科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 33
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065150948

作品紹介・あらすじ

■「科学的な正しさ」を疑い、「科学の存在意義」を問う■

何が「真実」で「異端」なのか。
分子生物学者が現代社会の「薄闇」に光をあてる。
はたして科学の可能性と限界とは?
私たちが生きる意味をも捉えなおした、極上のサイエンスエッセイ!

――

現代において、「非科学的」というレッテルは、中世の「魔女」のような
「異端」の宣告を感じさせる強い力を持っている。
社会に存在してはならないもの、前近代的なもの、というような響きである。
それは科学の万能性、絶対性が現代社会では無邪気に信じられているということの証でもある。

しかし、はたして科学という体系は、本当にその絶大な信頼に足るほど
強靭な土台の上に建っているものなのだろうか?
「科学的」なものと「非科学的」なものは、そんなに簡単に区別できて、
一方を容赦なく「断罪」できるものなのか?
「科学的な正しさ」があれば、現実の問題は何でも解決できるのだろうか?
科学と非科学の間に大きく広がる、そのはざまに一体、何があるのか?

本書は、複雑で、曖昧で、怪しげで、でもちょっと面白い、その辺土への誘い、である。

――

【本書のおもな内容】
第1話 デルフォイの神託/「神託」の謎に迫る科学のメス ほか
第2話 分からないこと/科学が持つ二つの顔 ほか
第3話 消える魔球/「正しい」こととは? ほか
第4話 無限と有限/農薬はなぜ「大体、安全」か? ほか
第5話 科学と似非科学/次々と現れる「新しい」生き物 ほか
第6話 科学は生きている/忍び寄る権威主義 ほか
第7話 科学と非科学のはざまで/カオスの縁 ほか
第8話 ドイツの滑空王/神々の領域 ほか
第9話 リスクととともに/新型インフルエンザ狂騒 ほか
第10話 アフリカ象と大学人/衰退する日本の科学と淘汰圧 ほか
第11話 「無駄」と科学/放射線に耐える奇妙な果実 ほか
第12話 閉じられたこと/グローバリゼーションのもたらすもの ほか
第13話 この世に「形」を生み出すこと/我が家の愚犬 ほか
第14話 確率の話/将棋と麻雀の日々 ほか

感想・レビュー・書評

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  • ▼新しい概念とは
    ■一人の夢から生まれたものが、社会に認められて、科学理論の体系の一部となったもの

    ■新しい概念は、今の常識という前提では想定しないものが多い
    だからこそ、正しさだけでなく分かりやすさが重要

  • filerの紹介で興味持ち購入。
    後半、大学の研究に柔軟性が無くなることが、科学的な発想に影響を与えるという問題提起が一理あると思う一方、終盤の話など若干科学から外れるところもあり、何とも不思議な印象を残して読み終えた。あとがきでエッセイ的な本を書く…ということが書いてあり、ちょっと納得した。
    本書の内容からはズレるかもしれないが、原発への考えの具体的なところをもう少し聞きたいと思った。

  • 科学がどういう営みであるのか、詳しく考えたこともなかったが、科学の持つ二面性という視点から、非常に明快に科学の性質、現代における役割についてエッセイのようにして論じている。

    神託、社会装置としての科学。その反面での、真理追求、普遍性を求める科学。大学での日本の研究力水準の低下や原発問題もこの視点から考えてみるとおもろい。

    明かりと秩序をもたらした科学と、依然として闇の広がる混沌とした現実。その間に生きる意味を見出す人間。比喩や言葉の使い方もうまくて酔いしれる文章やった。こんなに感想を書いてしまうほどおすすめなんすよ。政治家とか文系の人に勧めたい。

