- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065273616
作品紹介・あらすじ
その後700年におよぶ武家政権を本格的に開始したのは、なぜ源氏だったのか。そしてその地は、なぜ鎌倉だったのか。源氏を「武家の棟梁」に押し上げた4人――源為義・義朝・頼朝・義経の人物像から、日本中世の始まりを描く。
武士は、律令制が乱れた地方社会で自衛のために組織され、草深い東国の武者たちが貴族化した都の平家を滅ぼして武家政権を立てた――こうした通説的理解は、現在では成り立たない。近年の研究では、武士とはそもそも都市的な存在であり、源氏も平氏と同様に軍事貴族として王朝社会での栄達を目指していた。では、京武者・源氏はいかにして地方武士団を統合し、鎌倉に幕府を開くことができたのか。一族不遇の時代、列島各地に拠点を作った祖父為義。京都政界で地位向上に邁進し、挫折した父義朝。高貴な出自による人脈を駆使した頼朝・義経兄弟。河内源氏3代4人の長期戦略は、貴族対武士、東国対京都といった単純な図式を超えたドラマを見せる。
東国武士団の研究に多くの成果を上げてきた著者によれば、源氏こそ「征夷大将軍」「武家の棟梁」たるべきという観念は、源頼朝や足利尊氏、徳川家康らによって作り上げられたものだった。また、為義の父にあたる八幡太郎こと源義家が、武門源氏の始祖として神格化されたのは、のちの北条氏・足利氏が系譜と伝説を捏造したことによるという。文庫化にあたり、「補章」を加筆。〔原本:中央公論新社、2012年刊〕
感想・レビュー・書評
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一昔前までの貴族対武士、東国対西国といった単純な対立軸で鎌倉時代開幕の歴史を論じることは無くなってきているが、本書は、河内源氏の嫡流、源為義、義朝、頼朝の三代にプラス義経を取り上げ、武家の棟梁に至ったのはなぜか、またどのようにしてそうなったのかを論じたものである。
交易に力を入れていた平氏に対し、源氏にはそうしたイメージはなかったのだが、為義、義朝の代には積極的に地方に進出し、海・水上交通の拠点の確保を目指していたということ、また京武者系武士と在地勢力との関係等は、本書の叙述で良く理解できた。
そして頼朝。著者は、それまで武家の棟梁と地方武士の間の主従関係はルーズなものであったのを、「東国武士は、源氏譜代の家人なのだ」という概念を御家人たちに植え付けたのが頼朝であり、幕府草創期に活躍して有力御家人になった武士の子孫にとっても、自己の正統性を主張するのに好都合だったから、源氏を頂点とする武士社会のイデオロギーとして、近代にまで受け継がれたとする。
本書はいくつかの旧稿をまとめたものなので、やや全体的な構成として不整合は感じるが、吾妻鏡の記述から頼朝入部までは片田舎と考えられていた鎌倉が実はかなり都市的であったと思われること、義経と平泉との緊密な関係、各流源氏の地域への進出等、教えられるところが多かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2012年刊行本を修正・加筆しての文庫版。為義・義朝・頼朝・義経の四人にフォーカスを当てて、武家の棟梁として確立される過程を追う内容。流通との関わりと、それを通しての各地への勢力展開などの様相が興味深かった。
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2012年、中央公論新社から刊行された『武門源氏の血脈ー為義から義経まで』を改題し、修正・加筆して文庫化された本書は、源為義から義経まで武門源氏3代4人を取り上げて、源氏がその後700年に及んだ武家政権を築きあげていく過程を検討したものである。構成は以下の通り。
序章 日本中世の幕開けと武門源氏
第1章 構想する為義ー列島ネットワークの構築
第2章 調停する義朝ー坂東の平和と平治の乱
第3章 起ち上がる頼朝ー軍事権門「鎌倉殿」の誕生
第4章 京を守る義経ー院近臣の「英雄」
終章 征夷大将軍と源氏の血脈
補章 「鎌倉殿」の必然性
各章最初に4人の略伝が付されており、わかりやすい。また単純な貴族vs.武士、東国vs.西国(京)という一般に広まっている中世開幕の図式的理解を説得力のある論証で退けており、腑に落ちた(第3章の副題からもすぐにわかるように、著者は東国王権論を再検討し、承久の乱以前の鎌倉幕府は「京都王朝に対置しうるほどの独立性のある権力ではなかった」(p.121)と結論づけている。朝廷あっての「武家の棟梁」にすぎないということである)。
最後第4章の「義経の再評価」で著者は現代の管理社会の原型は頼朝が作り、家康が拡大再生産したと見ていると述べている。中世史の研究者がそこまで言うのは珍しいかと思うが、興味深い問題提起であると思う。
あと義経の「金売り吉次」伝説に見られる金商人の話は、経済史的な観点から面白かった(参考に引かれていたのは、五味文彦「日宋貿易の社会構造」(1988))。