- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065160695
作品紹介・あらすじ
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(川端康成)は英語で「The train came out of the long tunnel into the snow countory」(サイデンステッカー)。世界を表現する際の「視点」 の違い。英語は「神の視点」を得ることによって主語の誕生を準備したが、「虫の視点」を持つ日本語にはそれは必要なかった。英語の歴史を踏まえ両言語と文化の違いを考察。
感想・レビュー・書評
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オビから引用。
「
(1)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
(2)The train came out of the long tunnel into the snow country.
原作では汽車の中にあった視点が、英訳では汽車の外、それも上方へと移動している。……よく見ると、川端の原文には『主語』がないのである」
もう、この部分だけで言い尽くしちゃってる感がありますが、めちゃくちゃ面白くないですか?
ここから日本語は「虫の視点」で、英語は「神の視点」を持つ言語だという展開をしていくんだけど。
語順が違うから訳しにくいとか、古文では主語がなくて、でも行為者がコロコロ変わるから注意とか、まぁそんな程度の意識でしたよ(笑)
「ドアが閉まります」と「ドアを閉めます」も面白くて、主客間の分断・対峙を避けるために「行為者がいない」ことが好まれるとある。
そういう所を、主張がないとか、責任回避するとか悪く言われる。確かに、言語と文化は密接に関わるものだし、その言語と文化に根差して人は育つのだから、きっとそうなのだろう。
でも、それを汚点とするのは誰、という話だろう。
後半は、そんな英語もかつては「虫の視点」だったんですよという話。
それから、三上章の『象は鼻が長い』における主語不要論が日本において抹殺されてきた理由?について述べている。
ちょっと攻撃的過ぎて、私はそんな言わんでも、と引いてしまったのだけど、私たちが主語と習っているものは主語ではない(ようだ)。
主語と主題と主格の違いという、この辺はもうちょっと勉強しなきゃな、と思います。。。
ともあれ、こういう視点の違いって、どんな風に双方にイメージされているのか、もっと知りたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「『象は鼻が長い』問題」で有名な三上章の「主語廃止論」を擁護し、英文法を無理矢理日本語に当てはめることへの批判が中心の書。日本語には主語がないという主張は私も同意であるし、本書で紹介されている、古代ギリシャ語などの中道態と、日本語の「れる、られる」との共通性を指摘するところはなるほどと痛快な思いである。
しかし、著者は、国文法学者の主流派である、主語がある派の人たちには恨みとも言える感情があるようで、その強すぎるトーンには興味をそがれた。 -
日本語には主語がないことと、古英語との一致から英語の変化を考察している。
日本語は、ある述語一単語において文が成立することから、主語の不必要性と、いま主語と呼ばれているものの、単なる主題に過ぎないことを言っている。
また、主語が必要となる英語、とりわけ、米語が行為者を絶対化する構造を有するがゆえに、話者を攻撃的たらしめる性格を有すると述べている。
英語と欧州他言語の通時的比較から、主語の発生起源を、ノルマン征服以降の劣等語としての英語の立ち位置に求めた。そこから、行為者強調のもとに、主語が第一位の座を得、さらにその強調の結果として、形式主語をも要する言語構造を持つようになったと述べている。
そして、中動相を行為者の不要な能動相として、主語強調に対する無主語文としての相であることを述べている。
最後に、本書では、以上の違いがそれぞれの言語話者が観ている視点の違いによるもであることを主張の軸に掲げていることをここに記す。それは、主語を要する言語、とりわけ英米語は、すべてのものが俯瞰できる高所からの神視点で述べられ、日本語のような述語主体の言語は、私自身が世界を行くようにして出来事を記述していく虫視点によって述べられていることである。これが行為者の「する」言語と状況が「ある」言語の違いであるとし、主語を要するか否かにつながると述べられている。
要するに、楽しく読ませていただきました。 -
第一章「神の視点」と「虫の視点」。川端康成の名著「雪国」の冒頭の文章「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」を英訳と比較して、日本語は虫の視点で見るが、英語は高みに上った神の視点でみる。この見方は面白かった。虫が進むように少しずつ景色が現れてくるのだ。英訳すると、その視点は失われ、The train came out of the long tunnel into the snow country.と景色は全てが一瞬にして見えてしまう。第二章「アメリカよ、どこへ行く」。第三章「英語を遡る」。第四章「日本語文法から世界を見る」。第五章「最近の主語必要論」。第二章以降は、ここには面白いのだが、日本語文法学界の様子を知らないので、ついて行きにくかった。
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歴史学でいうと本郷、司馬、みたいな感じ。
『日本語と西欧語――主語の由来を探る』
著者:金谷 武洋
発売日 2019年05月11日
価格 定価 : 本体1,110円(税別)
ISBN 978-4-06-516069-5
通巻番号 2565
判型 A6
頁数 296ページ
シリーズ 講談社学術文庫
初出 本書の原本は2004年に講談社選書メチエ『英語にも主語はなかった――日本語文法から言語千年史へ』として刊行されました。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(川端康成)は英語で「The train came out of the long tunnel into the snow countory」(サイデンステッカー)。世界を表現する際の「視点」 の違い。英語は「神の視点」を得ることによって主語の誕生を準備したが、「虫の視点」を持つ日本語にはそれは必要なかった。英語の歴史を踏まえ両言語と文化の違いを考察。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000322198
【簡易目次】
序 章 上昇気流に乗った英語
第一章 「神の視点」と「虫の視点」
第二章 アメリカよ、どこへ行く
第三章 英語を遡る
第四章 日本語文法から世界を見る
第五章 最近の主語必要論