  • 中屋敷均(1964年~)は、神戸大学大学院教授で、植物・菌類ウイルス研究を専門とする分子生物学者。
    本書は、講談社のPR誌「本」に2018年1~12月に連載された「科学と非科学~その間にあるもの」をもとに、再構成・加筆修正されたもの。
    内容は、著者によれば、学術書では書くことが難しい、「科学と非科学のはざま、言うならば、「光」と「闇」の間にある、様々な「薄闇」に焦点を当て」て、著書の思いをエッセイ風に綴ったものである。
    第一部では、「科学的」とは何なのか? 「科学」が立っている基盤とはどういうものか? 現代社会において「科学」に求められていることは何なのか? 「科学」に100%の信頼性を求めることはできるのか? 「科学」に限界はないのか? 「科学的」であることと「非科学的」であることの境界線は何か? 等について、具体的な事象を挙げつつ語り、第二部では、不確かな「科学」とどのように向き合うべきなのかについて、昨今の問題を交えて綴っている。
    その中で、私の印象に残ったのは以下のような記述である。
    ◆「科学が教えるところは、すべて修正される可能性がある。・・・科学の知見が常に不完全であるということは、ある意味、科学という体系が持つ構造的な宿命であり、絶え間ない修正により、少しずつより強靭で真実の法則に近い仮説ができ上がってくるが、それでもそれらは100%の正しさを保証しない。より正確に言えば、もし100%正しいところまで修正されていたとしても、それを完全な100%、つまり科学として「それで終わり」と判定するようなプロセスが体系の中に用意されていない。」
    ◆「「分ってしまった」世界に、人の選択の余地はない。・・・分かるとも分からないともつかない「薄闇」のような世界だからこそ、人間の知性や決断に意味が生まれ、・・・いろんな「形」、多様性が花開く世界となるのだ。それは神の摂理のような“真実の世界”と、混沌が支配する“無明の世界”とのはざまにある場所であり、また「科学」と、まだ科学が把握できていない「非科学」のはざま、と言い換えることができる空間でもある。」
    ◆「「意志ある選択」。科学はそれを人から奪うためでなく、与えるために存在する。不確かさも含め、科学的知見は常に「考える素材」である。それが科学の存在意義であり、その「選択」こそが、私たちに与えられた、世界を拓く力、生きる意味、なのではないだろうか。」
    科学とは何か、我々は科学とどのように向き合うべきなのか、を考える一助となる一冊と思う。
    (2019年4月了)

  • 2021-05-03 amazon p412-

  • 【本学OPACへのリンク☟】
    https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/628297

  • いままで何度もいわれていたことを、改めて考えてみるのに良い本だと思います。現代の本て、誤解を恐れずいわせてもらえば、そういう本が多いと思うんです。
    科学と非科学の間にあるもの。著者はそこにこそ、科学の本質とか、人間の可能性、生きる意味とかがあるんじゃないか?といっています。
    科学に100%はない。修正を繰り返しながら"進化"していくもの。修正されるところに、"間"が存在する証拠がある。まるで芸術とか、人間が造り出す他のものとの共通点がたくさんあるんじゃないですかね。けして「神託」ではないです。人は"わからない"と不安になるので、なにかにすがりたくなる。そんな性質を常に意識しつつ、科学に対峙した方が良いことを教えてくれます。

  • 230217〜230220

  • 背ラベル:404-ナ

  • 科学の世界に身を置いてきた自分にとっては少し期待外れ。具体的な話とすごく抽象的な話が入り混じっていて何が言いたいのかがわかりにくいところや、なんだかメッセージが浅く感じられるところが多数。もう少しはっきりと結論を述べてほしい。

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著者プロフィール

中屋敷均(なかやしき・ひとし):1964(昭和39年)年、福岡県生まれ。1987年京都大学農学部卒業。博士(農学)。現在、神戸大学大学院農学研究科教授(細胞機能構造学)。専門分野は、植物や糸状菌を材料にした染色体外因子(ウイルスやトランスポゾン)の研究。著書に『生命のからくり』(講談社現代新書)、『ウイルスは生きている』(同/2016年講談社科学出版賞受賞)がある。

「2024年 『わからない世界と向き合うために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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