- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065325742
作品紹介・あらすじ
16世紀半ば、戦国時代の日本をルポルタージュした中国人がいた。その後すっかり忘れ去られていた貴重な記録『日本一鑑』には、いったい何が書かれているのか。明清時代の中国を、ユーラシアの陸と海から大きな視点でとらえた著作で高く評価される著者が、日本の戦国時代を描き直す意欲作。
1523年、戦国日本の有力者、大内氏と細川氏が日明貿易をめぐって争い、中国の港町を争乱に巻き込んだ「寧波事件」は明朝に衝撃を与えた。密貿易と倭寇への対策に悩む朝廷の命を受けて、日本の調査のために海を渡ったのが、『日本一鑑』の著者、鄭舜功である。「凶暴、野蛮な倭人」という従来の先入観にとらわれない鄭舜功の視線は日本の武士から庶民におよぶ。生活習慣や日本刀の精神性、切腹の作法、男女の出生比など多岐にわたって、凶暴なるも秩序ある日本社会を描いている。
また、日本さらに畿内への詳細な航路の記録は、当時の日本の政治・軍事状況を映し出す。九州の東西どちらを通るのか、瀬戸内航路か太平洋航路か――。しかし、大きな成果をあげて帰国した鄭舜功には、過酷な運命が待っていたのだった。
本書によって、日本の戦国時代は、応仁の乱から関ヶ原の合戦へという「陸の物語」ではなく、実は日本からの銀の輸出と海外からの硝石・鉛の輸入を主軸とする「海の物語」であったというイメージが、新たに像を結んでくるだろう。
目次
はじめに─―忘れられた訪日ルポには何が書かれているのか
序 章 中世の日本を俯瞰する
第1章 荒ぶる渡海者
第2章 明の侠士、海を渡る
第3章 凶暴なるも秩序あり
第4章 海商と海賊たちの海上ルート
終 章 海に終わる戦国時代
あとがき
感想・レビュー・書評
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いわゆる後期倭寇の時代。中国周辺での海賊行為を止めさせ、明朝の元での華夷秩序を回復すべく、無位無官の侠士・鄭舜功は広州を発ち、日本に向かう。暴風の影響もあり、彼はに行くことはできず、豊後大友氏の元にとどまる。しかし、同じく日本に来ていたライバルの動向もあり、彼は部下を京都に向かわせつつ、自らは中国に戻る。しかし本国の権力争いもあり、彼の功績は全く報われなかった。そんな彼の書いたものが『日本一鑑』。
確かに著者が紹介するように、鄭は尊大な偏見を持つことなく、日本の在りようをそのままに観察したように思われる。
ただ、彼の行程を見ると、
・1556年6月 広州出発
・同年7月 豊後着
・1557年1月 帰国の途に
ということで、その日本滞在は7か月ほどであり、会った人間も限られていただろうし、どの程度の見聞ができたのかやや疑問ではある。
本書を読んで勉強になった点。
〇後期倭寇の実態が良く分かった。
〇当時の大陸からの海上ルートの状況。その中でも、屋久島は標高2000メートル近い山がそびえ、島にぶつかった海風が上昇気流となり、島の上空には年間を通じて白雲が浮かぶ。そのため外洋の水平線上に、島の位置を遠方から見通すことができる。中国の船乗りたちは、屋久島を白雲峯と呼び、航海の目標としたとのこと。
〇日本周辺の海上ルートの状況。特に沿岸の地形に頼ることなく、羅針盤での外洋航海が可能であった中国船、ポルトガル船では、四国の遠洋を航行する太平洋ルートが開かれたのではないかということ。 -
戦国期の日本人の生活や作法の実見談は興味深いが、むしろその時代背景、即ち銀流通による交易の活発化や倭寇の跳梁という、16世紀アジア海域の情勢がメインで描かれており、タイトルから期待した内容とは離れていた感。
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中国から見た戦国時代、という内容を期待したが、中国社会史の教授の本ということで、あくまで戦国時代の日本を訪れた中国人と明朝の話だった。
野蛮な日本人のイメージの原因となった倭寇と、朝貢貿易のみが認められた時代の密貿易が絡みあう。鉄砲伝来も硝石や鉛の商売のためだった。
読み物として面白い訳ではないが、歴史を紐解く好奇心をくすぐる。