代の営みが終わりを迎えるように、老年の営みもまた終焉を迎える。この終焉が訪れたとき、生の満足感が機の熟した最期の時を運んでくるのだ」
p72「生きたことを後悔することもない。なぜなら私は無駄に生まれてきたと思うことがないような生き方をしてきたし、それに、この世の生を去るにあたっては、いわば、我が家から去るのではなく、宿から去るという心づもりでいるからだ。というのも、自然がわれわれに与えた住まいは、住み続けるための家ではなく、仮寓するための宿にすぎないのだからね」
p73「たとえ我々が不死の存在とはならないにしても、人間にとって各々に与えられた時にこの世を去るのは望むべきことなのだ。なぜなら、自然は他のすべてのものと同様、生にも限度というものを定めているからだ。生涯の終幕は、うんざりするのは避けなければならない。とりわけ満足感が伴っている場合にはね」
ソポクレスの嫌老の詩
「この世に生を享けないのが、
すべてにまして、いちばんよいこと、
生まれたからには、来たところ、
そこへ速やかに赴くのが、次にいちばんよいことだ。
青春が軽薄な愚行とともに過ぎ去れば、
どんな苦の鞭をまぬがれえようぞ。
どんな苦悩が襲わないでいようぞ。
嫉妬、内紛、争い、合戦、
殺人。かの憎むべき、力なき、無慈悲な、
友なき老年がついに彼を
自分のものとし、禍いの中のあるとしある
禍いが彼に宿る。」高津春繁訳
老いが惨めな理由→対する反論
①仕事や活動から身を引くのを余儀なくされるから
→鍛錬と節制を怠らなければ精神は維持できる。老人の賢慮でしかなし得ない、国家、若者の育成という名誉な仕事がある。世代交代のために、農業をしたり木を植えたりする。若い人よりも分別、熟考があるのでむしろ偉大な事業を行える。
②肉体が衰えるから
→体力は求めるものではなく馴染むもの。
③快楽が減るから
→過度な快楽はむしろ毒。思索、理性、観相の時間が増える。老年の適度な快楽=「私は日々、多くのことを新たに学び知りながら老いていく」。よく手入れされた農園以上に、有用性において豊穣、景観において美麗なものはありえない。
④死が間近だから
→そもそも死は若い人にも訪れる。けれど老人のほうが先が短いのは確実。長い生を求めてはいけない。人間の中に長く存在するものはむしろ不自然。過去は全て消え去り、豊かな善行だけが記憶に残る。その善行を積んだ者が迎える死は、火が自ずと消えるごとく、りんごが自然に落ちるごとく、成熟した実にうれしいもの。
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好きな本Top10のひとつ。
キケロが細平たい木の板で脛を思いっきり叩きにきます。痛いってば。嫌じゃないけど。
訳の分からない本や新聞、ネットニュースを読む時間と手間はこの本を繰り返し読む事にこそ費やすべき。そんな本のひとつ。
【日常生活で使えるサーカズム】
もし誰かが「若い時はこんなんじゃなかった。今では(筋肉が衰えて)死んだも同然だ」と嘆いたなら、「可哀想なクロトナのミローだね」と言う。(心の声 愚か者め。死んだも同然はお前の筋肉などではなくお前自身だ。お前が有名なのはお前のおかげでなく、若い頃の筋肉と体力のおかげだ。)美貌や知力でも使えそう。
屁理屈、生まれつきの性格によるなど、反論はいくらでも出来そうなものの彼の主張は聞いといた方が得。
老人にとっての不幸は4つあるとし(仕事が出来なくなる、体が弱くなる、快楽が失われる、死に近づく)それぞれを「老人は頭を使う仕事がある」「老人に若者の体力は要らない」「老いは快楽の欲望から解放してくれる」「死を恐れるな」と唱える。
特に4つめは「最大の悩みですよね」としているが、「若いからって夕方生きてると思い込むなんて無邪気すぎ。若い方が事故とか病気とかある。」「老人は望みがない?若者が望むものを既に手に入れたのだ。長生きを。」「魂がなくなるなら怖くないしなくならないならベターじゃん」「終わりがあることに長さを求めるなんてナンセンス」「過去は戻らず未来は分からない、だから与えられた寿命に満足するしかない」「青年期と違って終わりがない」
死を軽視しろ、忘れろ、ある程度の金は持て、賢くいろ、出来もしないことを嘆くな
そしたら大丈夫。
そのまんまは無理だとしても、読む前と読んだ後ではマインドセットがほんの少し変わるかも。
最後の「魂が不滅だって信じてるし。これでいい。違ってもいいけど僕が生きてる間はそう信じさせてくれよ。」もいい。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/741965 -
131-C
文庫 -
セネカと同じく、一部の屍(老人)に鞭を打つようなフレーズにビビる本です
キケローが友人に向けた、書簡
「年取ることって悪くない」
「友達っていいものだね」 という2つのテーマで語る空想対話本です。
ギリシャ哲学と聞くとハードルが万里の長城クラスのようですが、対話篇になるとその高さはだいぶ下がります。
ただ話の流れを掴むのであれば(注釈まで読み込まないのであれば)ソクラテスの弁明や、生の短さについて、のように楽しみながら読むことができるでしょう。
40代で読んで良かった。そう言い切れる一冊です。
特にすきなフレーズはここ
「老化による愚痴?物忘れ、不健康?それのほとんどはその人の不摂生と、個人の習慣、生活の問題だ。老化のせいにしないでね」
最近の若者、と十把一絡げで若年者をまとめられないように、老人も良い人、悪い人がいる。当たり前の事実が染み渡ります。 -
訳もナチュラルな日本語で読みやすい。巻末の訳者解説も丁寧でわかりやすい。むしろ訳者解説を先に読んでから、本編を読むとさらに理解が増す。