- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065296714
感想・レビュー・書評
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大昔に前編を読んでいたが、何となく覚えている。それほど印象の強い作品だったが、この本も戦前、戦中の厳しい時代が明るく描かれている。本人の資質は勿論だが、母親の朝さんのキャラクターが素晴らしい。微かな縁を頼りに青森に疎開し、生活を自立させ、次々と知り合いも呼び寄せる。空襲で焼けた東京の家を建て替えるために商売をはじめ、見事に家を建てた。トットちゃんに対しても援助を惜しまず、やりたいことをやらせてくれる。そういったことがトットちゃんの自由奔放な言動に結びついているように思う。お母さんはチョッちゃんとして、本にもなっているんですね。
トットちゃんは現在90歳だそうだが、記憶力も素晴らしい。小学時代の思い出さえ、微かにしか思い出せない自分が情けなくなる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まさか、続編を読める日が来るとはねぇ。
どちらかというと児童向けの作品であった前作から、大人へと変わっていくトットちゃん。長く生きていると楽しいこともあれば辛いこともきっと沢山あったことでしょう。著者が人生を楽しんでいるのが本書を読んでいて伺えたのが何より。
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42年ぶりの、トットちゃん!…。本当に、前作を読むとその後のトットちゃんのことが知りたくなりますよね♪書いてくださった、黒柳徹子さんに感謝したい気持ちでいっぱいになります。そもそも、どうして「トットちゃん」なのか、わからなかったんだけれどこの作品でわかりました。
父が兵役にとられ、食糧難や空襲警報に怯えた日々…疎開後の青森での生活、そして終戦…帰京したトットちゃんの新たな生活と抱いた夢とは…。
その時その時を懸命に生きる…つらいこと、悲しいこともあったけれど、そんな中でもトットちゃんなりに、楽しいことも見出しています。たくましいなぁ~って感心してしまいます。この作品も沢山の国の言葉で翻訳されて、1人でも多くの人々が読めるようになるといいなって思います。この作品を読んで、黒柳徹子さんのお人柄に触れたことがきっかけで、黒柳徹子さん好きになりました。これからも沢山活躍してほしいです。 -
窓ぎわのトットちゃんから42年の時を経ての続編。
戦争、NHK時代のことなど辛く苦しい時代の事も描かれているのに、トット節で明るくさらりと表現されているところがすごい。
それでいて、時代背景や亡くなった方の登場が多いせいか、ちょっともの悲しくなったりもして…。
前作での「君は、本当は、いい子なんだよ」そして今作の「そのままでいてください。だいじょうぶ!」が人生を支えてくれる言葉だそう。そんな風に言ってくれる人達との出会いが、今の徹子さんを作っているんだろうなぁ。 -
黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』、42年ぶりの続編。
格別の面白さだった。前作『窓際のトットちゃん』を読んだのは小学生の頃だが、トモエ学園での話をはじめ、とても印象に残っている。今回、42年ぶりの続編が出ると知り、とても嬉しかった。本作では、戦前の幸せな子供時代の話、戦中の青森への疎開の話、戦後、東京の女学校に入り、音楽学校を経て、NHK専属俳優になり、仕事を通じた大物芸能人らとの交流、40歳近くでのNY演劇留学、そしてつい最近の令和4年、審査員として参加した紅白歌合戦でのエピソードなどなど。盛りだくさんで、実話で、どれも非常に面白かった。徹子さんのお母様も、タフで前向きで、運を味方につけるパワフルさを持っていて素晴らしかった。お父様は言わずと知れたバイオリン奏者。写真も載っていたが、大変な美男美女カップルだった。恵まれた環境で育ったのは確かだが、徹子さん自身の人柄も、人生を切り開くのにとても役立ったのだと思う。どうかいつまでもお元気で、これからのますますのご活躍を楽しみにしている。 -
窓際のトットちゃん
表紙のいわさきちひろさんの絵を見ただけで嬉しくなります。
前作を読んだのは子どもの頃。
トモエ学園の徹子さんから、今作はその後の徹子さんが描かれていました。
戦前、戦時中、戦後の゙徹子さんと家族のこと。
この頃の話では、お母様の朝さんが素敵な方だと思いました。
音楽学校からNHK専属女優の゙話では、徹子さんが悩み苦しみながらも輝ける場所を見つける様子が書かれていました。
子供の時からテレビで見かけて親しみのある黒柳徹子さん。
玉ねぎヘアに゙ドレスの衣装。
特徴のある話し方。
そんな徹子さんのテレビに出られるまでの話を読みながら、大笑いした所が何回もありました。
元気と勇気をもらえた作品でした。
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続じゃない方を、読んだことがないけど
楽しく読めた
この方は、お嬢様だったんだなと
ユニセフの親善大使のイメージが強く
アフリカの子どもを抱きしめてる写真が、すごく脳裏に焼き付いている
