枢密院 近代日本の「奥の院」 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.50
  • (2)
  • (6)
  • (6)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 140
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (354ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065285916

作品紹介・あらすじ

「仮普請」の近代国家=明治日本。未熟な政党政治の混乱から「国体」を護るための「保険」として、枢密院は創られた。しかし「制度」は、制度独自の論理により歩みはじめる。そしてついにはようやく成熟し始めた政党政治と対立し、政治争点化する。伊藤博文による創設から第二次世界大戦敗北、新憲法成立による消滅まで、その全課程を描く、新書初の試み。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 枢密院。帝国憲法下にそんな名前の組織があることは聞いたことくらいはあるが、衆議院・貴族院、内閣・各省、裁判所といった現在に連なる三権の機関ではないために、何のためにどのような役割を果たした機関なのか、という点がイマイチピンとこない組織だった。

    本書は、枢密院の成り立ちから閉庁までのおよそ60年間の歴史を扱う。

    まず、成り立ちとして、伊藤博文の思いつきに端を発しているが、新たに国会を開設するにあたり、議会と政府の衝突を裁定する天皇の諮詢機関にしようというのがオリジナルのアイデアだったが、井上毅が両者の対立を最上裁判所が判定を下す(陛下の責任問題にもなる)のでは無く、可能な限り両者は協調すべしとの反論を行う。

    結果として、枢密院は設置されるが、行政部内において、内閣を牽制する組織となる。すなわち、政府が(機関としての)天皇に上奏した重要事項(法律案、条約案、緊急勅令、各省官制など)について、天皇からの諮詢を受けて奉答し、それを受けて天皇から政府に対し、上層に対する裁可・不裁可が伝えられるという仕組み。法案であればそこから国会提出となる。

    これを現在の制度では、行政権の範囲なら各省が独自に、或いは閣議決定して実行するか、立法が必要なら国会に内閣提出法律案として提出して審議が開始される。つまり、枢密院制度は、現在と比べても重厚な制度であった。現在も政府内の憲法や法律の番人として内閣法制局があるが、当時も内閣法制局は存在しており、それに加えて枢密院があった。

    枢密院に居たのは誰かといえば、伊藤博文や山縣有朋はじめとした維新の元勲や、それが無くなっても大政治家や重臣、大物官僚OBなどが居た。もちろん、天皇任用なので、民主主義の基盤は無い。

    これによる効果は政府に対するチェックアンドバランスというよりは、政策の停滞である。枢密院による激詰め、内閣総辞職、国会解散などが積み重なって完結しないまま議案が流れることもあった。

    政府の対策として、特に条約案などでは、秘密交渉や迅速性の観点から、諮詢回避といった対抗策も取られている。

    特に、大正や昭和初期は、閉会中の緊急経済対策のための勅令が憲法の緊急性の要件に合わないとか、第一次大戦後の国際連盟の設立が、帝国外交の自由度を束縛するとか時代錯誤の議論連発で、老害の印象強し。メディアにも枢密院廃止の議論はかなりあった。

    一方で、そうした保守性は、今度は戦争に向かって坂を転げ落ちていく政府に対し、対米協調主義や戦時需給の見積など重要な論点を政府に突きつけている。但し、結局は大勢に流され、ここで内閣潰してよ、ここで徹底抵抗してよ!というところで政府の施策をしぶしぶ追認している。

    結果として、平時にはストッパーとして政策を停滞させ、有事にこそ期待される牽制の役には立たなかった。

    そして、選挙という民主制度にも基盤がない枢密院は、GHQの意向もあったようだが、当然のように、日本国憲法の成立とともに消え去っていった。

    本書を通じて見えるのは、チェック&バランスと言えば聞こえはいいが、やり過ぎると単なる停滞に陥ってしまうこと。逆にある組織を有名無実化したければ、中に枢密院を作ってしまえばよい。また、有事において、国民的基盤・世論の支持のない組織の限界ということも露呈している。

    本書は枢密院の歴史や論点を題材として丁寧に解説しつつ、そうしたことを考えさせる良書である。

  • 明治憲法下で天皇の最高諮問機関だった枢密院の創設から廃庁までの軌跡をたどり、その全体像を検証する。
    枢密院という観点から日本近代政治史を振り返ることで、その理解が深まった。
    牽制均衡の機関として政治に慎重を加えるという発案者の伊藤博文の意図は理解できるが、枢密院はやはり中途半端で矛盾を孕んだ機関だったと言わざるを得ない。
    ただ、戦時中の枢密院の審議では当時の衆議院以上に批判や懸念の意見が出され、戦時体制と戦争の遂行に最も批判的な国家機関だったというのは、ちょっと意外であり、政治から一定切り離された専門家から成る独立機関の可能性も感じた。

  • 312.1||Mo

  • 東2法経図・6F開架:B1/2/2665/K

  • 【蔵書検索詳細へのリンク】*所在・請求記号はこちらから確認できます
     https://opac.hama-med.ac.jp/opac/volume/464976

  • 【書誌情報】
    製品名 枢密院 近代日本の「奥の院」
    著者名 著:望月 雅士
    発売日 2022年06月15日
    価格 定価:1,320円(本体1,200円)
    ISBN 978-4-06-528591-6
    通巻番号 2665
    判型 新書
    ページ数 354ページ
    シリーズ 講談社現代新書

    「仮普請」の近代国家=明治日本。未熟な政党政治の混乱から「国体」を護るための「保険」として、枢密院は創られた。しかし「制度」は、制度独自の論理により歩みはじめる。そしてついにはようやく成熟し始めた政党政治と対立し、政治争点化する。伊藤博文による創設から第二次世界大戦敗北、新憲法成立による消滅まで、その全課程を描く、新書初の試み。

    著者紹介:望月雅士(もちづき まさし)
    1965年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。現在 早稲田大学教育学部非常勤講師。専門は日本近代史。共編著に『佐佐木高行日記  かざしの桜』(北泉社)、『風見章日記・関係資料』(みすず書房)が、主要論文に「枢密院と政治」(『枢密院の研究』吉川弘文館)がある。
    [https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000367703]

    【目次】
    はじめに

    プロローグ

    第一章 枢密院の形成 1888~1911
    1 枢密院の誕生
    2 枢密院の始動と最初の改革
    3 議会政治の開幕と枢密院
    4 日清・日露戦争期の枢密院
    5 日露戦後の枢密院

    第二章 デモクラシーのなかの枢密院 1912~1923
    1 「枢密院問題」の浮上
    2 第一次世界大戦期の枢密院
    3 原敬内閣と枢密院
    4 政治争点化する枢密院

    第三章 枢密院と政党政治 1924~1936
    1 救済か、憲法の論理か
    2 政党内閣との対立
    3 満洲事変後の枢密院

    第四章 戦争と枢密院 1937~1947
    1 日中戦争と枢密院
    2 枢密院のジレンマ
    3 アジア・太平洋戦争と枢密院
    4 枢密院の廃庁

    エピローグ
    参考文献
    おわりに
    枢密院議長・枢密院副議長・枢密顧問官一覧

全12件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

望月 雅士(もちづき まさし)
1965年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。現在 早稲田大学教育学部非常勤講師。専門は日本近代史。共編著に『佐佐木高行日記  かざしの桜』(北泉社)、『風見章日記・関係資料』(みすず書房)が、主要論文に「枢密院と政治」(『枢密院の研究』吉川弘文館)がある。

「2022年 『枢密院 近代日本の「奥の院」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

望月雅士の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×