解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (講談社選書メチエ)
- 講談社 (2019年7月12日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065165928
作品紹介・あらすじ
これならわかる!
『プロ倫』はなにを解き明かしたのか? いま受け取るべきメッセージはなにか?
超難解書の全体像と核心が明快にわかる、驚異の解説書が登場。
これが、ウェーバーの言いたかったことだ!
《冒頭10頁強で、ウェーバーってどんな人&『プロ倫』のあらすじが、ざっくりわかる!》
《基礎知識から "ライバル" ゾンバルトやマルクス主義とのわかりやすい対比まで、たのしくわかるコラム満載!》
『プロ倫』は「プロテスタンティズムと資本主義の発展の関係」を論証したとされるが、本当にその試みは成功していたのだろうか? いまなお読み解くべき意義があるのだろうか? そんな素朴かつ核心的な問いをスタート地点にして、ウェーバーの論考のエッセンスを、クリアーで平明な文章で徹底解説。
宗教改革によって勃興したプロティスタンティズムは、「天職」という概念や、神が誰を救うか/救わないかをすでに決めているという「二重予定説」なる教説を生み出した。快楽を排しひたむきに貨幣獲得に生きがいを見いだすような精神が生まれ、資本主義社会が発展していくが、しかし資本主義が爛熟すると崇高な精神が失われてしまう――ここに、ウェーバーの問題意識の核心があった。そして、その問いと思考は、現代における新保守主義という思想と響き合うものだった。
市場経済の発達が加速度を増し、その行く末を誰も見通すことができなくなりつつあるいまこそ、近代とは、資本主義とはなにかを正面から考えた『プロ倫』のエッセンスを読もう!
【本書の内容】
序章 ウェーバーってどんな人?
第1章 「問題」はどこにあるのか?
第2章 資本主義の精神とはなにか?
第3章 「天職」の概念が生まれた
第4章 禁欲的プロテスタンティズムの倫理とはなにか? -1-
第5章 禁欲的プロテスタンティズムの倫理とはなにか? -2-
第6章 天職倫理と資本主義
第7章 現代社会で生きる術を考える
補論
感想・レビュー・書評
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「プロ倫」こと『プロテスタンティズムと資本主義の精神』でウェーバーがこたえようとした問題をていねいに解説し、その議論についてわかりやすく検証をおこなっている解説書です。
著者は、ウェーバーの代表作である「プロ倫」の全体について研究している本がこれまで日本にはなく、「研究の穴」になっているといいます。かつては、大塚久雄に代表される近代化論の枠組みのなかでウェーバーの議論が理解され、その後山之内靖がウェーバーとニーチェの問題意識をかさねるかたちで新しいウェーバー像を示しましたが、「プロ倫」全体の論証の構造を解明しているわけではありませんでした。そこで著者は、本書のなかでウェーバーそのひとの問題設定と論証過程をていねいに解説するとともに、自身の関心にもとづいて現代における「プロ倫」の意義を明らかにしようとしています。
著者の「プロ倫」解釈をおおまかに整理すると、ウェーバーは「禁欲的プロテスタンティズムの倫理」を、心理的内面における二重予定説と、組織形式における洗礼主義とゼクテの形成の二つの側面に分けて考察をおこなっているとされています。そのうえで、このことと「禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」とのあいだには断絶があり、「天職倫理」と「資本主義の精神」のあいだに親和性があることが確かめられると理解されています。
さらに著者は、新保守主義の社会哲学的な側面に通じる発想を、ウェーバーの問題提起から読み取るという試みもおこなっています。こうした著者の見立てがどの程度妥当するものなのか、わたくし自身は判断がつかないのですが、本書が入門的解説書であることを考えるならば、こうした現代的な興味にもとづいて「プロ倫」を解釈する視点を示す試みがあってもよいのかもしれません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ウェーバーのあの名著を解説するありがたい本。ただあがめるでもなく、おとしめるでもなく、現代の視点から誠実に検証して分かりやすく説明してくれる。専門家でないなら、原著を読まなくてもこの1冊で十分といっても過言ではない。
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98ページ
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本書はマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読(解説ではない)しようという試み。第1章から第2章まではその前提を確認する作業となっている。
著者は第2章の終わりで「資本主義の精神」の狭義の定義と広義の定義をおこない、「私たちは「広義の資本主義の精神(「勤労ー反消費」の生活スタイルで「子孫の幸福」「自身の繁栄」「社会の繁栄」を追求するもの。対して狭義のそれは目指すところが「倫理的義務の遂行」となる)を含めて、さまざまな立場を検討してみる価値があるだろう」(p.101)とし、そして、第3章以下ではルター派、禁欲的プロテスタンティズムの各派における「倫理」の分析、理念型を剔出していく。この辺が「解読」と銘打つ本書の真骨頂。
そして、第6章では禁欲的プロテスタンティズムの「倫理」と「天職倫理」の『プロ倫』上の定義の断絶を確認しつつ、「天職倫理」と「資本主義の精神」がほぼ同じ倫理内容をもつと論じている。いささかややこしいのだが、その辺は6章の図5と図6で綺麗に提示されている。
第7章ではウェーバーの『プロ倫』のメッセージから現代の我々が読み解くべきところのものが、著者なりの解釈も交えて示される。著者は、『プロ倫』が新保守主義的な発想からとらえた新たなリベラリズムの方向性を包含したものとして読み解くべきだと考えており、それはそれとしてわかるのだが、それが本当に禁欲的プロテスタンティズムのみから生まれてくれるものなのか。思想や倫理の歴史の世界史的な探求がまさに必要とされているのではないか、と感じた。
ウェーバーの宗教社会学研究という壮大かつ遠大な構想の限界と可能性を考えてみなくてはならないだろう。 -
ウェーバーの著作に忠実に沿って解読しているとはいえるが、これまで表題の著作についてきちんと解説した本は存在しないとするのはいささか乱暴ではないかと思う。
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系・院推薦図書 総合教育院
【配架場所】 図・3F開架
【請求記号】 331.5||HA
【OPACへのリンク】
https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/volume/446693 -
2019年12月21日に紹介されました!
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日経新聞2019727掲載
エコノミスト20191029掲載 -
東2法経図・6F開架:331.5A/H38k//K
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2019年9月2日図書館から借り出し。2019年9月16日読了。
学生時代に梶山訳岩波文庫上下二冊本で読んだときは、ひたすら該博な知識の披瀝に圧倒された。その後、大塚久雄が中央公論(世界の名著)との約束を破って、しかも梶山力の名前を消して単独名で岩波から出したあと文庫に収録したものも、一応読んでみた。しかし、仏教内での宗派の区別もよくわからない者が、キリスト教の宗派による勤労等々の受け止め方の違いと言われても、そもそもの宗派の違いがよくわからないまま通り過ぎていた。
この本では、プロテスタントの中でも、宗派によりどう違うのかが比較的詳しく解説してくれているので、少しはわかったような気になる。
また、既存のウェーバー学者のように神格化しないで、疑問点もいくつか触れているが、用心深く断定は避けている。とりわけ「ルター派は重商主義の精神?」という項目を立てておきながら4頁ほど、しかも最後になってトレルチを持ち出しておきながら中途半端な終わり方で尻切れトンボ。だったら書くなよとブツブツ言いたくなる。
終盤の2章で、突然「新保守主義」、つまりネオコンを持ち出してきて、おいおいとなる。ついには、あとがきで「『プロ倫』は新保守主義の視点で読め!というのが本書のメッセージである。」と書き放つ。
ここまで勝手な飛躍をされちゃうと、もうね、最後で鼻白みましたよ、ええ。