- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065187463
作品紹介・あらすじ
プラトンによれば、ソクラテスは、「……とは何か」と問うた。「正義とは何か」「美とはなにか」。真理を捉えるための「知性」や「理性」を最も重要な心の働きとする西洋哲学の伝統が、ここから生まれた。
これに対して、本書は、「想像力」を優位におく思想に着目する。イギリスのロマン主義者からはじまって、アメリカのエマーソンに継承され、ニーチェ、ハイデッガー、ローティにつながる系譜である。
真理は定まっていて、「理性」や「知性」は、それをあるがままに捉える能力だとするのが、プラトン的「理性主義」だとすれば、「想像力」とは、新たな見方、捉え方を創造する力である。これをローティは、「詩としての哲学」と呼んだ。
デカルト、カントなど、理性主義の変遷をも検証しつつ、「詩としての哲学」の可能性を問う力作。
感想・レビュー・書評
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第1章 プラトンとの決別
第2章 エマソンとニーチェ
第3章 ハイデッガー の二面性
第4章 プラトン的真理観は、どうして機能しないのか
第5章 原型的経験論に対する二つの誤解
第6章 デカルト
第7章 カント
第8章 詩としての哲学詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルにひかれて買ってみた。ニーチェやハイデガーは最近関心のあるところだし、ローティも面白い。
著者の本は、以前に「哲学の最前線 ハーバードから愛をこめて」を読んだことがあって、わかりやすくて楽しかった記憶があり、この本も比較的わかりやすいかな?
ニーチェはエマソンの影響を受けているというのは、初耳。エマソンは、これまでまったく興味感心が向いていなかったのでけど、ちょっと読む価値ありと思った。
さて、ニーチェ、ハイデガー、ローティとつながり、なんか知的に理解しようというより、創造性のほうが大切なのだというのは、かなりなるほどの課題設定だと思う。
で、その辺をもうちょっと深めたいと思うのだが、本が進んでも、これまでの西洋哲学が思考重視であったみたいな話しが続く。。。
いや、その話しは、いろいろな人がすでにやっているので、「詩としての哲学」それ自体を深めてほしいと思うのだが、そこがよくわからないままに終わってしまった。
著者は、ローティが専門だったんだね。知らなかった。著者が編集した「紫の言葉たち」を読む必要があるということかな? -
絶対的なもので束縛する哲学ではなく、創造する哲学を。
それを著者は詩としての哲学と呼ぶ。
本当のサブタイトルは、「ロマン主義・ニーチェ・ローティ」だろう。
他書で冨田先生からローティ哲学の良さを教えてもらったにもかかわらず、その後、勝手に見くびってしまい、本書でまたその価値を再発見できた。やはり原著にあたらなければ。
終盤のデカルトとカント哲学の真の意図の暴露に目から鱗が落ちる。
自然哲学の絶対視は、現代こそ戒めなければならない。