- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065245392
作品紹介・あらすじ
自己と他者の関係性としての〈ケア〉とは何か。
強さと弱さ、理性と共感、自立する自己と依存する自己……、二項対立ではなく、そのあいだに見出しうるもの。ヴァージニア・ウルフ、ジョン・キーツ、トーマス・マン、オスカー・ワイルド、三島由紀夫、多和田葉子、温又柔、平野啓一郎などの作品をふまえ、〈ケアすること〉の意味を新たな文脈で探る画期的な論考。
本書は、キャロル・ギリガンが初めて提唱し、それを受け継いで、政治学、社会学、倫理学、臨床医学の研究者たちが数十年にわたって擁護してきた「ケアの倫理」について、文学研究者の立場から考察するという試みである。(中略)この倫理は、これまでも人文学、とりわけ文学の領域で論じられてきた自己や主体のイメージ、あるいは自己と他者の関係性をどう捉えるかという問題に結びついている。より具体的には、「ネガティブ・ケイパビリティ」「カイロス的時間」「多孔的自己」といった潜在的にケアを孕む諸概念と深いところで通じている。本書は、これらの概念を結束点としながら、海外文学、日本文学の分析を通して「ケアの倫理」をより多元的なものとして捉え返そうという試みである。(本書「あとがき」より)
感想・レビュー・書評
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いま「ケア」という言葉に注目が集まっている。反射的に職業としてのケアワーカーやケアギバーが連想されるが、この言葉の持つ意味は広く、ケアは誰もが日常的に行っている。世界はケアで成り立っている。ところが世の中には、ケアは女性が従事すべきものとする(特に男性を中心とした)見方が根強くある。
本書のタイトルにある「ケアの倫理」は著者の造語ではない。ローレンス・コールバーグのいわゆる「正義の倫理」やジョン・ロールズの「正義論」へのカウンターとして、倫理学者のキャロル・ギリガンによって提唱されたもので、ケアを他者への共感という視点で語るものだ。本書はその「ケアの倫理」を、文芸評論を通して論ずる興味深い内容だ。印象としては、序章と1章のヴァージニア・ウルフ、2章のオスカー・ワイルドまでで著者の意見の大方は語られている気がする。しかし全章を通して、文芸評論の枠に収まらず、政治哲学、社会学、倫理学、歴史学、ジェンダー論等、グローバルな知識が統合されていく心地よさがある。それだけに広範な基礎知識が求められ、読書のハードルは上がるけど、たまらない面白さ。
ギリガンのケアの倫理は、フェミニズム論者からは批判されることも多い。女性性を強調するものだ、ケアを女性の労働とすることを正当化するものだとの声もある。本書で著者はその点には明確に触れていないが、ワイルドや三島由紀夫など、境界を越境する作家たちを紹介する。また度々登場する両性具有的な存在は一つの解であるのかも知れない。
三島や平野啓一郎をケアの視点で読み解いた人はかつていただろうか。文学ってこういう読み方があるんだ。文学の可能性をググッと押し広げる一冊。
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小川公代さん「ケアの倫理とエンパワメント」インタビュー ケアで読み解く文学、そして女性の「檻からの解放」|好書好日
https://book...小川公代さん「ケアの倫理とエンパワメント」インタビュー ケアで読み解く文学、そして女性の「檻からの解放」|好書好日
https://book.asahi.com/article/144584742022/01/07
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興味深く読んだ。ネガティヴ・ケイパビリティ、カイロス的時間、多孔的な自己という概念がはっきりしてきた。私の理解力では一読で、この手の本を理解することはできないのだけれど、圧倒されつつもぼんやりと自分の中では著者の言いたいこと、私の身の回りで起きていることが繋がっていると感じることはできる。
そして、この本を読むことで読みたい本が山ほど増えるということも楽しい発見。 -