親のいない、死にかけているアフリカの子どもを抱いたときは、一人ぼっちで死ぬより、たとえ私に抱かれていたほうが、心安らかになれるかもしれないと思った。
と書かれてた
そんなことを考えずに、迷わずに子どもを抱きしめてたんだ
夢は、子どもに本を読ませることから
NHKの劇団員になり、俳優、司会と何でもこなすマルチタレント
ニュース番組の司会をやってるときに、ドラマで嫌な役をやってると違和感があると思い
潔く、ドラマの仕事は辞め、舞台だけで演じる
すごいと感心
これからも長生きして、楽しい話を聞かせてほしい -
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黒柳徹子 42年ぶりにトットちゃんを書いたわけ「戦争中は1日に大豆15粒、栄養失調だったことも。子ども3人を育てた母親の奮闘に感謝」 誰もが...黒柳徹子 42年ぶりにトットちゃんを書いたわけ「戦争中は1日に大豆15粒、栄養失調だったことも。子ども3人を育てた母親の奮闘に感謝」 誰もが自由で、戦争のない世界を<前編>|芸能|婦人公論.jp(2024年03月06日)
https://fujinkoron.jp/articles/-/11132
黒柳徹子「テレビ黎明期の生放送の経験が、ユニセフの活動にも活かされた。誰もが自由で、戦争のない世界を」 42年ぶりに「トットちゃん」を書いたわけ<後編>|芸能|婦人公論.jp(2024年03月06日)
https://fujinkoron.jp/articles/-/111332024/03/11
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よし!書いてみようと思うまで、なんと四十二年かかってしまった!国民的ベストセラー待望の続編!前作はトモエ学園時代から東京大空襲、青森へ疎開までが描かれている。今作は戦時中や疎開先のことに始まり、終戦後にトットちゃんがNHKに入って活躍する姿も語られている。
序盤で家族の幸せな日々が綴られ、そこから戦争へと急転直下する場面転換がすごい。トットちゃんは入院中に読書に目覚めるも、戦争が進む中で本屋から本が消えていくシーンが切実で印象深い。ひたひたと忍び寄る戦争の影が、文字を吹き消していく冷たさを感じた。冬の一日の食べ物が十五粒の大豆なんて身も心も凍えてしまうよね。そんな苦しい中で、スルメをもらうために出征する兵隊さんを旗振りして見送ったことを、無責任だった自分が背負う「戦争責任」だと断じたのが胸に刺さる。
父の出征のシーンも痛切だった。しかも戦後は極寒のシベリアに抑留され、日本人たちの慰問に回っていたというエピソードも戦争の重さが伝わってくる。戦地へ赴いた父と同様、トットちゃんたちも奇跡的に空襲を回避できたりと、生と死が紙一重だった時代をこんなにも丁寧に書き残してくれたことに感謝したい。そして、トットちゃんたちを守った母が強い!強すぎるッ!帰る家を失くした戦後。駅でお米を代わりに炊いておにぎりを作って渡すというボランティアを起点に、定食屋から行商まで手広く始めるフットワークが半端ない!このあたりから少しずつエッセイは明るくなっていく。
香蘭女学校時代にもらった恋文のエピソードは声を出して笑った!
「ふかしたてのサツマイモのようなあなたへ」
出だしがすごい!この後のトットちゃんの行動に爆笑。時代を考えれば、ふかしたてのサツマイモは誉め言葉の可能性が高い気も?
NHKの俳優募集に応募したきっかけが「絵本が上手に読めるいいお母さんになれると思ったから」というのは、ぼくが試験官でも「何を言っているんだ?」となるだろうなあ(笑) 採用されたはいいものの、そこからも苦難の連続!トットちゃんにガヤとか通行人をやらせるのは悪手すぎる(笑) 笠置シヅ子さんの番組で通行人をするシーンも笑ってしまった。ゆっくりとスーッと行くを意識し過ぎて「忍者じゃない!」ってツッコまれるのはなかなかできない。
この後、自分の個性をコンプレックスに思っていたトットちゃんに、劇作家の飯沢匡(ただす)先生が「直しちゃ、いけません。あなたの、そのしゃべり方がいいんです。ちっともヘンじゃありませんよ。いいですか、直すんじゃありませんよ。そのままでいてください。それがあなたの個性で、それが僕たちに必要なんです。だいじょうぶ! 心配しないで」と声をかけるところが泣けた。NHKの文芸部にいた大岡龍男先生がトットちゃんを「トットさま」と呼びつつ、ずっと気にしてくれているところも素敵だった。
紅白の司会抜擢の話はテレビの特集で先に見ていてこれも爆笑した。エッセイでは触れられていないけど「曲目はアレです」は名言すぎる。当時のバタバタと台本があってないようなものという中では大健闘だし、これくらいおおらかな雰囲気でもいいよなって感じる。
「咲くのはわが身のつとめなり」
香蘭女学校の校歌のフレーズがあたたかい。トットちゃんは咲き誇り続ける。ぼくも「どうやったら自分を咲かせられるか」を考えたいと希望をもらった読書だった。
p.45
大人になってから気づいたことだけど、この日の丸の小旗を振ったことをひどく後悔した。どんな理由があっても、戦いにいく人たちを「バンザーイ!」なんて言って見送るべきではなかった。スルメが欲しかったにしても、トットは無責任だった。そして、無責任だったことがトットが背負わなくてはならない「戦争責任」なのだと知った。