- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065153406
作品紹介・あらすじ
ジャック・ラカン(1901-80年)は、「フロイトへの回帰」を唱えて精神分析の中興の祖となった分析家にして、第一級の思想家でもあった。学位取得後にサン=タンヌ病院などで臨床に専念したラカンは、独自の分析手法「短時間セッション」を開発したが、これがパリ精神分析協会の分裂を引き起こし、フランス精神分析協会に参加する。しかし、国際精神分析協会への加盟条件としてラカンの「教育分析家」資格取消を要求されたため、1964年にはパリ・フロイト派を創設した。
こうした四分五裂を経ながら精神分析を刷新し続けたラカンが自身の精神分析理論について生前に公刊した著作は、ただ1冊。それが『エクリ』(1966年)だが、これは難解な内容をもつ上、日本語訳には問題があると言わざるをえない。そのような状態が続く中、1953年から始められた「セミネール」は多くの聴衆を集めただけでなく、ラカン生前中の1973年から公刊され始め、聴衆を前に語られた貴重な記録となった。
そのセミネールの日本語訳は、1987年から着手されたが、パリ・フロイト派創設の時期にあたる1963-64年度の『精神分析の四基本概念』までの時期のものに限定されている上、価格も高く、また現在では入手できなくなっているものも多い。
そうした状況の中、選書メチエの1冊として、最も名高い『アンコール』をお届けする。これは1972-73年度のセミネールであり、既存の邦訳からはうかがうことのできない後期ラカンの真髄が語られている。「無意識はひとつのランガージュとして構造化されている」というテーゼから出発し、「想像界」、「象徴界」、「現実界」の分類を中心に練り上げられた前期の思想は、いかなる展開を遂げたのか? このセミネールで、ラカンは「愛」という主題を根底に据え、精神分析を新たな領域に飛躍させていく。「恍惚」や「美」など、さまざまな側面から「愛」に迫り、「無知なるもの」という領域が指摘される。そうして「女性の性欲」という問題が提示され、以降7年後の死の年まで続けられたセミネールで展開される後期ラカンが幕を開く。
さまざまな仕掛けが凝らされたフランス語を「日本語のテクスト」として読みうるものにするべく、定評ある二人の訳者が全身全霊を捧げて完成させた待望のセミネール。誰もが待ち望んだ1冊が、ついに登場。
感想・レビュー・書評
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ジャック・ラカンの本を読むことは、類のない快楽の体験である。比較的分かりやすいこの「セミネール」のシリーズですら、そのほとんどの文意は「分からない」。しかし、謎に満ちた言述を辛抱強く良い進めていくと、あるときふっと「分かった」ような感触が得られたりもする。だから「全然分からない」のではなく、「なんとなく、分かってくるような気がする」というステージへの移行のプロセスが、何とも言えない冒険の愉悦なのだ。
少なくとも「語り」の面において、ジャック・ラカンは大変アタマが良いものの、もの凄い奇人変人で、どんどん独自の思考を推進しつつ、言語学上の概念を乱暴に精神分析に持ち込んでは、さらにそれらの概念を独自のものに変容させ、ひとつひとつ辞書に掲載するような明確さで定義することは避けるから、誰も彼の語りについて行けない。この頭脳明敏な変人はやたらとおしゃべりで、人に構わず自分の欲求で一人で延々と喋り続けるわけで、話はやたらと脇道にどんどん逸れまくり、いちいち持って回ったような言い回しで煙に巻いてしまう。
いつも定義のはっきりしないラカンの独特な用語は、それでも、ずっと読んでいるうちにだんだんと(漠然とながら)「分かってくる」。
この迷宮的な文章をさまようことは、私にとっては一つの大きな快楽である。
「セミネール」シリーズは岩波書店のハードカバーで最初のほうから和訳が刊行されているが、まだ前期の部分までしか出ていない。本書『アンコール』は全27タイトルに及ぶうちの第20巻目にあたり、後期のものに属する。こんな風にフライング的に出版されたら、岩波書店としては困るのではないか? それに、ラカンのセミネールはよく「前年の講義」あるいは「以前の講義」に言及するので、まだ訳されない第19巻んいついて語られても、こちらは何のことだかわからないから困る。このセミネールシリーズは、ラカンの思考の段階的発展を跡づけているので、かなり「積み重ね」の部分がある。だから、やはり最初から順に読んでいくのが正しいと思われる。
本書がかなり刺激的な内容であることは確かだが、できれば詳細な訳注をつけて、読者の理解を助けて欲しかった(岩波のもそうだ)。
これを読んでまた前期の「セミネール」を再読したくなった。幾つかの概念は、本書によってようやく分かった部分もあるので。
何度も何度も繰り返し読めば、ラカンの思想への理解は深まるだろう。フランス語は読めないから研究者にまではなれないが、マイペースで迷宮を楽しむ学習者にはなれるかもしれない。ただ、そこまでして、時間をかけて、取り組むほどの価値が、ラカンの思想にあるのかどうかはよく分からない。官能的な魅力を放っていることは確かなのだが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さっぱり分かりゃしない。