「ケア」という言葉を意識したのはブルシットジョブを読んだとき。コロナ禍の今、エッセンシャルワーカーによるケアが話題になっている中で広い意味を含むケアを知りたくて読んでみた。こちらの意図を十分満たす本だったのは当然のこと、優れたブックガイドの側面が強く読んでみたい本が増えた。
タイトルにある「ケアの倫理」はキャロル・ギリガンというイギリスの社会学者が唱えた言葉で、著者が彼女に影響を受けながらも社会学から文学研究へとシフトしていく話が序章として用意されている。フェミニズムの観点だとケアというより自立した個を目指すべき、という主張が強いと思うけど、その対義の存在となりがちなケアする立場の人について思いを巡らす必要性を説いている。
知らない言葉がたくさん出てきて、そのどれもが使いたくなる。ネガティブ・ケイパビリティ、クロノス的時間、カイロス的時間、緩衝材に覆われた自己、多孔的な自己など。こういった知らない概念を丁寧に説明してくれながら文学作品を読み解いていくので知的好奇心がとても刺激された。紹介される文学作品の多くは読んだことなかったけど、本著で提供されえう作品の立て付けを前提とすることで「ケア」の概念に関する理解を深めることができるだろう。唯一読んでいた多和田葉子の「献灯使」だけでもその視点の鋭さに唸りまくりだったし、ヴァージニア・ウルフ、三島由紀夫、平野啓一郎など興味あるものの個人的には未読系作家の話がどれも興味深かったのでそれらを読んで本著を再読したい。
文学を読みながらここまで深くメタファーや社会背景をふまえて理解していく姿勢はすべてが加速していく今の時代に立ち止まって思考することの大事さを教えてもらった。著者が文学に可能性を見出しているラインが好きだったので以下引用。文学によるエンパワメント!
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文学は読者のなかに新しい他者性の意識を芽生えさせる驚異的な営為なのだ。
他者の言葉を聴こう、他者の気持ちを理解しようとすることは忍耐力が必要であるという点で、文学の営為にも通じる。物語を創作すること、あるいは読むことは、誰かの経験に裏打ちされた想像世界に向き合い、じっくり考えて耐え抜くプロセスでもある。 -
「ケア」という概念の幅広さを知った一冊。
かといって、おそらく半分くらいしか理解できていないと思うけど、文学作品に見る「ケア」は、取り上げられている作品を読んでいても、まったく気づかなかった見方だった。
本書を読んだことで、ジェンダーの境界線は曖昧のままでいいこと、女性男性どちらということではなく、どちらのいい要素を持つものが、昔から魅力的とされていることが、よくわかった。
オスカー・ワイルド、バージニア・ウルフ、三島由紀夫、平野啓一郎、多和田葉子、岡野八千代など、登場する人物も魅力的な人ばかり。
また読みたい本が増えた。
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どこかの国の首相が言っている、
「成長と分配」
成長なくして分配なし、の理論は、
生きづらさの典型ではないか。
全てのものが等価交換となりがちな、
資本主義社会においては、何かと引き換えで
なければ、何も得られないのか。
この論理に、ケアでさえも巻き込まれているのだ、
と感じさせてくれたのが本書であった。
ケアは、資本主義の外側になければいけない。
何も持たない私でも、受け取っていいのだ。 -
倫理(ケア)には具体的な決断が伴う。だからこそ倫理には悩みや迷いが生じ、それゆえに創造的とも言える。
法や社会やモラルにただ盲目的に従う「道徳」ではなく、思わず逡巡してしまう「倫理」が人間の身体を作り出す。 -
「正義の倫理」との対立により「ケアの倫理」が導入され、文学におけるその表象と細やかに往復を繰り返しながらその概念の変遷と未来が描き出されている。オスカー・ワイルドから平野啓一郎までを「ケアの倫理」を軸として一気に批評。「ネガティヴ・ケイパビリティー」など鍵概念が反復されたり、各章のむすびに小括が設けられたりしていて、一般書としての読みやすさにも配慮されているところからも「現代性」を感じさせる。
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「ケアの倫理」について、文学の視点から考察したもの、
一般的に浸透している外部的なケア(身体的なもの介護とか)だけでなく内部的なケア(心のケア)について、多くかかれている